まなざしは光
雨は冷たく、街の喧騒を鈍い灰色の音に変えて降り注いでいる。僕は小さな傘の下、狭い天蓋に身を寄せて歩く。濡れた舗道に反射するネオンの灯りが、足元に歪んだ光の帯を浮かび上がらせる。その薄明かりに照らされると、またひとつ、何かを諦められた気がした。心の荷物がひとつ降りて、身体が軽くなる錯覚。でもそれは、ただ空っぽになっただけなのかもしれない。
いつもそうだ。足元に、見えない線を引く。ここから向こう側は踏み込まない、踏み込ませない安全地帯。その線の向こう側から、遠くで誰かが手を振っているのに気づく。馴染みのある仕草だ。過去の僕自身か、あるいは傷つける前に遠ざけた誰かか。その手は呼んでいるのに、僕はただ傘の縁をぎゅっと握りしめるだけだった。
それが、君が笑うと、なぜだろう。その頑なに結んだ紐が、ふわりとほどけていくような気がした。心の奥底で、何かが音を立てて崩れ落ちる。この胸を締め上げ、鼓動を荒くさせるこの感情は、「心臓がうるさい」というらしい。
初めて君と目が合った時だった。図書室の窓辺、雨粒がガラスを伝う向こうで、君がふと顔を上げた。その瞬間、鋭い光が差し込んだような衝撃があった。指が偶然触れ合った時も同じだ。埃っぽく淀んでいた僕の奥の奥まで、君の視線は届いて、そっと照らし出しているような気がした。何気ない言葉を交わし、同じ夕焼け空を見上げるたびに、君という存在が、僕という暗い空間に温かな灯りをともす。もっと知りたい。その光の源を。
君のまなざしは特別だった。夏の分厚い入道雲さえも突き破って、真っ直ぐに、まるで光の海を泳ぎ渡ってくるかのようだった。あまりに眩しくて、思わず目を伏せそうになるのに、同時に底知れぬ温かさに包まれる。それは単なる視線ではない。光そのものだった。
傷つくことも、傷つけることも恐れて、僕は引いた線の内側でずっと逃げてきた。安全で、孤独で、色あせた世界。雨の日は特にそうだ。傘は小さな貝殻。僕はその中に身を隠し、冷たい雨にじんわりと濡れながら、内側から錆びていくのを感じていた。
そんなある雨の日、傘を差して歩いていると、突然、肩のあたりに柔らかな温もりが広がった。まるで、凍えた心臓をそっと包み込むような。驚いて顔を上げると、傘の上から差し込む陽光が、雨粒をキラキラと輝かせていた。雲の切れ間から、本物の太陽が顔を覗かせたのだ。そしてその光の中、歩道の向こう側に君が立っていた。傘もささず、髪も肩も雨に濡れているのに、目を細めて空を見上げて、無邪気な笑みを浮かべている。雨粒が頬を伝い、宝石のように煌めいていた。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥で何かが弾けた。どんな言葉を並べても、この胸に渦巻く愛おしさには到底及ばない。それはあまりにも純粋で、まるで雨上がりの世界のように清らかだった。
どうしようもない。自分でも怖いほどに。もうこの目を逸らせない。君が世界を見つめるその眼差しのすべてを、僕のものにしたいと貪欲なこの心の奥底が叫ぶ。君の瞳に映る光景を、君の心の動きを、その温もりの源を、すべて。
君がまた僕を見つめた。雨上がりの陽光を背に、濡れた黒髪がきらめきながら。その視線が僕に届く。いつものように、雲を突き破り、深い海を泳ぎ渡ってくる光の柱のように。それは僕の見えない境界線など、いとも簡単に溶かし、心の最も深い、暗く閉ざされた部屋までを優しく照らし出す。
眩しい。あまりに眩しい。でも、その光に包まれる温もりは、今まで知らなかった安らぎだった。僕は思わず、小さな傘を閉じた。花は薫り始める。降り注ぐのは、君のまなざしという名の、温かな光だけだった。
梅雨上がり、雨が滴った向日葵は凛と咲いている。
TVアニメ「薫る花は凛と咲く」は毎週土曜日24時半から放送しています!ぜひ見てください。まーじでいいので