この国で一番野蛮だと噂の、次期辺境伯様に嫁ぐよう命じられました
この国で一番野蛮だと噂の、次期辺境伯様に嫁ぐよう命じられました
「わたくしって、やはり気が利かないのね。
手加減せずに試験を受けたりして。
王太子殿下に対する配慮が足りなかったわ……」
「更には何の罪も無いわたしを巻き込むなんて……」
同乗するメイドが冷たく言い放ちます。
わたくしたちを護送する馬車は一路、辺境伯領を目指して走り続けておりました。
わたくしの名は、マルグレート・プライセル。
さる王国の公爵家の末の娘として生を受けました。
プライセル公爵家はここ数代、非常に安定していて、わたくしの政略結婚を必要としておりませんでした。
おかげで物心ついて以来、好き勝手をさせて頂いております。
わたくしは母国の王立学園には入らず、大陸でもっとも先進的な文化を誇る帝国へ三年間留学していました。
そして、十八歳までに済ませることが定められているデビュタントを機会に帰国したのです。
それで、ついでと言っては何ですが、王立学園の卒業試験に挑戦することになりました。
帝国で学び、専門課程をいくつか修了したわたくしです。
特に母国での学歴は必要なかったのですが、幼馴染の王太子殿下から揶揄い半分で挑まれたものですから、つい受けてしまいました。
結果は、他を大きく引き離して一位。
今まで一位を取り続けていたという殿下が二位になって、呆然となさっていました。
王立学園たるもの、採点は厳正であったはずと思うものの、少々引っかかりました。
王太子殿下はご幼少のみぎり、本当に馬鹿たれで対処に困ったものです。
それがどうやって、王立学園で一位を取り続けるような賢さを得たのでしょう。
いくら良い家庭教師をつけて教育したにしても、ここまで到達するとは思えません。
まさか不正? と思いはしましたが、王立学園ではわたくしは完全なる部外者。調べるにしても、取っ掛かりすらありません。
その後しばらくして、王城で成績上位者を表彰してくださるというので、ノコノコ出かけて行ったわたくしは、王太子殿下の独り舞台でいいカモにされてしまいました。
「帝国の教育は流石だね。
この僕を負かすくらいなのだから」
殿下は、すっかり立ち直っており、誉め言葉だか貶し言葉だかわからないことを口走りました。
この前の、呆然とした様子は演技だったのかしらと疑ってしまうくらいです。
「こんなに学のある素晴らしい令嬢には、是非、我が国のために働いてもらいたい」
「お仕事をいただけるのでしょうか?」
帝国で学んだ知識を活かせるのなら、働くことにも異存はございません。
この国では若干、公爵家出身という身分が邪魔なので、デビュタントを済ませたら帝国に戻り、文官の職を探そうかと思っていたのです。
そういうことなら、この国でもお役に立てるかしらと、わたくしは希望を見出しておりました。
ところが……
「ああ、大事な仕事をあげよう。
まあ、令嬢の仕事と言えば決まっているだろう?
政略的に婚姻を結び、婚家と夫に仕えることだ。
お前は、辺境伯家嫡男に嫁ぐがいい」
広間に居並ぶ貴族たちの多くが息を呑みました。
それもそのはず。
辺境伯家嫡男といえば、この国で一番野蛮な男として名を馳せているのです。
それにしても、次期辺境伯様の野蛮さはどれだけ有名なのかしら?
