72.折れるわけにはいかないのですよ
なぜそこで揉めるのだろうとアリスは戸惑うしかない。
隣に立っているロイを見ると、彼も困った表情をしていた。まあ、慣れてるアリスに分かる程度の表情変化だが。
「折れる気はなさそうだな」
「ここは折れるわけにはいかないのですよ、学院長殿」
優しげな女性なのだ。上品に年を取った、スミレさんに似た雰囲気の人だ。それがなぜここまでムキになるのだろう。
レークスもだ。
この学院がそんなに危ないところなのだろうか?
と、そこまで考えて自分の価値のもう一つを思い出した。
たぶん、そういうことだ。
だがレークスはそのことを告げるわけにはいかないのだ。
「あの、よろしいでしょうか」
「なんだい、アリスさん」
「私はできれば、レークス様のお屋敷から通う方が……」
学院長だけでなく他の面々も驚いた表情を見せる。
「貴族のお屋敷は気を遣わないか? 学院は、基本的に爵位の上下はない。特にね、研究熱心になればなるほどその傾向にある。ほら、ターニャを見ればよくわかるだろう。こやつなぞ、年長者を敬うことすら忘れる」
「皆様の功績には深く敬意を払っておりますよ?」
「年寄りを効率がよいと馬車馬のごとく働かせるのだ」
「効率は大切です」
アリスはなんと答えてよいかわからず曖昧に微笑む。
「学院の寮で寝泊まりすれば朝早くから夜遅くまで研究できるのに」
ターニャが不満そうにするが、それは正直勘弁して欲しい。
いや、そうしないと帰るのがどんどん遅くなるのか?
一瞬考え込んでしまった自分を押さえ込む。
「まあ、そういったわけですから、諦めてください。きちんと私が送り届けますので」
「あなたの仕事はどうなっているんだ?」
「しばらくはアリスさんを護衛するのが仕事なのですよ」
レークスの笑顔に、学院長は目を細めていた。
屋敷に帰るとメルクたちももう帰宅していた。
「ロラン商会は帰りは別の王都の冒険者に頼むそうだ。俺たちは迷宮に入ります」
「メルク!」
「ロイ、俺たちも稼がなけりゃならない。アリスちゃんはしばらくかかりそうだし、帰りまた一緒に帰ればいいんじゃないか?」
「いつ終わるかちょっとわからなくなってきたからな。今日は低級回復薬を作ったが、他の薬師の薬も作ると言い出したぞ。材料集めに二、三日かかるという話だが」
「作り方を披露して、また皆さんが作るのを見ることになる気がします……」
絶対そうなると思う。
「だけど……」
「お前たちが迷宮に籠もるというのなら、うちの部下から二人連れてくる。私ももちろんついているが、護衛はそれで十分だと思う」
レークスの言葉に、キャルは驚く。マリアも訝しげな表情になった。だが、レークスが相手なので口に出さないだけだ。
「お前たちの方が早く終わればまたうちで泊まって待っていればいいさ。なんなら近くの魔物の駆除に駆り出してやるよ。アリスさんの方が先に終わったらもちろんうちで面倒を見る」
不満そうなのはロイだけだ。いつもの無表情で、わかりにくくはなっているが、押し黙っている雰囲気でそれが漏れていた。
「ロイ、レークス様が色々気を遣ってくださっているから大丈夫だよ」
アリスの言葉にしぶしぶ頷いていた。
行くと決めたらすぐ発った。
朝起きたらもうロイたちの姿はなかった。
「冒険者というのは素早いのね」
「ロイが行くなら早く行って済ませると皆を急かしていた」
そして、騎士が二人馬車の横を馬で移動する。昨日までよりさらに物々しくなっていた。
「アリスさんから断ってくれて助かったよ。私は、陛下から君を守るよう言われている。理由はわかるね?」
「……聖者の件ですよね」
「ああ。何か特別なことはあったかい?」
「いいえ」
何もないを貫き通すつもりだ。
「そうか。まあ、そのまま一生を終える人もいるようだよ。あまり気負わず。ただ、保護はしなければならないからな」
そこは仕方ないことだ。ミールスの街で暮らしを続けられるようにしてもらっていることに、感謝しなければならないとも思ってる。アリスを王都に閉じ込めておくことだってできるのだ。
「それで、明日は妻とドレスを買いに行ってくれるかな? 時間もないし、既製品でいいだろう。あまりに仰々しいドレスでなくていいから。あくまで非公式のお茶会だ」
「お茶……」
自分の顔から血の気が引いたことがわかる。
「陛下が少し話をということだよ。アメリア様もいらっしゃる」
「国王陛下、ですか」
「聖者の認定を受けるときは、陛下に謁見をする。今回は非公式ではあるが、それと思えばいつかやらなければならないことだ。諦めてくれ」
国王陛下など、雲の上の人だ。
「アリスさんが平民でマナーなどがわかっていないのは、あちらも十分理解しているさ。不敬だ何だと言われることもないだろう」
レークスの言葉をすべて鵜呑みにするわけにはいかなかった。
学院に着くと、低級素材がしっかり用意されていた。そしてまた順番に作るのを見て行く。中級ほど難しさはないはずだ。温度調節するところがない。
「それでも細かな部分が違いました。動物で見てみましたが、効果もそれなりに違ったように思えます。ただ、中級品のようなあからさまな違いではありませんでしたね。低級回復薬は正低級回復薬を作るよりも、この作り方を少しずつ広めて行く方がいいかもしれません」
とは、薬師ギルド長だ。
「正中級回復薬のレシピを広める際、一緒に低級も広めるのがいいと思います。正中級回復薬のレシピに金を払ったところに、一緒に渡してしまうのです」
「確かに、それがいいかもしれないね。こちらはそれほど出来に違いがなさそうだ。採取場での処理をしっかりするというのが、むしろ重要に感じる」
「それにしても、ターニャ様、目の下のクマが酷いですね。女性に言うことではありませんが。きちんと睡眠はとっていらっしゃるんですか?」
レークスの指摘にターニャは笑顔で頷く。
「二時間は寝ました!」
「寝てないじゃないですかっ!」
思わず声を上げてしまった。
しかし、周囲の者も、それぞれ首を傾げている。
「それくらいは」
「研究が佳境に入ったときは当然ですな」
いや、皆さん結構なお年のお年の方も多いのだ。
「だめですよ……回復薬作りの研究をして倒れるなんてことがあったら本末転倒ではないですか」
「研究者としては普通のことですわ」
「そんな普通、ダメですよ……」
ターニャどころか、オレルアも頷いていた。
「祖父から言われ続けたことがあります。薬師こそが一番体調に気をつけなければならないと。変調によって薬の出来が変わってはいけないのだからと。ですから、睡眠時間は大切です。絶対。最低でも六時間です! 六時間の睡眠をとれない方たちにこれ以上薬師として、作り方をお見せすることはできません!」
その場の全員が衝撃を受けていることにアリスが一番驚いた。
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ロイたちが離脱。お茶会準備します。




