82.だったらもう解禁だ
家からまたビニールハウスへ降り立つと、そこにはトシとスミレがいた。
「よお、アリス!」
「アリスちゃん久しぶりねえ。おうちに帰ってきたのね」
二人の暖かい笑みに。止まっていた涙が再び流れ出す。
驚いて駆け寄ってくるが、言葉が上手く出なくて伝えられない。
だが、時間がなくて、何度も深呼吸する。
「あのね、ロイが大怪我してるの。大変なの。襲われて。今からロイの治療をするの。それで、魔力が足りなくて、私、扉はどこでも開けるみたいで、家に魔力回復薬、取りに来た」
説明にもなっていない言葉に、二人は顔色を変えるが、すぐ肩を叩いて大丈夫だと言う。
「頑張ってこいアリス。そうだ、飯はあるか? 飲み物は? ロイがいるってんなら皆の前で力使ったんだろ? だったらもう解禁だ。こっちで必要なもん揃えてやるよ。何が欲しいかまとめとけ。飯作ってもってくか?」
「落ち着いたらまた説明しにきてくれる? それまでに揃えておくから。さあ、頑張ってらっしゃい、アリスちゃん」
二人の優しい言葉に頷きながらアリスは空にある幻のドアノブに手を伸ばした。
指先にしびれを感じながら、行きたい先を思い浮かべる。
行きたい、ロイの下に。
ロイの命をつなぐために。
開けた瞬間の血の匂いに、安堵を覚えるとは思いもしなかった。
「アリス!!」
明るい場所から来たので部屋の暗さに参った。扉が閉まる前にノブをつかみ、顔だけあちらに出す。
「ごめんなさい、灯りを、電気をください」
心配そうな表情の二人が、強く頷き返す。
「わかった。十分くらいしたらまた顔を覗かせな!」
そして扉を閉めて、ロイの傍に座った。
持ってきた魔力回復薬を一口飲んで、魔力溜まりからじんわりと漏れてくる魔力を感じたところで、ロイの胸に手を当てた。
心臓の鼓動はまだ感じ取れる。
魔力と上級回復薬とがあれば、治癒術は続けられる。
魔力回復薬は、無理に多く飲むと逆効果だ。足りない分を少しずつ飲むほうがいい。口に含む程度の量を、足りなくなったら飲んでいく。
「そうだ、ちょっと待ってね」
穴のあいた脇腹が、かなり塞がったところでトシとスミレに頼んだことを思い出した。
再び家の入口のドアを開けた。
もうここからビニールハウスに行くのは強く願わなくても平気なようだ。
「どうだアリス」
テーブルの上にたくさんの品物が乗っている。
「魔力があるから何とか……する」
「そうだな、その意気だ」
トシがにかっと笑ってアリスの手にランタンの形をした、電池で灯りがつくライトを二つ持たせてくれた。
さらにスミレが渡してくれたのは暖かい毛布と真っ白なタオルだ。
「血が足りなくなったら身体が冷えるのよ。ケガを直したあとはこれをかけてあげて。あとこっちは清潔なタオルね。アリスちゃんは大変だけど、往復して持っていってちょうだい。ご飯もとりあえず準備したの」
そう言って、スミレはタッパーを持ち上げる。
「ありがとう」
涙がボロボロとこぼれる。
二人にはずっと助けられていた。
「泣くのは早い。飲み物もあるから、ささっと運んじまいな!」
そうだ。まだ完全に復元したわけじゃない。早く続きをしなければ。
こちらのドアは開きっ放しで、アリスは何度も往復する。アリスしか通れないのだからこれは仕方がない。
「ごめん、運んでくれる?」
皆、扉の向こうに消えたアリスが、山程荷物を持ってくることに驚いてる。
それでも、メルクとキャルが。やがてはレークスやターニャも動き出した。
「何この布!? ふかふかなんだけど!?」
「ロイの治療が一段落したらそれで体を温めてって」
「これは?」
「あ、ご飯。食べてって。こっちはお茶とご飯。おにぎりとか、おかず」
火を使わないランタン型電灯に、学院長は目を見開いていた。魔力をまったく感じないのに、驚くほど明るいのだ。
「アリスさん、これはいったい……」
運んで説明が終ると、アリスはまたロイの治療だ。
治療をしながら順番に筋道を立ててわかりやすく説明するのは難しい。
「私の聖者としての力は、たぶん、特定のまったく別の世界に扉を開くこと、なんだと思う。その荷物は、あちらの世界でお友だちになった、トシさんとスミレさんがくれたもの」
「別の世界?」
「うん……」
身体が覚えている形を、アリスの治癒術と上級回復薬がもとに戻していく。
「アリスこのご飯美味しい」
「みんな結構食べてたよ。赤いスープとか、チナ鳥のシチューの素はもらったやつ……」
「マリアとフォンとミアにも持って行く」
メルクがいくつか選んで二階へ上がっていった。
「アリスちゃん、別の世界てなに、楽しそう」
「うん……」
詳しく話そうとするがまとまらなくて黙ってしまう。ロイの治療の方にどうしても気がいく。ジェフリーに説明してあげたいのだが、難しい。
これで大丈夫だと思えた時には、すっかり魔力回復薬はなくなっていた。
飲み過ぎてくらくらする。
「大丈夫そうだね。傷は、きちんと治ってる。すぐ動くのは無理だろうけど、死にはしない」
学院長がロイの身体を見てそう言うと、キャルがアリスに抱きついて泣いた。
二階から顔を出したマリアとフォンも安堵していた。
あれからどれだけの時間が経ったかと思っていたが、それほどではないらしい。こちらとビニールハウスの時間の進みは同じだ。あちらで時間を確かめればわかるだろう。
「ちょっと、あっちに行ってきます」
「アリス、我々もそちらを通って移動すれば……」
学院長の言葉に、アリスは首を振る。
「人は一緒に移動できないんです。移動すれば、二度とこちらに帰ってこられないと思います。力が無くなってしまうの」
アリスは自分の知っていることと、手記から読み取った予測を説明する。
祖父は多分、迷宮で初めて力が発現したこと。命の危機に、迷宮内で扉をひらき、あちら側に行ったこと。
行った先で、祖母の薫子に会ったこと。
二人でこちらに来てから、祖父は能力を失ったこと。
「移動も必ずあちらの世界を挟む感じです。私、家の倉庫からしかいけないと思ってた。誰か別に人がいたら行けないとも。たぶんそれは、私の思い込み」
「アリスちゃんがそう思ってたら、移動できないだろうね!」
ジェフリーが無邪気に笑う。
「にわかに信じがたいが……聖者の力とはそういったものなのだろう……人が移動できないのは残念だが……」
そうだ。
まだ何も終わっていない。
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