幾人かのご令嬢がお倒れになって、担架で運ばれて行きました。
しかし、他人の心配をしている場合ではありませんでした。
父公爵は何か言いたそうでしたが、公衆の面前で王太子殿下に逆らうことは出来ません。
そして貴族令嬢たるもの、家長の決定には従うしかないのです。
書類は整えられ、馴染のメイド一人を供に、わたくしは当日のうちに辺境伯領へ送り出されました。
ありがたいことに、王太子殿下の命で手配されたにしては、なかなか快適な馬車です。
護衛もしっかり付けられております。
とにかく、確実にわたくしを辺境伯領へ追いやりたいという意志を感じました。
十日後、とうとう馬車は辺境伯領に到着しました。
隣領との境界上で、わたくしは辺境伯家から来た迎えに馬車ごと引き渡されます。
帰っていくのは馬に乗った護衛のみ。
ということは、この快適な馬車と巧みな御者は、辺境伯家所有なのかしら。
「久しぶりだね。会いたかったよ」
馬車の扉を開けて、挨拶をしてきたのはストレートの銀髪に理知的な緑の目の若い男性。
彼こそが国一番野蛮な男と大評判の次期辺境伯ホルスト・ローゼンメラー様です。
「お久しぶりでございます。それから、わたくしに社交辞令は要りませんわ」
「デビュタントのエスコートに行けなかったから、拗ねているのかな?」
「まさか。それより、あの時は素晴らしいブーケをありがとうございました」
「いやいや、君の美しさには、どんな花も霞んでしまっただろうけどね」
デビュタントの夜会には、彼から贈られたブーケを持って入場いたしました。
王都では珍しい花が使われており、注目の的でしたわ。
メイドのヴェラが、割って入ります。
「痴話喧嘩は結構ですから、早く休める場所にご案内願います」
「君のメイドもいつも通りだね。しかし、もっともな意見だ。
すぐに出発しよう」
新たに付いた辺境伯領の屈強な騎士たちに護られ、馬車は飛ぶように走ります。
実はホルスト様とは帝国でお会いしておりました。
わたくしより五歳年上の彼は、留学生ではありません。
以前から友人関係にある帝国の第三皇子殿下を頼り、一年間滞在しておられました。
丁度、わたくしの留学二年目のことです。
目的は、国外での人脈作りだと伺いました。
彼という男性は、真面目な話をする相手としては非常に素晴らしいのです。
学問や現状の国家問題などを語り合うと、様々な視点を提示してくれるので、とても参考になります。
しかし、雑談の類になると妙に軽いのが玉に瑕。
美麗で理知的な雰囲気がもったいないな、と呆れ半分で、そのお顔を見ていたのを勘違いされてしまったのでしょうか。
そのうち事あるごとに、わたくしを口説くようになりました。
きっと、他のご令嬢方にも、そうして接しているのだろうと思いましたので、適当にあしらっておりましたけれども。
わたくしにとって彼は、美しく知的で、さりながら時に軽すぎる言動が気になる友人です。
このイメージは、国一番の野蛮な男とは明らかに乖離しております。
長く国を離れていたわたくしは、ホルスト様が国一番の野蛮な男という称号で通っていると知り、ずいぶんと驚いたものです。
確かに、彼は頭脳だけではなく、武芸にも秀でています。
帝国で開かれた夜会に連れて行っていただいた際も、無体を働こうとした酔漢からスマートに守ってくださいました。
軽い方という見方を考え直した方がいいと思うくらい、格好良かったですわ。
もっとも、その後はいつも通りだったので、考え直す機会を逸しました。
ご友人の第三皇子殿下も存じ上げておりますが、こちらもどこか軽い方でした。
おそらく、悪友と呼んでいい部類の友人同士なのでしょう。
「美男美女で絵になるねぇ」
「羨ましいだろう?」
なんて、由緒ある夜会で身分ある方がする会話としては、軽すぎると思いますわ。
さて、王都からはるか遠くの土地に嫁がされたわたくしですが、実際は驚くほど快適に過ごしております。
お部屋は広く美しく、調度は趣味良くなかなかに豪華。
メイドも何人も付けていただいて至れり尽くせり。
しかも、わたくしが連れて来たメイドのヴェラが采配を任されたので、不安や煩わしさは全くありません。
「次期当主の妻だぞ。当然の待遇だ」
なんておっしゃって、彼はわたくしを甘やかす甘やかす。
突然、王家に命じられた婚姻なのに、とても不思議です。
「まあ、このドレスは帝国で先ごろ発売されたヴェール絹でございます。
希少で高価な、人気の品です。
あっ、これも! このレースはブラン山脈の伝統的なもので、製作に時間がかかるので非常に高価な……」
なんと、わたくしのクローゼットには超高級な衣類やらジュエリーやらが満杯。
ファッションオタクのヴェラは興奮して今にも鼻血が出そうなので、念のため鼻と口を布で覆いました。
こんな立派な品を自分の不注意で汚したら、ファッションの神様に顔向けできないそうです。
『主人に申し訳ない』ではないのが彼女らしいところです。
