2話 珍しいメイドのキャバ嬢
遡ること10年前。
「お前さぁ、このままちゃんとできないと原隊復帰させるぞ?」
「はい……すみません」
「すみませんじゃねえよ、やる気あんのか?」
「はい……」
自衛官だった頃の僕はとある教育訓練を受けていた。
けれど元々不器用で要領が悪かったので他の隊員達より浮いていた。だからエース(出来損ない)の烙印を押されてしまい、教育してくれている班長から怒られて詰められる毎日を送っていた。
「早く休日にならないかな」
教育中、居心地が悪くてこれがつい口癖になっていた。
そしてやっと待ち望んだ休日になり、仲の良い同期と外出した。
だがこの日、僕は途中で同期と別れて別行動をした。
何故なら僕はエースだから同期と居ることが気まずくて、とにかく一人になりたかった。そしてネットカフェで漫画を読んで、あとは狭い空間で体を小さく丸めて寝ていた。
けれどこの時、頭の中で毎回考えることがある。
『自分の居場所はどこにあるのだろうか』
この自問から徐々に思考が広がって自分を客観視する。
僕はいわゆる社会不適合者だ。
社会のルールに従う事に抵抗を感じる。
自分のしたいようにしたい。
だが、そうは言っても頭も悪いし学校も中退した。
得意な事もやりたい事もない。
凡人、何者でもない存在。
そしてこんな自分を唯一受入れた自衛隊ではエース
「やっぱ人生詰んでるなぁ、将来どうなるんだろ」
結局この結論に行き着き、眠りにつく時に不安になる。
誰かにどうにかしてほしい、誰か僕に優しくしてくれ
……。
セットしたアラームできっちり目が覚めると、さっさとネットカフェを出て駐屯地に向かう。
また明日から怒鳴られる地獄の日々が始まると考えると本当にきつかった。だけどこの帰り道の途中でどうしても夜の街の通りに差し掛かる事があったので、そこに居る人々の様子を観察した。
若い男女が腕を組んで楽しそうに歩いていたり、ガラ悪そうなキャッチの店員が威勢よく調子がいいことを言って客引きしたりしている。
その様子がとても自由で楽しそうに僕には見えた。
『ちょっと寄り道してこうかな』
僕は当時、酒と煙草は苦手だし夜の街も怖くて行けない――なのに向かった。
要するに魔がさしたって事だ。
多分人が堕ちる瞬間というのは追い詰められてる時に、ほんの少しだけ興味が湧いた瞬間なのだと思う。
だから今追い詰められてる人に告ぐ。
こういう精神状態の時に夜の街に赴くのはオススメしない。
……。
さて、
夜の街が初めての僕は何も知らないので、わざと交差点に立っていた黒服のキャッチの男に捕まるように歩いて、それから店に案内して貰う事にした。
危険じゃないかって?
確かに、東京にあるアジア最大の歓楽街の歌◯伎町ではそうだろう。
実際、のちに僕が関東に部隊を転勤した時に、先輩が歌舞伎町に行ってキャッチの案内する店に行ったところ、とんでもない額のボッタクリに合ってお金を巻き上げられたりした。
だが、たかが地方の田舎にある歓楽街ではあまりそのような話はない。
あとは事前情報で、夜の街に詳しい同期の隊員が居て、そいつがこの辺りの飲み屋をあちこちリサーチして「〇〇の店が安くて雰囲気が良い、□□って名前の店は高いから案内されても行くな」とか休暇中にベラベラ会話してたのをちゃっかり僕も聞いていた。
持つべきものは情報通の同期だ。
僕は黒服に同期からの評価が高い店の名前を告げた。
すると黒服の男は「あーやっぱそこっすか」と言って顔を残念そうに歪ませだ。そして次にしつこく「ウチの店はどうですか?」と何度も言った。
僕は性格が優しかったので悩んだ。
なんだが自分がこの男に対して申し訳無い事をした気分になる。あと僕は推しに弱い――そして負けた。
「あざす! 安くしときますから!」
「どうも……(ここに行く予定じゃなかったのになぁ)」
大抵こういう時はよくない事が起こりそうだ。
