71.待ってると思うか?
結局、明日からは低級回復薬を、さらに細々した薬を実演していくことになり、また作り方が違えば検証したいという話だ。
帰りの馬車で、アリスは今後のことを考えていた。これは正直、一ヶ月帰ることができないどころの話ではない。そうなると、いつまでもロイたちに付き合ってもらっているわけにはいかないのだ。
同じことをレークスも考えていたのだろう。夕飯の席で、この屋敷に泊まっていることはまったく問題ないが、メルクたちはずっとアリスに付き合っているわけにはいかないだろうと言う話があがった。
「お前たちはロラン商会の荷馬車をまた護衛して帰らねばらなぬだろう?」
「少し考えているところです」
「俺は――」
ロイが何かを言おうとするのをメルクが止める。
「俺たちも稼がなければならない……明日ロラン商会に行ってきます」
それがいいだろうなと、レークスが言った。
翌日のワンピースは深い緑色だった。
いったいいくつあるのだ。
「学院に行くのだからとシンプルな物ばかり作らされたのよ」
カレアーナはプンプンと怒っている。
「いつお休みがあるの? 確かに貴方にドレスは嫌がられそう。ただ、もう少し可愛らしいワンピースを探しましょうよ」
何を言っているのだろう。
玄関ホールでそんな話をしていると、レークスがやってきてカレアーナの頬にキスをする。
「城に上がっても問題のないドレスを準備しないととは思っているから、そのときは君の趣味に任せるよ」
「あら、嬉しい。アリスさん、何色がいいかよく考えておいてね!」
本当に、なんの会話がなされているのか、わからないのだ。
「今日はロイだけだな、馬車が狭くなくて助かる。それじゃあ行ってくるよ」
アリスも軽く礼をして馬車に乗り込んだ。
なんだか自分のあずかり知らぬ場所で物事が進んでいるような気がしてくる。
今日は低級回復薬の実演だ。材料は準備してくれている。
調薬陣はもう置いていっている。
昨日よりギャラリーが増えているのが気になる。同じ色のローブを纏う人が増えているのだ。
ローブの色は黒。そこに縁の色や刺繍の色が青、赤、緑、紫といろいろある。
この中でやるのか……なんだか恥ずかしい。
「さあ、皆揃ったわね。それじゃあアリスさん、お願いします」
学院長と呼ばれていた紫のローブの女性が促すので、始める。
低級の素材は簡単に集まるが、実は採取場で下処理をした方がよい。だが今はそこまでは望めないので、仕方ない。
手順だけは守って作ると、つどつど周りから声が漏れるのだ。
祖父と祖母の研究成果が認められるのは嬉しいが、どうして自分のときなのかと内心ため息を吐いた。
一通り終わると質問が始まる。
受け答えしながら、実際やってみせると、メモを取る音がそこら中からした。
アリスが調薬してる周りに、彼らは立って一斉にペンを走らせる。異様な光景だ。
「やはりかなり作り方が違うわね。効果も違いそう」
正直ロイで試すのは止めて欲しい。というか、低級だと傷跡が残ったりしてしまうから腕を切ったりも嫌だ。
「低級を試すには動物が一番ですよ」
ターニャがそう言ってアリスの作った低級回復薬を持って部屋を出る。皆その後をぞろぞろとついて行った。
アリスはそばにあった椅子に座る。
「アリスは行かない?」
「あんまり、切ったりするのを見るのが嫌」
「まあ、無理矢理傷を作るんだからな」
研究の過程で効果を試すのは仕方ないのだろうが、見ていて気持ちのいいものではなかった。
「あと、低級素材は採取したところで処理した方が効果があるんですけど、それも言わないとダメですよね……」
「言ったら採取にあの人数が行くのか……」
レークスが愕然としている。
「高位の貴族の方なのですよね?」
「そうなんだ。行くとなったら護衛をぞろぞろつけての行軍になるぞ……」
それはとっても大変なことになりそう。
「じゃあ隠しておきます?」
「いや……いや、それはダメだろうな」
バレたら怒られそうだし、まあ、研究だし……。
「彼らが採取しに行くわけじゃないだろう? 採取の専門冒険者とかはいないんですか? そこら辺を連れて行って大人しく待っててもらうしか」
「大人しく……待ってると思うか?」
だがそこは幸い簡単に解決した。
学院内に栽培園があるというのだ。もちろん全部の素材は賄えないが、何かあったときに使えるよう育てているという。
また簡単な昼食を済ませたところで、午後から王都の薬師ギルド長と数名がやってきた。彼らも一緒に栽培園へ行くこととなる。
「この根のところを、なるべく鋭利な刃物で切ります。できれば採取現場で」
ふむふむとメモの手が止まらない。
「中級素材の分は根ごと持ち帰るようにという話だったが、こちらは切ってしまうんだね」
薬師ギルド長もメモをしていた。
「その素材によって違うようです」
「それを個人で調べたのだよね。本当に素晴らしいな」
「祖父は元々冒険者だったので、素材を取りに行くのも自分でできたから、試せたのかと思います」
「うん。聞いた。冒険ギルドに問い合わせたら記録が残っていた。シルバーランクだったそうだ」
薬師ギルド長は、三十過ぎの、ギルド長になるには若い男だった。そばに寄るとふわりと素材の匂いがするので、日頃から作ったり素材を扱っているのだとわかる。
「一度、王都近くの迷宮で大きな事故に巻き込まれたそうだが、かなり時間が経ってから自力で出てきたと聞いたよ」
「そうなんですか……」
「低級の方を先に試していそうだよね。対照実験をしなければわからないだろう? 頭が下がるよ」
あのメモの束。
祖父と祖母の努力の結晶だ。
「それをきっちり受け継いだアリスさんも素晴らしいね」
手放しで褒められると、返答に困る。
小さくありがとうございますと、返すしかなかった。
「さて、皆で話し合ったのだが、アリスさん、学院の寮に入らないかい? 身の回りのことは基本自分でできるのだろうし、洗濯は寮で請け負える。食事も三食提供されるし、不自由さはないと思うよ。レークスの家から毎日通う方が大変だろう」
「申し訳ございませんが、アリスさんの身柄は私が責任を持って見るという話で来てもらっていますので、こちらに預けるわけにいきません」
「だが毎日あなたが護衛にくるわけにもいかないし、そこの彼だって自分たちの仕事があるだろう? 学院の中の方が安全だ。寮で暮らしている者もたくさんいる。もちろん安全は私が最大限配慮する」
「いえいえいえ。これは私の仕事なのですよ」
と、突然二人が戦い始めた。
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学院はけっこう権威ある場所……のはず。