メイズ・シルマティック
それから夕方まで、ルナーは私からぴったり寄り添うように離れなかった。
隣に椅子を並べて、体の一部を私にくっつけてくるルナーに
「ベッドで寝たりして、ゆっくりしててもいいんだよ?」
「いや、ダメだ。情けないかもしれないが、今更、祖国を裏切った不安が襲ってきている」
確かに、彼女が祖国を去る決断をしてまだ半日も経っていない。お風呂の気持ちよさで誤魔化しても、冷めればそうなるよね。
「そう……なんかごめんね」
「アイが謝ることはない。優柔不断な私がアイに選んでもらった結果だ」
「ちゃんと、お友達として裏切らないからね」
「う、うん……頼む。私もアイを裏切らないように頑張る」
重い……もしかして、とんでもなく重いものを背負ったのかな私……。いやいやいや、今更後悔しないし!どうせ祖国に帰ったら、両親が戦犯の学校中退者だし、こうなったからには、とことんこの人生をやりきるだけだよ!
ミッチャムが来るまではね!来たら思いっきり寄りかかるから!
そんなことを思いながら、夕方まで待っていると扉が叩かれてメイドではなくて、パンツ一丁のジョニーがゾンビのように入ってきた。
「あ、アイ……た、助けてくれ……記憶がフラッシュバックする……」
私はルナーに寄り添われながら、さらに縋りついてこようとするアホを手で払いのけようとしながら
「ジョニー、ちょっとそこに座って!」
二人同時はいくらなんでも無理だ。
「す、座るから、座るから助けてくれ」
珍しく言うことを聞いたジョニーが、床に正座すると
「……ば、ババアが……あの鬼ババアが俺の初めてを……」
「……」
そ、そうか……やっぱりお風呂場で……それはショックかもしれない。い、いやでも、よく考えれば違うのでは?
「ジョニー、よく聞いて」
涙目で正座しながら私を見上げているパンツ一丁のアホを見下ろしながら
「ノーカウントよ。そういうのは本当の愛がある同士がお互いの合意の上でやったからこそ、卒業するというものなの。あなたは強制的にただの素人童貞になっただけなの。気にしたらダメだよ!」
学校に行っていたときに聞いていた耳年増の知識を総動員して、できるだけ真面目な顔を作って言うと、ジョニーはハッと気づいた顔をして
「そ、そうだな……ババアの手でやられただけだし……うっ……くそっ。思い出したら吐きそうだ……」
ルナーがなぜか感心した顔で
「な、お前らなんかすごいな。私には何の話をしているのかすら分からん」
「う、うん……ルナーちゃんは気にしないでね」
ルナーはともかく、なんでジョニーのアホのほとんど自業自得の結果を私が慰めないといけないのかはわからないが流れでフォローしてしまい、私は深い後悔につつまれる。
隣の部屋からジョニーの服を取ってきて、すぐに着てもらっていると扉がコツコツと叩かれて「どうぞー」と返すと「失礼します」
若いメイドたちが三人ほど入ってきた。
その中の背の高い子が
「皆様、晩餐会の準備が整いました。公爵様御一族の出席者だけで行うので、服装はそのままでご出席可能です」
極秘の祝賀パーティーをする用意ができたらしい。
「はい。助かります」
そんなに仰々しい食事会ではないようだ。
公爵が気を使ってくれているのだろう。
「プリンストル様は、ご出席なさいますか?」
メイドから尋ねられたルナーが、意を決した顔で
「ああ、出席させてもらおう」
私の手をぎゅっと握りながら言ってくる。ジョニーは、何か深刻そうな顔をして黙り込んでいる。
三人のメイドたちにいざなわれ、晩餐会へと向かう通路の途中、ジョニーが珍しく真面目な顔で
「なあ、アイ、この世界には南の島はあるのか?」
「どうしたの?」
私もルナーも首をかしげる。ジョニーは深刻そうな顔で
「いつか、世界皇帝になったらバカンスに行きたいと思ってな。どんな国があるんだ?」
「えっと……確か、南の大陸に、パルマウ民主主義国家っていう変な国があるよ。国民で投票して、四年に一回王様を決めるっていう国」
「首都はなんていうんだ?」
いつになく真面目なアホに心配になり
「ジョニー大丈夫?熱でもあるの?」
ルナーが真面目な顔でジョニーに
「ソーラントだ。首都名はソーラント。パルマウ人のみでなく、他国からの移民も多い特殊国家だな」
「そうか。パルマウのソーラントだな。覚えておこう」
私は真剣な顔のジョニーを見て、また首をひねるお風呂場でのことがショックで、おかしくなってなければいいけど。
大きな会場へと私たち三人は連れていかれた。いくつも並べられた縦長のテーブルには、各種の色とりどりの料理が置かれ、バイキング形式で華やかな老若男女の貴族たちが談笑しながら食べている。ルナーがホッとしながら
「これなら、多少は人に紛れられるな」
「嫌なことはしなくていいからね」
「うん。ありがとう、助かる」
ジョニーは勝手に皿に料理を盛って食べ始めた。私とルナーも室内の隅の椅子に座って、取ってきた料理を食べていると、公爵がひとりで近寄ってきた。上機嫌に彼は私の隣に座り
「どうかな。この会場に居る人たちは、皆、僕の親戚なんだけど、気に入った男の子は居たかい?」
私が頭を下げてから
「いえ、そこまで見る余裕はないんですけど、私たちのために、気を使わないで良い会場を用意してくださってありがとうございます」
もっとフルコースの料理とか運ばれてきて
様々な貴族たちと顔を合わせを強制的にさせられるセレモニーとかやるのかと思っていた。
