70.全部試してみましょう
実験室には大きなテーブルがあり、側には回復薬の材料となる素材が用意されていた。ロイがテーブルに調薬陣を広げると、教授陣が群がる。部屋の中には若い男女がいる。
「こちらも研究者の方々です。お名前は省略しますね。名前なんて飾りですから」
男性と女性はチラリと教授を見た後にこりと笑って見せた。
「先生方、さあ、陣から離れてください。どうですか? 旅の間にかすれなどはありませんか?」
女性が陣の周りから彼らを追いやると、アリスを促す。
「かすれなんて、上手に書いてある」
「記号の大きさも揃っていてとても綺麗だ」
「失敗なんて有り得ない、手本のような陣だよ」
アリスが見直す前に、彼らが口々に言う。そこまで手放しに褒められるとかなり恥ずかしい。
「僕には記号の勉強からやり直せと言った御仁たちとは思えませんね」
「お前がここにきたときの陣の記号はそりゃ酷いもんだったからな」
「線の太さがまちまちで」
次々飛び出してくる言葉にいたたまれなくなり、アリスは素材を手に取る。
「調薬しますか?」
教授陣はピタリと口を閉ざした。
「一応アリスさんに聞いていた通り採取後処理したものです。一昨日採ったばかりです」
「はい、丁寧なお仕事だと思います」
調薬鍋が現れ、それでは、とアリスは始める。
一度初めてしまえば緊張などはまったくない。素材を切って、魔力を通し、混ぜ合わせる。他にはメモを取る音が響くだけだ。
鍋に出来上がったものは、女性が瓶へと移動してくれた。
「ターニャの実演よりもっと手際がよかったな」
「温度調整はかなり難しそうだし、あそこで品質も変化しそうだ」
「正中級薬の基準も設けなければいけないなあ」
「温度調整を手間取り、基準値を下回る物もたくさん出回りそうだ。そこら辺の試験用魔導具も用意せねばならぬだろう」
「明日は薬師ギルド長も呼ぼう」
「ターニャや、素材はこれだけか?」
「いえいえ、皆さんの分準備していますよ」
「よし、では私から」
「いやいや、まずはこの私からだ」
調薬の話から、何やら争いごとに発展する。
男性と女性は小さく笑いながらアリスの作った物を片付けていた。
「アリスさん、この後教授陣が回復薬を作るので、その指導をお願いします」
「指導!?」
「はい、正回復薬、きちんと作ることができるのが、私とアリスさんのみじゃ困るんですよ。本当は、年寄りより若い人が指導受けた方がいいと思うんですが、この人たちが譲らなくて。ここを終わらせないと次に行けない感じです。ビシバシやってください! あと少しですねとかいらないんで、手際が悪いってはっきり言ってしまっていいですからね!」
教授は五人。
アリスはその後三人の調薬を見ながら、手順違いとか、こうした方が速い、など注意を入れる。調薬に慣れているのは本当のようで、素材の処理などとてもスムーズだ。
「ターニャよりも上手に出来た気がする」
「私の方が上手くいった」
などと競い出すのが困りものだ。
三人終わったところで昼食にしようということに。かなり遅いのだが。
アリスたちはまた別室に通される。
広いテーブルに、スープとパン、肉と野菜が盛られている。
「さあさあ、急いで食べて次は私の調薬の番だ」
赤いローブのおじいさんが言うと、紫のローブのおばあさんが睨む。
「喉に詰まらせたらおしまいだよ、ゆっくりお食べなさい」
調薬の話と、採取園の話。王都の外にある素材が採れる場所の話。
たくさんの話が行き交う。
上手に作れるようになったら今度は研究するという話もしていた。ターニャが前に言っていた、温度調整によりどの程度変わるかの話だ。
「ところで、低級や上級回復薬も違うのではという話になっているよ」
緑のローブのおじいさんがアリスに話を振る。斜め右前に座っているのだが、もう全部食べてしまったようで最後のお茶を楽しんでいた。
「低級は、たぶん、違うと思います」
書き付けに色々実験をした数値が残っていた。
「ただ、上級はたぶん違わないというか、素材が高価なので試すのが難しいので出来ていないかと」
「ああ、確かに。そうだな、試行錯誤するにはかなりの金がかかるだろう」
個人で試行錯誤するのは難しかったようだ。
「他のものはどうでしょう!」
ターニャがすくっと立ち上がる。
「他?」
「回復薬ほどじゃない、傷薬や、頭痛止め、二日酔いの薬などがありますよね」
「さあ……どうでしょう」
あると言ってしまうと、自宅に戻れない気がしてきた。
だが、アリスはここできっぱり、ないと言わなければならなかったのだ。
「全部試してみましょう」
紫のローブのおばあさんがにこりと笑って言った。
「学院長! それではアリスさんが……」
「今後の薬師の発展には必要なことです。アリスさんにはここで私たちに教えてくださる間お給金をお出ししますから、頑張っていただきましょう。自宅に帰って、客離れが起きた、などとなった場合の補填は私の個人資産からいたします」
正中級回復薬の話が広まればそれもないでしょうが、と付け加えられる。
「アリスさん、今後の国の発展のため、私たちに協力してくださいな」
相手は高位の貴族だという話だ。
アリスに拒否権はない。
頷くしかないのだ。
午後から二人の手順を見た。皆、ターニャの指導がいいのかほとんど出来ているのだ。温度調節はもう、慣れでもあるから回数をこなすしかないかもしれない。
「さて、やっと我々が見てもらえますね」
男性と女性。キリアンとオルレアだ。
こちらは準備などをしている過程でこっそり名前を教えてくれた。
二人とも素材の準備も手際もよかった。いくつか注意点はあったが、すぐ直るものだ。
「やはりターニャよりわかりやすかったな」
「そりゃ、ターニャに教えたのがアリスさんでしょう、当然よ。あと十回くらい試せばかなり近づける気がするわ」
正直教授陣より上手に作っている二人だ。彼らは教授の助手なのだそうだ。もちろん研究者。
「皆さんが手こずっている温度調節は、慣れですから。私も小さいころからやっているから出来ているだけです」
アリスの言葉に二人は頷く。
「アリスさん、この中で一番出来の良いと思うものは?」
「えっ……」
学院長の言葉に戸惑う。
「言い方を変えましょうか。この中で一番自分の作り方からそれていない物は?」
それなら、キリアンのものだ。
「反対に違いが多かった物はどれになります?」
それは、青いローブの方。
「じゃあこれを比べてみましょう。レークス、実験台はいないかしら」
「勘弁してくださいよ……ターニャが散々うちの騎士団で試したんですから」
「腕、切りますか?」
「ロイ!?」
またあれをやるのか!?
「おや、やってくれるのか。なら、私たちが作った回復薬を一本ずつお礼に進呈しよう」
「アリスのがいい」
「それはだめ。こちらで研究する材料になるからね」
そう言って学院長はロイに鞘に入ったナイフを手渡す。
流しの上でざっくり切るのが見てられなくて目をそらした。
「こっちはまだひきつれがある、前にアリスの家で作ったターニャ様のを試したときのようだ。こっちはほとんど違和感がないくらいだ」
「そうか。ありがとう」
研究職を極めると皆こんな風になっていくのか?
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今週もこれで終わりです。次は月曜日になります。
春休みに入ります。去年の春休みは1つも書けなかったので、もしかしたら更新を停止することもあるかもしれません……。