ともかく、わたくしはこれまで、あまり身なりに気を遣わなかったので、こんな高級品を身に付けるのは初めてでした。
公爵令嬢なのに身なりに構わなかったというのは、別に虐待されていたわけではありません。
子供のわたくしに、お父様は仰いました。
「お前にかけられる予算は決まっている。
その予算内で、どういった道に進むのか自分でよく考えなさい」
お兄様やお母様にも相談した結果、わたくしは着飾ることよりも、学問をすることに予算を使わせていただくことにしました。
そして、最終的に帝国に留学したというわけです。
「最高級の絹というのは、こんなに柔らかいものなのですね。
本当に肌触りがいいわ」
メイドが選んでくれたアフタヌーンドレスに身を包むと、思わずそんな言葉が出ました。
「マルグレート様、よくお似合いですよ」
いつも辛口のヴェラが褒めるということは、本当に似合っているのでしょう。
「せっかくですから、ドレスをお披露目いたしましょう」
「お披露目?」
「ホルスト様は、騎士団の訓練所にいらっしゃると伺っております。
御夫君を激励に参りましょう」
そうなのです。
書類上はすでに、わたくしたちは婚姻関係にあります。
しかし、到着した日に、ホルスト様が仰いました。
『半年後に婚姻式を挙げるまでは、婚約者として扱うから』
すぐにあれこれと急かされることなく、わたくしはホッとしたものです。
用意された馬車で訓練所に向かいますと、丁度、ホルスト様は一対一の剣試合中でした。
相手の方もとても強かったのですが、彼の気迫が一歩勝っており、目の前で勝負がつきました。
思わず拍手をいたしましたら、わたくしに気付いたホルスト様が先ほどとは打って変わった優しい笑顔で近づいて来られました。
「見に来てくれたのか?」
「見に来たというか、見せに来たと言いますか……」
「ああ、そのドレス、よく似合っている」
「あ、ありがとうございます」
前はただ軽いだけに見えていた彼の笑顔が、真心のこもったもののように見えて戸惑いました。
「ホルスト様、マルグレート様が差し入れをなさりたいとのことでしたので」
あら? いつそんなこと言ったかしら?
ヴェラが、いつの間にか用意したバスケットを差し出します。
中身は何かしら?
「まったく、少しは演技をしたらどうだい?」
バスケットを凝視していたら笑われてしまいました。
本当にそうですわ。
メイドが気の利く妻を演出してくれたのに、わたくしったら台無しにしてしまいました。
「そういう正直なところもいいけどね」
ほら、やっぱり軽い! でも、なんだか少し顔が熱くなりました。
騎士団の建物内にある執務室で待っていると、着替えた彼がやってきました。
ヴェラが持っていたバスケットの中身は、お茶菓子とサンドイッチです。
武骨な執務室の打ち合わせ用のテーブルも、彼女の手で見事にセッティングされました。
この働きも、主人であるわたくしの手柄になるかと思うと、ちょっと申し訳ない気がします。
だって、わたくしは指図すらしていないのだし。
もっと気の利いた主人になりたいと思わなくもないのです。
「気が利かないと言えば……」
「ん? どうした?」
「差し入れなら、他の騎士の皆さんにも持って来なければいけなかったのではありませんか?」
「必要ないよ。うちでは食事も間食も、充分に用意しているから」
「では、ホルスト様も差し入れは要らなかったのでは?」
彼は真顔で答えました。
「いや、それとこれとは別だ。
君の顔を見られる時間が増えるのは、とても大事なことだ」
あら、まあ。何と答えたらいいのか困ります。
これは、話を逸らすのがよさそう。
ものはついでです。気になっていたことを訊いてみることにしました。
「王家の決めた婚姻相手に、どうしてこんなに良くしてくださいますの?」
ホルスト様は目を瞠った後、視線を天井に向け、そしてわたくしに戻しました。
「実は、王家が決めたんじゃない」
「それは、どういう意味でしょう?」
「いや、決めたのは王家というか王太子殿下だ。
だが、そうなるように私が手を回した」
「え?」
「王太子殿下が将来の国王として不安な人材であるということは、周知の事実だ。
このままじゃいけない、とは皆が思っているが、その対策についてはいろんな思惑があって簡単じゃない」
現王の男子のお子は、王妃殿下の産んだ王太子殿下と、側妃様が産んだ第二王子殿下のお二人です。
年長であることと、王妃殿下の子であることから、彼をこのまま次王にするのが当然である、と考える者が多いそうです。
「……となれば、彼の足りない能力を補わねばならない」
なんと、執務を代行させるための王太子妃候補の筆頭に、わたくしの名が挙がっていたのだとか。
「君を王太子に嫁がせて、彼の不出来を穴埋めしようと考えた者がいたんだ。
だが、私はそれを邪魔することにした」
「どうやって?」
「君も気付いていただろう?
