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ある聖人の死

作者: 雉白書屋

 駅近くに新しくスーパーがオープンするということで来てみた。

 ……が、店の前に集まった、人、人、人。この大人数。今日が日曜日で混むだろうとは思っていたが、まさかこれほどとは。

 そして、中には知った顔もあり、小学生時代の縁日さながら「ああ……」や「おぉ……」と、どことなく気恥ずかしいところである。なので、俺は自然と顔を伏せがちにしているが……。


「あらぁ、ご主人ねぇ。奥さんは一緒じゃないのぉ?」


「ああ、ご近所の。どうも、ははは……」


 そう感じているのは俺だけだろうか。

 しかし、俺の母といい、この年代の女性は人に話しかけることを善行のように捉えているのか、壁やまったく抵抗などないのは何故だろうか。

 近所付き合いは妻に任せきりなので俺に話しかけてきたこの初老の女性の名まではわからない。

 そしてその妻は今、家でくつろいでいる。もしもこの世界がことわざ通りになるとしたら、今頃妻は牛になっているだろう。その兆候は見られる。あのデカイ尻に敷かれているつもりはないが、今日は仕事が休みということでお前が行ってこいと言われ、俺はここに居るのだ。休みは休むべきだと思うのだが闘牛と議論を交わす自信はなかった。


「――でね。ほんとあの家のジジ、あ、時間よ! じゃあね!」


「オープンです! ありが、あ、あ、押さないでください! あ、あ」


 店長らしき男は『へへへへ、困っちゃうなぁ』といった笑みを浮かべ、客波に押され揉まれ仰け反った。

 客のその勢いは汚濁に増水した川を想起……とまではいかなかったが、きゃははははと嬌声と浮かべた笑みはどこか狂気的であり、背筋をゾクッとさせた。

 餓鬼だ餓鬼。ぷっくり膨れた腹は胃下垂か。中年、初老の餓鬼が通る。

 

 と、俺も中に入ったが、なるほど一階建てだが中々広いスーパーだ。

 開店から数分も経つと波は収まり、ガヤガヤとまた縁日のような雰囲気。

 和やかだがしかし、そうのんびりはしていられない。オープン初日の激安特価。これを買って帰らずして妻になんと言う。気圧され、出遅れはしたが流石にまだ間に合うだろう。ええと、まずは――


「きゃあああああああ!」


 野菜か肉か魚かカップラーメンか。そう思ったのだが足は自然と悲鳴が上がった場所へ俺を運んだ。


 レジ近くのやや開けた通路。その人だかりの中心で、一人の男が仰向けになり倒れていた。手足は伸びきり、口は半開き。おまけに目も開いていたがまるでそれは


「し、死んでる!?」

「ど、どうして?」

「誰か見てないのか!」


「そ! その人ねぇ! 突然、よろけたと思ったらそのまま倒れたのよ!」

 

 むん! 私見てたわ! とばかりに胸と腹を突き出してそう言ったのは、先程俺に話しかけてきたあの初老の女性。駆け付けた店員と店長にペラペラと同じことを話した。

 遠くではチラチラとこちらを見て足を止める客たち。棚の陰からジッと見る者も。

 俺は少し、背筋を伸ばした。


「と、とにかく救急車を! あ、でも、あ」


 店長がそう言った。額に浮かぶ汗が店内の照明でキラリと光る。


「もっと下がったほうがいい。毒、ウイルスかもしれん……」


 人だかりの中にいた男がそう言うと、またその中からひぃ、と短い悲鳴が上がる。そんなことあるはずないとわかっていても俺も腰が引けた。


「そ、そんな、いや、あるわけないじゃないですか!」


 せっかくのオープン初日だ。ウイルスだ何だでぶち壊されることを恐れたのだろう、店長はそうきっぱりと否定したが声は震え、死体に近づこうとはしなかった。


「わ、私、し、死体なんて初めて見たわ、もう嫌」

「大丈夫よミコちゃん。大丈夫……」


 中学生くらいの娘とその母親だろうか身を寄せ合い、そう呟いたが、この場から離れようとはしなかった。そう、誰もだ。誰も離れようとしない。むしろ近づこうとした者がいたが店長がそれを制した。

 大丈夫ですのでどうぞお買い物を続けてください、と促すがやはり皆、離れようとしない。 

 と、そこで俺は妻から買い物を頼まれていたことをハッと思い出した。なので最後に死体に手でも合わせ、この場を離れようと思った。が……。


「あれ、この人」


「え、知ってるんですか!」


 店長が目を見開き、俺にそう言った。俺はボソッと呟いたつもりだっただけに、その勢いに押され、少し戸惑った。


「あ! そ、そうよ! わ、私も知ってるわ! この人、あれよね! あの、えーとっほら、朱色の屋根の家の人よね! ご近所さんよご近所さん!」


 その隙をつくように、あの初老の女性が鼻息荒くそう言った。

 それで完全に思い出した。そうだあの家のオヤジだ。耳が遠いせいかデカい上にガラガラの声。いつも薄汚れたベージュのキャップを被っていて自分の家の前をウロチョロして通りがかった人に声をかけるのだ。


「あらぁ、良い人だったのにねぇ……」


 え?


