85.本当にいろんなこと教えてもらった
領主様のお屋敷は、薬師ギルドよりもっと向こうだ。
走って走って、息を切らして、ようやく門にたどり着いた。
よろよろとやってきた少女が、言葉も発せないような状況で差し出したメモを、門番は戸惑いながら開いた。
「少し待っていなさい」
門の横の詰め所に通され水を渡された。待たされたのはほんの少しの時間だった。
最初のメモは、レークスが書いたものだ。先日アメリアと一緒に訪れたということと、アリスの話を聞いてもらいたいと書いてある。
学院長は最後の手段として信用を得るために聖者の力を見せてくれと言っていたが、アリス信用してもらうまでに言葉を尽くす時間が惜しいと思っていた。
門番に連れられ、屋敷の中の一室に通される。
会ったことのない領主様は、壁の賢者エイブラムとそう変わらない年に思えた。かなり年配の人だ。
「それで、次の手紙とは?」
アリスは持っていた、学院長が書いた手紙を隣の男に渡す。すると彼はその手紙を開いて読み進め、首を振る。
「王都が攻め込まれていると? この、誰が書いたかもわからない手紙で信じろと? 確かに形式は貴族のそれに則っているが……」
「このローブが王都の学院長の物だと」
さすがに手紙一通で信じてはもらえないだろうと、学院長の紫のローブを預かってきていた。
「……確かに私が知るものによく似ているが」
やはり無理だろう。
はあ、とアリスは覚悟を決める。
「領主様。年の初めに、私はアメリア様にお会いしました」
「そなたの回復薬の件だろう。それは聞いている」
「それで、王都に呼ばれて回復薬の実演や実験に協力しておりました。王都に呼ばれたのには、他の意味もありました」
領主は、怪訝な面持ちで首を傾げている。
「聖者は聖者を見つけ出す。ご存じですか?」
「……ああ。聞いた」
「アメリア様が私を聖者だと言いました」
どこか訝しげな表情ががらりと変わった。
「私は先ほどまで、王都にいたのです。私の聖者としての能力は、私だけ場所を移動することです。距離に関係なく。だから、この後私は、扉を開けて、王都に戻ります。お願いします。時間がありません。学院長のお手紙に書かれたことを、よろしくお願いします」
そう頭を下げて、アリスは空中のノブを握った。
「よろしくお願いしますね」
何もない場所に、扉が現れる。
部屋の中にいた人々も驚きに声を漏らした。
「それでは、失礼します」
扉の向こうに出ると、二人の姿は見えなかった。
ビニールハウスにはなかった時計が置いてある。たぶんスミレさんの気遣いだ。
テーブルの上に、見取り図を、と書いた紙が用意されていた。
アリスはそれを持って移動する。
「お帰りアリス」
ロイが真っ先に気付いて駆け寄ってくる。
「ロイ、顔色戻ってきたね。よかった。魔力があるとかなり違うみたいね」
「ああ。腕もわりと動くようになってきた」
アリスはこれ以上魔力回復薬を飲むことは無理だった。身体が拒否している。規定量をゆうに越えているのだ。
ロイには申し訳ないが、違和感を完全に解消するのはアリスには無理だった。
そして、アリスの能力にはムラがあった。知らない場所に行くのは難しいのだ。
どこにでも行けるのなら、もっとたくさん手は打てただろうが、ミールスの領主に期待するしかない。
「学院長、トシさんが魔道具のある部屋の周りの見取り図を書いて欲しいって。たぶん、部屋の配置とドアの位置ってことだと。トシさんはすごく物知りな人で」
チラリとレークスを見る。
「精霊の互助会のことも、本当はトシさんが説明してくれたの。ネズミ講っていう昔からある詐欺なんだそうです。ネズミが子を産むように増えていくから。ネズミ算式とか言うらしい」
「うわ、わかる。あの幼なじみの女にいっつもいいようにやられてたアリスが、あんなこと考えつくなんて思いもしなかったもん!」
「キャルっ!」
メルクがキャルの頭をぐっと抑えた。
「トシさんには本当にいろんなこと教えてもらったの」
学院長は笑いながらアリスが間借りしていた研究室を中心に、廊下と出入り口を図にする。そうだ。そんな風になっていたなと思い出す。
「ロイ、魔力が戻ったならちょっと寝ておけ」
「……悪いけどそうする。この毛布、すっごい気持ちいいんだが」
「馬車に積んで行こ! 終わったら私がもらいたい!」
「私も欲しい!」
キャルとマリアが言い合っているが、ロイは毛布にくるまってさっさと寝た。
冒険者のこういったところは本当に尊敬する。
「私少し向こうに行ってきますね」
「お食事のお礼を言っておいて。他にもたくさんありがとうって」
見取り図を持ってビニールハウスへ。だが、二人はいなかった。まあそのうち来てくれるだろうと待っていると、何やら大荷物で帰ってきた。
「おう、アリス待たせたな。そういやロイくんたちもう食い物はいいか? この後移動するっつてたろ。携帯食買ってきたぞ」
「ありがとう!」
「何がどんな風になるかわからねえからなぁ。一段落つくまで、夜も俺らは交代でここにいるからよ、本当にどうしようもなくなったらこっちに来い。お前一人くらいなら養ってやれるから」
スミレは何も言わずに笑ってる。
「ま、そうならないために最大限の努力をしようぜ!」
「うん!」
「それじゃあ行ってきます」
皆に見送られてまずビニールハウスへ。
「よし、じゃあ始めるか」
「はいっ!」
見取り図を眺めて、トシはより安全にアリスが魔道具を手に入れられるようにと計画を立ててくれた。
「腕っ節は確実に負けるんだから、知恵を絞らねぇとな」
「はいっ!」
まず、間借りしていた研究室、侵入したい研究室以外の、近くのドアの前に、ローブを落とす。この落とすときも、扉を開けて、周囲を確認しなければならない。誰かいたときに、扉を思い切り開かれて、さらに、無理矢理押し入られるのが一番怖い。
通れない、という認識だが、薫子は移動した。お互い合意の元という制限があるのかもしれない。しかし、接触しているなどが一番ありえそうだとトシとスミレは言う。
扉を開けて、廊下に人がいないか確認する。一番最初は鏡だけを出して、扉を開いたときの死角になる場所に人がいないか、よく見た。少し開け、鏡の角度に気をつけて、よくよく見るのだ。
事前にまな板を使って練習させられた。
そして廊下に人がいないのを確認したら、借りてきた赤のローブをその扉のすぐ側に落としておく。
「さあ、肝心要のところだぞ」
心を落ち着けて、借りていた実験室への扉を開いた。中に何人いるか、素早く確認するのが大切。扉はアリスの側に開く。これも、自由なことに何度か試しているうちに気付いたのだ。
こちらへ開いて顔だけ出す。と、やはりいた。
棚という棚をひっくり返して、探している。
二人だ。
身なりのよい、騎士が二人。
アリスは、わざと、あっ、と声を漏らした。
部屋の方々に散っていた男たちがこちらに気付きすぐさま駆け寄るのを、扉を閉めて、さらに開ける。
今度は先ほどローブを廊下に落とした扉が見える少し離れた扉。
男たちはすぐ間借りしていた部屋から出てきた。
二人とも出てきた。
ローブを握りしめ、目の前の扉に手を掛けている。
扉を閉め、今度こそアリスは目的の部屋の扉を開いた。
「じゃあ、行ってきます」
「気をつけて」
「気張ってこい!」
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今月中に終わる予定です。あと少し、お付き合いください。