7.その外注がとても高いのよ
今夜は多分来ないだろうということで、スミレさんは少しだけご飯を持たせてくれた。タッパーも、自宅に器を取りに帰って入れ替える。これならもし見つかっても、残り物を素材倉庫に置いておいたということにできる。
自宅に帰ると調薬中の看板を、開店中に差し替えた。
調薬中は、できるなら後で来てください。緊急なら入って来てくださいとの意思表示だ。
付箋メモは、アリスの書いた文字なら普通にこちらでも読めた。
やはりあの空間だけが特別なのだ。こちらの言葉もあちらの言葉も通じる。今度、アリスの書いたメモを置いてきたのが、扉を閉めたあとも読めるか教えてもらえば、より謎は解明される。
「ビニールが一番の謎」
水を通さないのに透明で、柔らかい。皮のようだが、皮は向こう側が透けて見えることはない。
そう、ビニールハウスのビニールは、うっすらと向こうが見えるのだ。
今日見せてもらったビニールハウスの扉の向こうには、一面の緑と、木々、そして遠くに茶色い家があった。
が、それはトシとスミレの家ではないらしい。お隣さんだそうだ。家と家が接触して建てられていないのは、ここが田舎で、土地だけは十分過ぎるほどあるからだという。秋になれば向こう一面金色だと言っていた。あの最高に美味しい菜っ葉とおじゃこのおむすびの元である、米が大量に収穫されるという。トシとスミレの家では米は育てていないが、その周りのおうちから売ってもらっているそうだ。
店番をしながら、掃除をしたり、棚の商品の品質を確認したり。変わらない日常。
ただ、あの扉の向こうの刺激を知ってしまった今、普段こなしていたことが退屈に思えてしまうのだった。
翌日は朝早くからロイが来た。
採取に行こうという話があったし、今日は晴天。絶好の採取日和だ。
「準備は?」
「出来てるよ」
採取用の道具と袋を抱えて一日仕事になる。戸締まりをして、閉店のプレートを掲げておいた。
「袋は持つ」
「ダメだよ、魔物がいたときロイがすぐ動けないと困るんだから」
「しばらくは何も出ない。索敵を定期的にするから心配しなくていい」
そう言って、アリスが肩に掛けていた袋をひょいっと持っていってしまった。
いつもの門兵が笑顔で手を振っている。
アリスも振り返すと、ロイが後ろからつつく。
「早く行くぞ」
「そんなに急ぐ必要ないよ。変にペース乱すと疲れちゃうよ」
そう言ってるのに、早く早くと背中を押して、街がぐんぐん遠ざかって行った。
モリス草のある湖を越え、谷に向かう。途中魔物に接触しそうになったが、いち早く気付いたロイが、迂回をしたので遭遇せずに済んだ。
魔物と戦えば血が流れる。血が流れれば新たな魔物を呼ぶのだ。遭わないですむならその方がいい。
「あ、あった」
中級回復薬に必要な素材だ。谷間の、少し険しいところに生えているので、上でしっかり縄を持っていてくれる人が必要になる。
「じゃあよろしくね、ロイ」
「気をつけて」
腕力はロイの方があるし、いざとなれば風魔法でアリスを少しなら浮かせられる。つまり、採りに行くのはアリスだ。
これはアリスに必要な素材なので、当然のことなのだと理解している。が、ロイはいつも不安そうだ。
こんなこと何度もやっているのに、心配性なのだ。
無事にモラの実を手に入れ、腰のポーチに入れた。来た道を慎重にたどる。途中どうしても登り切れないところは縄を二度引くと、腕力で解決してくれる。ぐっと上に引っ張られるのと同時にこちらも小さな足場を蹴って駆け上がる。
「ありがとう、ロイがいると安心して採りに行けるわ」
「こちらは帰ってくるまでずっとヒヤヒヤする。モラの実だけ外注しない?」
「その外注がとても高いのよ、ロイ」
これを外注するともう銀貨三枚もらわなくてはならなくなる。
とはいえ、ロイがいなければそのお金を払ってでも外注するしかなくなるのだ。そしてそのときの中級回復薬は利益が減る。それがずっと続けば値上げせざるを得なくなる。
「値段を上げずに提供できるのはロイのおかげだよ」
彼は複雑そうにこちらを見ていた。
その後もう二つ、必要な素材を集めた。これだけあれば冬を越せるくらいには持つだろう。
森のかなり奥の方まで行ったので、帰ってきたころにはもう日が暮れていた。門兵がほっとした様子で通してくれた。
「おそくなっちゃったね。ハンナのパンを受け取って帰ろう」
行きがけに、パンを取り置きしておいてもらったのだ。
「ウサギもあるし、夕飯はソテーか?」
「そうだね。そうしよう」
ごちそうすると言っておきながら、獲物はロイが仕留めたものだし、パンは買ったもの。もてなしきれていない。
中庭でロイがウサギを捌いている間に、倉庫に置いてあったトマトとキュウリを持ってくる。キュウリはせっかくなので塩とショウガとごま油で作ってみて、トマトはスライスした物に、塩を軽く振る。
ウサギ肉を持ってきたロイが、そのままキッチンに立つ。
「あ、やるよー」
「いや、いい。座ってろ。疲れただろ?」
確かに普段街でしか暮らしていないアリスは、森の奥まで採集に行って、とても疲れている。だが、ごちそうすると言ったのに、このままではごちそうされてしまう。
「でも」
「いいから座ってろ」
匙を鼻先に突きつけられて、大人しく座り込んだ。
むむむ。
「王都ってさ、行く度に店が変わってたりするの?」
「さあ、そこまでじゃないな。ただ、流行はあるみたいだ。マリアが持ってきた菓子とか」
「あ、そうだ。あれもまだ食べてないな。マリアさんが回復薬渡しているのって冒険者さん?」
「何度か王都周りの狩りに一緒に行ったことのあるパーティーだ。一度魔物に襲われてるところを助けたんだ。彼らも十分に強かったが、他に襲われていた駆け出しをかばって怪我したとか。そのときにアリスの回復薬を渡したらその効果に驚いていた」
「それは、よかった」
自分の薬で助かる命があるのはいいことだ。
「一度買いに来てるそうだよ」
「えー、どなただろうなぁ」
一見さんもわりと多いのだ。どうも門兵たちがうちの薬屋をお勧めしてくれているらしい。
「門兵の奴ら、何を考えてるんだ……」
「普通に売り上げアップのためにお勧めしてくれてるんでしょ」
アリスの答えにロイはうーんと唸っている。
店は、街のかなり中の方にある。冒険者向けなら、もっと門に近い薬屋の方が儲かるのだ。だが、店舗はここにあるし、新しく店を買うようなお金はない。それに祖父から継いだこの店を手放す気もなかった。
街の住民用の回復薬を細々と売りつつ、たまに冒険者用の中級が売れ、子どもたちの風邪薬などの注文を受けている今の暮らしを気に入っている。
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冒険者って、暇な時何してるんだろ……毎日出かけるとか……やだぁー