「いやいや、いいんだよ。姉さんたちは自領に帰っちゃったし、ママは無理させられないし、サウスはまた戦場だし、弟たちは仕事で忙しいから、とりあえず時間のある親戚たちをかき集めてみたんだ。顔見世程度の食事会ってとこだよ」
公爵はニコニコしながら、私越しに座るルナーを見て
「うちの国に居てくれたら、悪いようにはしないよ。今日約束したように、部下たちも順次開放していくし、ほら、君のドラゴンもあっちで大人しくしているようだよ」
「ダークウインド……」
ルナーが切なそうな顔をする。確かルナーのドラゴンの名前だよね。
そうか……ドラゴンとも会いたいよね……私もしんみりしていると、あちらからジョニーが、真っ白なドレスを着た背が高く長い金髪をなびかせた美しい女性に手を引かれてこちらへとやってくる。
彼女の顔立ちはまるで……宝石のようといってもおかしくはないと思う。あんな綺麗な人、私の人生で今まで見たことはない。
「おじさま!何でわたくしに英雄様をご紹介してくださらないの!?父から聞きましたよ!わたくしの結婚相手にふさわしいと!」
青い目を見開いて、少し怒った顔をしている女性に口の周りにケーキのクリームをつけたジョニーは唖然としていて公爵はたじろぎながら
「あ、ああ……えっと、僕の一番目の弟であるウエストの長女でメイズ・シルマティックだよ……」
メイズと言われた美しい女性は、半ば呆けているジョニーの両手を取ると
「英雄様!おじさまからご紹介に預かりましたメイズ、でございます。お近づきのしるしに、御手にキスをよろしいかしら?」
戸惑いながら頷いたジョニーの右手の甲に彼女はゆっくりとキスをして離した。
「ああ、良い香りがしますわ!おじさま、英雄様のお名前をお教えください」
ジョニーの手をつかんだまま、メイズは公爵の顔を見る。
「じょ、ジョニー君だよ。メイズ……あの、くれぐれも失礼のないように……」
「失礼など!ジョニー様!さあ、パーティーを楽しみましょう!わたくしの母上と兄弟も紹介いたしますわ!さあ、さあ!」
メイズはジョニーの手を引いて、風のように目の前から去っていった。
私とルナーと公爵は並んだまましばらく無言で座っていて公爵がポツリと
「メイズに捕まっちゃったかぁ……ジョニー君大変だなぁ」
「あの、とーっても美しい人でしたけど……」
私も一応、名家の出だが、子供のころに行った祖国の貴族たちのパーティーでさえ
あんなにも完璧な美しさの女性は居なかった。
「うん……綺麗だし才能にも溢れてるんだけど、こう、押しが強すぎてね。弟のウエストは、あの子に家督を継がせたがってるんだけど"自分は最高の男子の嫁になりたい"ってそればっかりでさぁ……」
ルナーは自分関係ない話なのでどこか安心した顔で手元の皿の料理を食べ始めた。
「あの、やっぱり魔力値とかも……」
小声で公爵に尋ねると、彼は苦笑いしながら
「ないない。うちは頭脳と肉体的能力の家系だからこないだ会議に出てた姉さんの一人が特異体質で二万ヌーレルあるくらいで。あの子は、三千五百ってとこだよ」
私は自分で聞いておいて、猛烈に凹んでしまう。そりゃ、ルナーよりは遥かに低いけど、私はあんな美人にも負けている。
「いや、でもアイちゃんはルナーさんも引き込んだ人徳が……」
フォローしようとした公爵は、即座にルナーからキッと睨まれて苦笑いしながら逃げるように立ち去って行った。
その後、会場内の様々な人々のところへと
メイズに連れまわされているジョニーをたまに眺めながら、とくに話しかけてくる貴族たちも誰もいない私たちは食べ物や飲み物を思い思いにとってきては、意味もないことを喋ったり、食べたりしながら過ごした。
そうこうしていると、涙目のジョニーがこちらへと駆けてくる。
「あ、アイ……メイズが、メイズが!俺と結婚して世界征服したいとかいうんだ!」
「はぁ……?あんたがいつも言ってることでしょう?」
呆れながらそう言うと、ジョニーは身振り手ぶりを交えながら必死に
「お、俺の好きな女はあんなハリウッド女優みたいなのじゃなくて!もっ、もっとアイとかみたいな日本人っぽい普通の見た目で!でも俺をいつも、優しく包み込むように見守ってくれるかわいい子で!」
一部意味不明なアホの発言に、もう言葉が出ない。いや、あれだけの美人が一発で惚れてくれた上に自分の理想と同じ考えをもっていて、しかも財産も権力も才能すらある公爵家の者でって願ったりかなったりな状況だと思うのは私だけだろうか。
呆気に取られていると、向こうからメイズが花が咲くような満面の笑みでドレスの端を両手で持ちながら飛ぶように駆けてきてジョニーの背中に勢いよく抱き着いた。
「ジョニー様!わたくしたちの結婚計画を立てましょう!わたくし、今日の夜にはお父様に、あなた様を紹介いたしますわ!」
ジョニーは混乱を極めた顔で私に向け右手を伸ばすと
「あ、アイ……アイ、俺もう、別の場所に……もう無理だ……」
私はジョニーの真意に気づいてしまった。そうかさっきの通路での会話は……。私は左手でルナーの片手をさっと握ると、ジョニーから伸ばされた右手を握り返す。
ジョニーは涙声で
「ワンダーワーズ、我移動せんと欲す……行先、パルマウ民主主義国の……えっと……ゾウランダー?」
次の瞬間、私たちは歪んだ空間に包まれていく。慌てた顔で駆けつけてきた公爵に向けて
「また帰ってきますから!大丈夫ですから!」
私は去り際に叫んだ。




