81.魔力が足りない
「メルク! 早く上級使って。私のも」
動こうとしないメルクに、キャルが我慢できず自分の上級回復薬を取り出す。
だがそれを止めたのは学院長だった。
「それはとっておきなさい」
「は?」
ロイの傍らに座り込んだキャルは、学院長を見上げて、顔をゆがめた。
「わかんないじゃん! まだ、まだ!!」
握りしめる手が震える。
アリスの手も、震える。
背負っていたジェフリーを床に降ろすと、アリスはロイの側に座った。
「キャル、服を切ってくれる? 魔力溜まりに直に触りたい」
改めてロイの傷を見ると、確かに腕は繋がった。使えるようになるかはわからないが、傷口は消えた。だが、腹の辺りがえぐれて塞ぐ物がない。
キャルは動かなかった。
仕方ないので彼女の腰の得物を借りてアリスはロイの服を破く。
危うく手を切るところだったがなんとかやり遂げ、魔力溜まりに手を当てた。まだ、ロイの魔力はたっぷりあった。
ロイの内臓の形は覚えている。
スミレが貸してくれた本に合った通り。内臓の位置は、変わらない。右の脇腹の部分、そこがえぐれているだけだ。
聖女アメリアは上級回復薬がなくても魔力だけで欠損した部分を元通りにするという。
だが、高位の治癒者もまた、上級回復薬とともに治癒を施すことである程度は直すことができるのだ。
ロイの内臓の形は覚えている。
家の中に合ったランタンの頼りない明かり。窓は全部ミアの土で覆われていた。
薄暗い部屋の中で、アリスの治癒術の明かりがロイの腹に宿る。
「アリス、アリス頑張って……」
涙でぐしゃぐしゃのキャルの小さな声に、うんと頷く。
薬を少しだけ振りかけ、ロイの魔力を借りてアリスの魔力を使い、傷を塞ぎ、飛んで行ってしまった内臓を復元する。
「キャルの回復薬、ロイの口に少しだけ垂らしておいて」
血が多く流れてしまった。上級回復薬は一時的にそういったものの代わりもする。
「布に含ませて口元に」
学院長が小さなポーチから白いハンカチを取り出しキャルに渡した。
少しずつ、無かった物が埋まっていく。
だがそれと同時に絶望していた。
足りない。
「私の魔力が足りない……」
涙が頬を伝う。
足りないのだ、まったくもって足りないのだ。
とにかくこれ以上血が流れないように止血、その後復元していく。止血は大体終わった。だが、もう頭がふらつくくらいに自分の魔力が枯渇していくのがわかる。
「アリス、アリス、もうちょっともうちょっと頑張って」
「アリスちゃん、もう、だめだ。それ以上魔力を使ってはダメだ」
メルクが腕を掴む。
部屋の中のもう一つの明かりだった治癒の光が、弱々しく途切れ途切れになり、アリスの限界を物語っていた。
「魔力が、魔力が足りないの」
他に治癒術を使える者はいないのだろう。
ロイは貴重な戦力だ。教授や学院長も使えるのならアリスと交代してくれているはずだ。
したくてもできない。
アリスしか治癒術を使えないのに、魔力が絶望的に足りなかった。
「マリア! 魔力回復薬は!?」
階段下に駆け寄り、キャルが叫ぶ。
が、顔を出したマリアは首を振った。
「私やロイは、回復薬が必要になることなんてないのよ」
戦時中でもなければ、二人は魔力の枯渇などと言う局面に当たることがない。迷宮にすら持って行かない。今日も採取のつもりだったのだ。魔力枯渇よりも先に体力が尽きる。
「私にもっと魔力があったら」
溢れる涙が止まらない。
が、気付いた。
「回復薬は、店にある」
「は?」
メルクがアリスのつぶやきに呆然と聞き返す。
「店にある。カインさんが、ロラン商会がこの間の冬にくれた物、ほとんど使ってない」
「何を――」
立ち上がって家の出入り口の前に立った。この向こう側も土で塞いだと言う。
「アリスちゃん……」
メルクの悲痛な声。
だが、ずっと疑問だったのだ。
「おじいは、たぶん、迷宮で行った」
迷宮の中の、逃げ場のない状況で、大怪我をして、薫子の世界に転がり込んだ。
「でもその後何度も行った」
薫子の手記を読んでいてい、傷が治った後のおじいと何度も話をしているような記述があった。
「だけど、また迷宮の同じところから行った訳じゃないと思う」
「アリスちゃん?」
後ろでうめき声がした。
「レークス様」
「耳が、おかしいな」
「回復薬を」
ロイにかばわれたレークスは、多少の傷はあるが大丈夫そうだった。
「絶対に、おじいは別の扉から行ってる」
「アリス何言ってるの?」
泣きじゃくっていたキャルまで、アリスのつぶやきに戸惑っていた。
だから、アリスは振り返って宣言する。
「魔力回復薬を取ってきます」
「何を――」
「なんだ、アリスちゃんやっぱり覚醒してるんじゃん」
「ごめんね、内緒にしてて」
ジェフリーと、そして、レークスと学院長には通じたようだ。
「扉に触らないでね」
そういってゆっくりノブに手を伸ばす。
怖い。
もしあのピリッとした気配がなかったら。
指先に何も感じられなかったら。
怖い。
だけど、薫子の手記の諸々を考えればそういうことだ。
「大丈夫、私なら開けられる。絶対。絶対に開けられる」
指先が触れるか触れないか、その瞬間、ぴりっと走る雷の精霊。
「ああ……」
ぐっとノブを掴み、こちら側へ動かすと、向こうは三時過ぎ。しばらく会えないといったから二人の姿はないが、それでもすっかり暖まった空気が流れ込んだ。
「すぐ帰ってくるから、扉に触れないで。移動できるのは私だけなの。物は持ってこれるけど、人は無理」
そう言って、ビニールハウスに降り立った。
扉をすぐに閉める。すると、合ったはずの扉が消えてしまった。
「えっ!?」
思わず声を漏らすが、そうだ。ここに扉は本来ないのだと二人は言っていた。
だが、そのノブがあった辺りに手を伸ばせばまたぴりりと指先に痛みが走る。
つまり、扉なんて関係ないのだ。
アリスは、そこに扉を作ることが出来る。
ただ、ノブがある方がわかりやすいなと思った。
先ほどまではここには扉があった。だからあると思って開けるけれど、何もないところに今まで雷の精霊を感じたことはない。
扉がある方がわかりやすいのだろう。
そこにあると思って、さらにはその向こうに自分の店があると強く思って扉を引く。
「ああ、家だ……」
家だ。回復薬がある。
アリスは素材倉庫へ駆けだした。
ブックマーク、評価、いいねをしていただけると嬉しいです。