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55.その花嫁の名がな

 こちらでの問題は片付いたが、今アリスの心を占めているのは祖父の物だと思っていた読めない書き付けが、祖父の物ではなかったという事実だ。


 以前アリスが家に戻った後、スミレのメモ書きが読めなくなった。それを二人に告げると、今度はアリスの字が読めるかを確かめ、ビニールハウスの空間が特別なのだと知った。


 スミレがビニールハウスを出ても書き付けの文字が読めた。つまり、書いてあった文字は、二人がよく使う日本語で書かれたものだったのだ。


 ロラン商会から帰る足がどんどん早くなる。


 祖父の書き付けはたくさんある。たくさんある中で、私が読めないものを、今あちらに運んでいる最中だ。


「アリスちゃんいらっしゃい」

 スミレさんが眼鏡をかけて祖父の書き付けを睨んでいた。

「こんにちはスミレさん。あちらは終わりました」

「よかったわね、協力してくれる人がたくさんいて。ロラン商会さんとはこれからも上手くやれるといいわね」

 アリスは頷いてスミレの隣に座ると、同じように書き付けを読み始めた。


「ここの中だと古い文字も読みやすい文字になるから助かるわ。ほとんどが薬草の分量の実験みたいね。すごく、研究熱心な方のようだわ」

 日本語を書いていたのは、たぶん祖父でなく祖母。ルコ、と呼ばれた祖父が連れてきた人だ。

「ほら、この表。分量を少しずつ変えて、効果の変化を確認してるの」

「低級回復薬ですね」

 アリスの回復薬、つまりは祖父の回復薬の手順を驚かれたが、その原因はたぶんこの書き付け。ルコの仕業だ。祖母が細かく実験を繰り返し、より効果のある回復薬の作り方を探っていたようなのだ。

「対照実験を突き詰めていっているのよね。素晴らしいし、根気のいる作業だわ。この回復しているという感覚は感覚でしかないからね。回復量が小さいならばなおのことだわ」


 面白い面白いと、スミレは紙を次々めくっている。


 しかし、なぜこちらの人だったルコがアリスの世界にいたのか。

 つまり、祖父と一緒にこちらからあちらに渡ったということだ。


「それも古い分?」

「はい、戸棚の一番奥の物です」

 あちらでまったく読めなかったから、ルコの書いたものなのだろう。


 ぺらりとめくってみると、日付と、アリスの世界のことについて書かれていた。

 祖父の両親。アリスからしたら曾祖父母について、近隣の人について、世界について、そして、魔物について。


『キースは大丈夫だと言う。ご両親も不審には思っているが、私を責めるようなことはなかった。森で待っていたあの恐ろしい時間に比べればここは極楽だ。とにかく早く慣れなければ』


「おじいについて書いてあります」

「そう……アリスちゃんが最初に読むのがいいと思うわよ」


『料理は下女がほとんどやっていたが、暇だと言って手伝っていてよかった。野菜は姿形が違うのでとんでもない料理を作らないように気をつけねば』

『近所の子どもたちが、私を貴族だと思っているようだ。むちゃくちゃな丁寧語で話してくるのが面白い』

『キースと一緒に森に出かけた。キースは強い。私の体力がまったくないのでかなり気を遣わせてしまった。鍛えなければ』

『臨時収入だとかで、キースが砂糖を買ってきた。クッキーをねだられた。あちらで何度か作った物を食べて、喜んでいたが、そこまで好きだったとは。粉は同じようなので作ってみたら案外上手くいった。ソフィアさんにも褒められた。カールさんは甘い物は得意ではないようだった』

 祖父と祖母の私生活を覗き見ているようで後ろめたい。

 アリスが読み終わったものを、スミレが受け取り読んでいる。


『キースが冒険者は辞めると言った。カールさんとソフィアさんもそれがいいという。冒険者はどうしても死がまとわりつくと。薬師の仕事を継ぐという話になった。森でキースが材料を集められるので、上手くいけば利益は多くなるだろうという話だ。森で魔物は狩れないが、薬作りなら手伝えそうだ』

『魔力がなく、錬成陣が反応しない。カールさんとソフィアさんは私を慰めてくれた。魔力の大小は生まれつきなのだから、仕方ない。薬草を切ったり等の処理は魔力を使わないので、それでキールの手伝いをしてあげればいいと言ってくれる。本当に優しいご両親だ』


『魔力がないのは当然だ。私は……』


『あの日以降、キースは開けていない。もう向こうに私がいないからだというが、そうではないだろう。たぶん、私を連れてきたことで、キースは力を失ったのだ』


 ふうと、息を吐いて、スミレの用意してくれたお茶をいただく。

 渡した紙をざっとみて、スミレもまたお茶を飲んだ。アリスよりもずっと読むのが速い。


「お爺さんは、もう、能力がなくなっていたのね」

「たぶん、そうだと思います」


 たぶん、きっと。

 ルコをこちらに連れてきて、力がなくなった。




 バン、と扉が開かれる。トシだった。

「気になる話を仕入れてきたぞ」

「こちらもだいぶ核心に触れたと思うわ」

「神主のところの婆さんが年寄り過ぎて話が進まなくって難儀したぜ」

 最後の席に座ると、スミレの入れたお茶を一気にあおる。


「前に、ここの家は親の持ち物だって言ったろ? その親も親戚からもらったんだが、ここら一帯元は大地主の持ち物だったんだ。だが、その大地主が没落しちまってな、土地が切り売りされて今に至るってもんよ。ここら辺は前から聞いてたことだったんだが、その大地主さんについて面白い話を聞いてきた」


 農業だけでやっていた地主の内情は厳しいものだった。火の車だ。そんなとき、結婚していない下の娘との縁談が持ち上がった。かなり年のいったお相手だが、話がまとまれば支援を約束してくれると言う。

 嫌がったのは下の娘本人だ。それも最初はしぶしぶだが同意していたのに、途中から頑なに拒否し始めたのだ。

 とはいえ、その時代の縁談は親が決めるもの。本人の意思は無視され、結婚前夜。


 花嫁は閉ざされた部屋から忽然と姿を消した。


「その花嫁の名前がな、これを聞き出すのに一時間かかった」

 トシは心底疲れたとため息を吐く。


「薫子。かおるこ、だとよ。ルコだ」


 祖母は、こちらの人だったのか。

ブックマーク、評価、いいねをしていただけると嬉しいです。


物語が核心に触れ、少しずつ進み始めました。

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