外出先ではトラブルに巻き込まれたりなんかしたら原隊復帰――不名誉だ。そして処罰を受けてしまう。
僕は黒服に掴まった事を後悔した。
やっぱり今日は同期と一緒に過ごして居た方が良かった。
……。
「いらっしゃいませー♪」
「この人初めてのお客さんだからサービスしてあげて」
「あ、はいわかりました」
黒服に案内された店に入ると、やたら声が可愛い女の子が会話しているのが聞こえた。
それから四角の枠で仕切られただけの、奥の席に案内された。因みにこの時、周りにはお客さんが居なくて僕一人だけだった。だからなんだか、この時点で嫌な予感がビンビンした。
もしかすればトンデモない化け物……じゃなくて、あまりサービスのよくない女の子が接客に来るかもしれない。けどもう席に座ってしまったので逃げられない。
「はじめまして、アイっていいます、よろしくお願いします」
「えっ? メイド?」
良かった、ホッとした。幸い僕の元に来た女の子は可愛い容姿で当たりだ。だけどこの時、何故か珍しいメイド服を来ていた。ここはメイド喫茶なのだろうか
「えっ? いやいや違いますよ、ここはキャバクラです」
「そうなんだ」
※キャバクラとはお客さんの横にキャストが座ってお酒を作ってくれて接客するタイプの店。
「君はなんでメイド服着てるの? キャバクラっていったらドレスとか着てるイメージなんだけど」
「えぇ? だってドレス高いですし、メイドの方が可愛いじゃないですか。それとこの店変わってて、全員好きな服を着て接客していいんですよ。ところで飲み物は何にします?」
そう聞かれて僕は何にしようか悩んだ。なにせビール以外の酒を飲んだ事がなかった。
だが、そんな時頭の中によぎっだのは、よくドラマとかで「〇〇のロックで」と言って注文していた場面だ。なのでそれを真似して注文した。
「ウィスキーのロックで」
注文を受けると、アイは手際よくお酒を作る準備を始めた。
小さいコップ(※ロックグラス)に丸い大きな氷を入れて、ウィスキーを適量入れてマドラーでかき混ぜる。その様子に僕はなぜだか見惚れた。
「はいどうぞ〜」
「ど、どうも (これがウィスキーのロックってやつ? 量少なっ!)」
当時は酒に興味がなくて無知だった。なのでこのあと恥をかいた。
「私もドリンク頼んでいいですか?」
「えっ……あぁうん、いいよ」
アイは自分の分のお酒も作り始めた。
確かこの時アイが使ったお酒は梅酒のロックだったと思う。それと、メイド姿の女の子がお酒を作ってる姿を目撃したのは後にも先にもアイだけで、物珍しくて強烈に僕の印象に残った。
だからおそらく10年後の僕がメイド服やゴスロリが好みなのは、アイのせいだろう。
さて話を戻すと、ここで乾杯をした。そして僕は普段飲み会でやるみたいに、酒――ウィスキーのロックを一気飲みした。
目茶苦茶きつかった。寧ろマズイ。
アイも驚いた表情をしている。
「へぇ、そんなふうに飲む人初めて見ました」
「えっ、もしかして違う? これが普通だけど(強がり)」
「へぇ、そうなんですね。お客さんお酒強くてすごいです。けど私もけっこうお酒強いんですよ」
アイも酒を一気に飲み干した。
「ね?」
「うん、強いね」
「もう1杯どうですか? あと私も頂いていいですか」
「えっ……あぁうん」
「あと、あんまし一気に飲んじゃうと酔って会話できなくなっちゃいますよぉ?」
「それもそうだね、ゆっくり飲むよ」
「その方がいいです……はいどうぞ♡ かんぱーい」
因みに、後に知ったことだが、ウィスキーのロックは人それぞれ飲み方があるが、基本は少しずつ香りや味を楽しみながら飲むものだ。そのことを多分アイは知っていてやんわりと指摘してくれた。
「あっ、そうだ。お名前伺ってもいいですか?」
「僕は……ハヤシ」
「へぇ、ハヤシさんですか。それじゃもう一度かんぱーい♪」
これが僕とアイ――以下バラちゃんとの出会いであり、後に彼女は僕に苦い思い出を残すことになるのだった。