宿屋
図書館に夢中になっているとあっと言う間に閉館時間となり、夕方を迎えてしまった。
私を案内しお薦めの本を教えてくれた紳士な男性にお礼を言い、預けた荷物を引き取ると、大急ぎで乗合馬車に飛び込み、チケットが使える宿屋へと向かった。
「こんにちは、すみません、あの、今からでもこちらに泊ることは出来ますでしょうか?」
「はい、いらっしゃい。ええ、大丈夫ですよ。お客さんはお一人かしら?」
「はい一人です……あの、このチケット使えますか?」
「ああ、ソレイチケットね。大丈夫ですよ、使えます。お客さん、宿泊に食事は付けますか? 朝と夜両方つけるか、夜だけか朝だけと選べますけど」
「えっと、その、食事を付けるとおいくらになりますか?」
「うーん、何泊するかによるけど、女性はちょっとだけ安くなりますからね、外で食べるよりは全然お得だと思いますよ。えっとね、ちょっと待って下さいね」
そう言って宿屋の女将さんは料金表を取り出すと、広げて私に見せてくれた。
朝食と夜ご飯を付けても、元居た地域の宿屋よりずっと安い。
その上私にはチケットがあるのでこの値段よりもっと安くなる。
これほど安い料金設定でやって行けるのかと心配になっていると、おかみさんが私の疑問に答えてくれた。
「安くて驚いたでしょう? ソレイ領はね、領主様から宿屋に補助金が出てるんですよ」
「補助金ですか?」
「そう、エルフ公爵様と領主様は仲が良くってね、駅が出来るなら観光客も増えるだろうからって、宿屋に力を入れるぞって補助金制度を作ってくれたんですよ。だからソレイ領は他よりずっと安く泊まれる。そのチケットだってエルフ公爵様の案でできたものなんですよ」
「そうなんですか」
「ええ、ですから料金が安くても、ちゃんとおもてなしをしますから安心してくださいね。変な部屋に泊めたりしないですし、詐欺でもないですよ」
そう言って女将さんはパチンッと可愛くウインクをする。
どうやらソレイ領ジョークのようで、私は思わず笑ってしまう。
「あの、取りあえず三泊でお願いします。もしその間に仕事が決まらなかったら、後から追加してもいいですか?」
「何だい、お嬢さんはこの街に住みたいのかい、だったら尚更サービスしなくっちゃだね。いいよいいよ、前日までに言ってくれたら増やすのも減らすのも許可するよ」
「良いんですか?」
「勿論さ。それに今は夏前ってことと、開業記念式前で人も少ないからね。泊って貰えるだけでこっちも有難いってもんだよ」
「ありがとうございます」
私が遠慮しないようにと、女将さんは言葉を砕きそんな気遣いのある言葉を掛けてくれる。
本当にこのソレイ領には優しい人しかいないのではないだろうか。人当たりが良すぎてかえって心配になる。
それにエルフ公爵様もだ。
ここでもまたエルフ公爵様の功績を聞いた。
なんて凄い人なのだろうか。
本が好きで貧乏人に優しいエルフ公爵様。もう私にとってエルフ公爵様は神に等しい人である。
会ったら是非一度祈らせて欲しいものだ。本気でそう思った。
「この部屋はね、階段を使うし宿の一番奥だし狭いから安い部屋なんだけどね、眺めが凄く良いんだよ。私のお気に入りの部屋さ。お嬢さんが使っとくれ」
「うわぁー、凄い、窓から海が見えますね!」
女将さんに通された部屋は、確かに入口が少し狭くなっていてベットも一つだけしかない小さな部屋だった。
けれど窓から見える景色は素晴らしい。
もっと早い時間だったらさぞかし美しかっただろう。明日の朝起きるのが楽しみになる。
それに部屋の内装は、女将さんの手作りらしきパッチワークでベッドやクッションなどが飾られていて、とても可愛いらしい。
私はこの部屋が一目で気に入った。
こんな部屋に住みたい。
そう思わせる素敵な部屋だった。
「宿の外に宿泊客が自由に使えるシャワーがあるんだ。宿からは長廊下で繋がってるよ。男女別だけど昼間は海帰りに使う人が多いから、シャワーを浴びるんなら時間をみて上手く使っとくれ」
「シャワーが自由に使えるんですか?」
「アハハハハ、そうかいそうかいお嬢さんはそこにも驚くのかい。このソレイ領では海に皆行くからね。どんな家にも宿にも必ずシャワーがあるんだよ。まあお湯が自由に使えるのは我が宿の自慢だけどね」
「お湯のシャワー……」
「うんうん、夕食前に汗を流すと良いよ。クローゼットには宿着もあるからね、良かったら着ると良いよ。この辺の宿ではみんな宿着があるからラフな格好で部屋を出ても誰も気にしないさ」
「ありがとうございます。とても有難いです」
「それは良かった。夕食は五時から八時の間だからね、準備が出来たら食堂に来ておくれ。待ってるからね」
「はい、ありがとうございます」
女将さんは笑顔で手を振り部屋から出て行った。
あんなにも安い値段だったので、部屋は余り期待していなかったけれど、この宿は当たりだった。
案内所のハンさんお薦めだけのことはある。素晴らしい。
女将さんに言われた宿着が気になり、クローゼットを開けてみる。
そこには海色の生地に鮮やかな赤い花柄が描かれた簡易的なワンピースが一着入っていて、その横には上下分かれている同じ柄の男性用だと思われる、簡易なシャツとズボンが掛かっていた。
「凄く可愛い。宿着には十分ね」
一つしかない荷物をクローゼットにしまい、私は宿着と手ぬぐいを持って部屋を出る。
今はもう夕食が始まっている時間だ、シャワールームは空いているだろう。
案の定シャワールームに向かってみると、シャワー利用者は数人だけで、それも女性側は今使っている人だけだったので、すぐに私の番が回って来た。
「まさかシャワーを浴びられるなんて思わなかったわ、それもお湯。なんて贅沢なんだろう」
前の職場だって、使用人が湯浴みをするなど中々出来るものでは無かった。
桶に湯を張り部屋でサッと汗を流す、それが当たり前の生活。
宿屋ならばお湯代を払って少しの湯を使えるぐらいだ。
なのにここは自由にお湯が使え、それも無料だという。天国だろうか。
「本当にソレイ領って素晴らしいわね」
思わずそんな言葉が漏れたのは当然だと思う。
ソレイ領に来てから、素晴らしい事ばかり続いているのだから。
おはようございます。
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夢子