「あ、私たちも知ってるかも。ね! ミコちゃん。気さくな良いオジサンだったよねぇ!」

「う、うん……」

「あ、おお、あのオヤジか、俺も昔世話になったんだよなぁ」

「そう言えば僕も昔、自転車を直してもらったなぁ」

「あら、あの家の人……いつも元気で明るかったのに」


 死体を囲んでいた人たちが次々と死んだ男について語り出し、さらにちらほらと俺も知ってる! と何人か加わった。


「あ、そういえばその、心臓が悪いとか」


「え、本当ですか!?」

「あ、私、聞いたことあるかも!」

「そう言えば救急車がこの人の家の前に停まっていたことあったような」

「じゃあ、あの混雑で?」

「胸を圧迫されてそれで……かな」

「可哀想に……」


 と、俺が最初にこの男を知っていると言っただけに、何か情報を出さなくちゃいけない気分になり、そう言ったが実際は知らない。まあ、急に倒れたのならきっと心臓だろう。


「そう言えば、倒れる時胸を押さえていたような」

「ああ、俺も見たぜ。すげー苦しそうだった。可哀想になぁ」

「奥さんとかいないのかなぁ」

「いたけど離婚したとか」

「あら、確かお亡くなりになったのよ。時々寂しそうな目をしていたわ」

「ああ、哀愁があったな。物静かで渋い男だった」

「昔、確か市長から賞をもらったとか」

「ああ、ええと確か人命救助とかで」

「聖人じゃないか。どうにか助けてあげたかったなぁ」


 涙ぐみ、手を合わせる人々。生花コーナーから持ってきたのか若い親子連れが死体のそばに花を添えると、自然と花以外にも酒やお菓子が添えられた。

 店長は一瞬何か言いたげな顔をしたが、止めるのも野暮と判断したのか目を閉じ、我々と一緒になって手を合わせた。

 場所的に立ち寄りやすかったようで、このスーパーの買い物客による献花は続々と集まった。


 やがて店員が呼んだ救急車が店の前に到着すると我々は彼に抱擁、額にキスをし、別れを告げた。


「ありがとー!」

「ありがとなー!」

「安らかにー!」


 救急車に彼が収容されたあとも、しばらくは耳の奥で鳴りやまないサイレンの音に目を閉じ、思いを馳せた。

 その後、店内は何事もなかったかのように元に戻った。が、特売品はすでに売り切れ、俺はトボトボと帰宅する羽目になった。


 家に帰った俺は妻に音のあらましを説明したが妻はモォォォォと一鳴き。特売品を買って帰るという使命を果たせなかった俺にご立腹のようだった。


「で、でもさ、花とかがさ、そのちょっと感動的でさ……。

ほんと惜しい人を亡くしたというか。救急隊員の人もね、察してくれたのか『乗りますか?』って言ってくれてね。ああ、そういえば現場を発つときも俺たちのためにゆっくりと走ってくれたんじゃないかなぁ……」


「……は? それって近所のあの鼻つまみ者のクソジジイでしょ?

あなたも休みの日だってのにうるせえなぁとかボヤいていたじゃない。

こういっちゃなんだけどこれで静かになるわねぇ。まあ、本当ならの話だけどね。あなたの言うことだし、あまり期待しないでおくけど」


 そうだった。あれは最低のクズ人間だった。

 ガラガラ声で自分の家の前でよく人に声をかけベラベラお喋り。うちはその家から三軒ほど離れているのだがそれでも声が届く。朝、それに休日と俺が知る時間帯以外もうるさいようで妻がよく愚痴ってきていた。

 おまけに家の庭に作業場などがあるらしくチェーンソーか何かで木や鉄などを加工する音がする。元々は大工だったとかどうとか、まあよくは知らない。話す人がいなければバイクを吹かすし、ゴミは溜めるし、他人のゴミの中からフライパンなど鉄や木の製品を持って行ったり、世話を焼いている気になっているのか勝手に庭に入り庭木を切ったりと少なくとも聖人などではない。あの初老の女性も嫌っていたはずだ。聞き流していたから確かではないが開店前にも俺に愚痴を言っていた気がする。


「あら! このニュース、あなたが言ってたやつじゃない!? へぇーホントだったのねぇ」


 テレビに映るアナウンサーは地元で親しまれる名物親父の死。などと述べていた。

 過去に県知事から賞も貰ったことがあると言っているが多分、いや、確実に嘘だ。

 尤もあとでわざわざ訂正などしないだろうが。


「もぉぉぉぉ、買ってきたやつは買ってきたので頼んだのと違うじゃない! このお菓子じゃないわよぉ!

人に配るやつなんだからね! ちゃんとしてよねもぉぉぉぉ! 私の評判に関わるじゃなぁぁい!」

 

 多分、こんなニュースは世の中にいくつも転がっているのだろうと俺は思った。

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