64.ひたすらシンクを磨くか、ひたすらお野菜を刻むかよ
走って走って、走り続けて、やっとたどり着いた頃には完全に息が上がっていた。
倒れ込むように身体を押し付け、何度も扉を叩く。
何度目かで鍵の音がしたので慌てて下がった。
「アリス?」
現れたのはキャルだ。
「魔物が、ロイが、みんなにギルドに来てくれって」
アリスの細切れの情報に、キャルは眉をひそめながらもすぐ振り返る。
「すぐ用意して! ロイがギルドで呼んでる!」
さすが冒険者だ。
号令が飛んだあとの動きは早い。
「アリス、詳しく」
「森に入る手前で、ロイが、魔物が多すぎるって。慌てて帰ってきたの」
何とか息を整える。少しは伝わっただろうか。
「行こう」
メルクとフォンが出てきて、マリアが鍵をかけた。四人ともすぐ走り出し、角を曲がって消えていく。
アリスも店に帰ると低級と中級回復薬を持てるだけ持った。
目指すは冒険者ギルドだ。
体力の差がありすぎて、アリスがギルドに来た頃には既に人だかりができていた。門前で聞いていた人たちから伝わり、冒険者も集まってきている。
ギルドの中に入って聞きたかったが、周囲を取り囲んでいる人の数が多すぎて難しい。
と、門の方の道から大きな声をあげながら男が走ってきた。
「どいてくれ!」
誰かが囁く。
斥候だ、と。ゴールドランクの斥候だと。
多分ロイの言ったことを確認しに走ったのだ。
門からギルドは近いし、アリスの足は遅い。ゴールドランクになれば魔法も使えば飛ぶように走れると、前にロイから聞いた。
現に、叫んでいた彼は瞬く間にギルドの扉の前に着いた。
しばらくして、ギルドの扉が開くと、以前ロイの試験をしたギルド長が現れた。
「森の魔物が溢れそうだ! 冒険者は討伐に協力をしてくれ!」
おおおおお!!! と周囲から声が上がる。
「門でカードをチェックする。ぜひ互いに協力して頼む。素材は後回しだ、数を減らせ!!」
人の波が流れ出す。
その波を避け、アリスは道の端に寄った。同じようにしている人たちは、冒険者ではないのだろう。
そうして、ギルド前の人だかりがスッキリした頃、扉が再び開き、ロイたちが現れた。
「アリス!」
「ロイ、回復薬持っていって」
木箱から取り出しまずキャルに渡す。昨日メルクがキャルの分と言って持っていったが、他のメンバーの減りを考えると足りないと思う。
「後で金渡すから」
「いいよ、気を付けて、大怪我はしないで」
「門はもう閉まってる。アリスもなるべく家でじっとしていて」
「うん、この薬、ギルドに渡したら帰る。そんなに魔物退治してなかったの?」
「原因はわからない。とにかく家の中に」
急いでいるのはわかるので、それ以上は言わず見送る。姿が見えなくなったところで、ギルドに入った。
受付に木箱ごと置く。
「回復薬です、使ってください」
受付の男性は大きく目を開いたあとに頷く。
「ありがとうございます」
「個数と名前ときちんと全部書いておけ! 終わってから支払いだ」
「あ、いえ……」
「だめだ。こんな時だから少し負けてもらうかもしれないが、支払いはする。助かる。ありがとう」
ギルド長が絶対に譲らないぞと圧をかけてきたので、アリスは名前と種類、個数を記した。二枚書いて、一方は箱に張る。
ギルドから帰る道は、なんとも言えない、不安なものだった。店も半分くらい閉めている。アリスも閉店の看板を出さねばならない。
ため息をついていたら呼び止められた。
「商会長さん……」
ロラン商会だ。
「森の魔物があふれるなんて、何十年ぶりでしょうか……ロイさんたちはもう?」
「はい。森に向かいました」
「ミールスはかなり冒険者の多い街です。心配ないと思いますよ」
にこりと笑う姿に、アリスも少しだけ口元に笑みをのぼらせる。
「職業柄情報が入ってくるのも早いので、何かあれば知らせをやりましょう」
「ありがとうございます」
家に帰り、戸締まりをした。どうしようかと悩みに悩んで、結局ひょいと向こう側に行くことにした。
ちょうど昼時だ。
「あらアリスちゃんいらっしゃい。どうしたの?」
スミレが食事中だった。トシの姿がない。
「トシさんはね、隣のお友だちとおしゃべり会なの。それより、ひどい顔色よ?」
ビニールハウスの中はかなり暑くなってきている。ただ、いつの間にか改造されていて、側面の上方に窓があるのだ。風の通り道ができていて、空気がこもって重苦しいということはなかった。
扇風機も三台設置され、今は一台が動いていた。
「森の魔物があふれ出してきて、今冒険者たちが狩りに出てるの」
「あら……前に言っていた、森から魔物が生まれてくるというやつね?」
「そう、それ。今まで普通に狩りをしていて、数は保たれていたはずなのに……」
定期的にギルドの職員が魔物の様子を偵察する依頼も出しているのだ。
「ロイくんたちも行ってるの?」
「うん……」
「そう、心配ね。心配で何も手がつかなくなっちゃうわよね……うーん」
スミレさんは何やら考え込んでから、ちょっと待っていてとビニールハウスを出ていった。
心配で手がつかない。何をできるわけでもないのに、気持ちが落ち着かなくて、そわそわと何をするでもなく歩き回りそうになる。
しばらくして、スミレがたくさんの調理器具を持って帰ってきた。アリスは慌てて運ぶのを手伝う。ビニールハウスの中からだが。
「もやもやするときはね、ひたすらシンクを磨くか、ひたすらお野菜を刻むかよ」
そこからはテーブルで、出された食材をただひたすらみじん切りにした。
みじん切りにし続けて、それを大鍋に入れる。
冷凍トマトも出てきた。
「ベーコンのうまみが全部スープに溶け出ちゃうのよね~まあ、それはそれでまた美味しいけど。アリスちゃん、おうちから一番大きなお鍋持ってきて」
スミレに言われて、シチューを作るときの鍋を持っていくと、作ったトマトスープのほとんどをこちらへ移す。
「帰ってきたら疲れてるでしょう、皆にごちそうしてあげてね。これ、パンとすごく合うのよ。そうね~パンも作ったらいいのかしら。ホームベーカリーで作ろうかしら。明日の朝来られる? 来るなら焼きたてパンをお裾分けするわよ。トシさんもそろそろパンが食べたいとか言うころだし」
スミレが色々と気遣ってくれるのはよくわかった。
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無心でお野菜刻むのは嫌いじゃないです。