王太子殿下の成績は不正だらけだ。
もちろん、その不正に関わっている人数も少なくない。
彼の在学中に、不正に手を貸すことを断った教師は左遷されたそうだよ」
「まあ、そんなことが……」
「連中の計画では、君に試験を受けさせて二位を取らせるつもりだった。
あくまで王太子に花を持たせた上で、それに肉薄した才女を補佐にと勧める計画を立てた」
ですが、ホルスト様は人を使って王太子殿下の自尊心をくすぐり、帝国式の教育で自信を付けた令嬢など、きっと自分勝手をするに違いないと吹き込んだとか。
「王宮にも友人がいる。皆が協力してくれた」
結果、殿下の命令でわたくしは一位となり、邪魔にならぬよう、辺境伯領へと遠ざけられたわけです。
「大事な君に、つまらない苦労はさせたくない。
何もかも押し付けられて、さんざん働かされた挙句、王太子の失敗まで被せられかねないんだ」
「そうですわね。王太子殿下は、絶対に何か失敗するに決まっていますもの」
「素晴らしい信頼だね、少し妬けるよ。
それはともかく。
君を犠牲にしなくても、馬鹿王太子を引きずりおろして、側妃腹のまともな第二王子を担ぎ上げればいいのさ。
臣下も腹を括る時だよ」
「わたくしは助けていただいたのですね」
「どうだろう?
私の身勝手に付き合わされただけかもしれない」
彼はあまり軽く見えなくなってきました。
どうしてかしら?
「もう一つ、どうしてもわからないことがあるのです」
「なんだい?」
「なぜ、貴方は国一番の野蛮な男という称号になっているのですか?」
「ああ、あれか!」
ホルスト様は、声をあげて笑いました。
「今の辺境伯領騎士団は、私が父の名代として団長を務めている。
だが、全ての戦に出るわけではない」
作戦によっては、副団長が将となることもあるのです。
「それに、帝国に行っていた一年間は、副団長が団長代理を務めた」
副団長の方は、ホルスト様よりも脳筋寄り。
力尽くで勝利を収めることが多いそう。
「だが、南の小国の、更に小部族と戦うことも多いんだ。
血気盛んな者が相手だ。力での勝利ならば、納得して傘下に下る場合がある」
小部族からすれば、騎士団の命令系統など関係ありません。
自分たちを負かした敵の将こそが膝を折るべき相手。
というわけで、副団長は恐れられつつもうまく南で成果を挙げているのだそうです。
「それがこの国に伝わった時、当然、団長の私が力尽くで敵をねじ伏せているのだ、と誤解された」
「誤解をそのままに?」
「解きようが無いし、誤解させておいた方が都合がいい。
そのおかげで、君にここへ来てもらうことが出来たのだし」
王宮にいるご友人に、野蛮な次期辺境伯への嫁入りを仄めかしてもらったそうです。
「それでも、王太子殿下が、その通りに動いてくれるとは限らなかったのでは?」
「その時は、私が直接攫う覚悟だったよ」
「もしかして、ホルスト様はわたくしのことを……」
「そこからかい? まあいい。時間はたっぷりある。
最初から始めてもいいくらいに」
「最初から……」
察しの悪いわたくしに、彼は根気よく付き合ってくださるようです。
「あの時期に、帝国に行って良かった」
「人脈作りのためだったのですよね」
「ああ、丁度、他の国の友人たちも来ているから、と第三皇子殿下が誘ってくれたんだ」
「それは素晴らしいことですわ」
「本当にありがたかったよ。
でも、あの時、私が得たのは人脈だけじゃない。
君に会えた。
……私は一目見た時から、君に恋をしていた」
「……やっぱり、軽いですわ」
「え? そういうふうに見られていたのか」
「でも、嫌いじゃないです」
「それは、よかった……ほんとに?」
「ええ、どっちかというと……好き、です」
「あらあら、まあまあ、年寄りはお邪魔でしょうからね」と小声で言いながら、私より三つ年上なだけのヴェラが、そっと出ていきました。
「その、軽く見られていたとしたら、君の前では照れて、言動が上滑りしていた自覚はあるんだ」
「何か、素敵な言葉を返したいのですけど……わたくしって本当に気が利かないわ」
そう言うと、ホルスト様は「失礼」と断ってから、わたくしを抱き寄せました。
「君はそのままでいい。素直で、ありのままでいてくれ」
「でも、もっと年齢を重ねれば、ひねくれてしまうかも」
「私だって、もっと腹黒く権謀術数を巡らす男になるかもしれない」
「それもまた魅力的な気がしますわ」
「では、私はひねくれた淑女も愛すると誓うよ。
マルグレート、君を愛している」
わたくしも愛していると言いたかったのですけれど、それはもう少し先になりそうです。
今はただ、彼に包まれながら、その早鐘の鼓動に耳を澄ませるのでした。