ナナシ
ナンヤが顔を顰めて
「あの……可能性のひとつさん?えっと、つまりあなたは混沌粒子を使いこなして、長生きしたってこと?」
紫色の肌の継ぎはぎだらけの男は
「……そういうことになるかな。まぁ、色々あったがね。会ったばかりの相手に、自分のことをペラペラ喋るのは好きではないな」
ナンヤは腕を組んで考え込んでしまった。私が質問しようと口を開きかけると
異様な風体の男は右手の一指し指を軽く横に振って
「……まぁ、私のことを信用できないのは分かる。こんな見た目だ。そうだな……ひとつ、話そうか」
私が頷くと、男は継ぎはぎだらけの顔でニコリと笑って
「かつて、この世界には天国と地獄があった。両方で混沌の消費をしていたんだ。私はその、地獄の方の管理者だった」
私とナンヤが男に興味を示すと
「……別次元に作られた天国も地獄も深層へ進むほど、混沌が深まる仕掛けだった。しかし、君たちも知っての通り、混沌の消費量としては足りない。なので、前代の支配者の時分も、世界の表面は定期的に更地にされた。
爆発的な破壊により混沌を一挙に消費するためだ」
「前の代からそうだったんだ……」
私がそういうと、男は頷いて目を細め、私とナンヤを見つめると
「私は、無能な支配者を殺し、新たな支配者を据え置くべく幾重にも及ぶ策により、ハーティカルを育成した。しかしそれは……」
彼は自嘲するような乾いた笑いを浮かべた。ナンヤが難しそうな表情で
「うーん……失敗だったんだねー?なんかねー混沌粒子さんたちが、あんまり好きじゃなかったって言ってるよー?暗かった?んだってー寂しすぎた、とかも言ってるかなー?」
男は頷いて
「ああ、私の策により、育成の過程で無用なものを極限まで排除して彼女を一人にしたのが、そもそもの失敗だった。仲間として育成した者も数体居たのだが戦いの過程で生き残ることを彼と彼女らは選ばなかったのだ」
ナンヤはウンウンと頷いて
「わかるよー。私のお友達でセイさんっているんだけどさー。一人で色々やろうとして、トラウマになっちゃってねー。それで、今度は私やお友達で手伝うって話になったの!」
男は実に楽し気に声を立てて笑うと
「……まぁ、可能性のひとつだ。他の時間軸ではまったく違うかもしれないな。とにかく、ようやく日が射した。手伝わせてくれ」
セイ様の話もとてつもなく気になるけれど、それよりも私は異様な風体の男に、ひとつ疑問に思ったことを尋ねようと
「あの、なんでハーティカルを助けなかったのですか?」
男は口を大きくゆがませて妖しげな笑みを浮かべると
「……大人ならば、自ら律していくべきだとは思わないかね?彼女は……」
次の瞬間には、男の隣に高校の制服姿のスズナカが座っていて
「はーい、若い子を誑かすのはそこまでー。確率的にとてつもなく低いけど、まーだ多少は利用価値ありそうだから生かしてといてあげるわ。ちゃんと、ジョニー君とアイちゃんとナー……じゃなくてナンヤちゃんのお手伝いするように」
男を軽く睨みつけて、スッと消えた。男は苦笑いしをして
「そういうことだそうだ。絶対的支配者から、お墨付きをもらったが?」
ナンヤが立ち上がって
「いいでしょう!ミイ先生の知り合いなら連れていくよ!アイちゃんいいよね?」
私はナンヤにちょっと待つように目で促して、考えることにする。
この男は、たぶんかなり悪質だと思う。何かまだ隠しているような気がする。
だが、スズナカとナンヤが連れて行けと言っているのならば、一応、それは大丈夫ということだろう。注意しよう。
きっとジョニーとも相性よさそうな気がする。悪い意味で。
「ナンヤちゃん、分かった。連れて行こう」
「今はもう地獄もとうに無くなり、私のことを世界は覚えていない。名無しとでも呼んでくれるとありがたい」
男にナンヤが手を上げて
「ナナシさんだね!じゃ、そういうことで!」
ナナシは音もなく立ち上がり、すると、いきなり辺りは青空になった。
空から一瞬落ちそうになり、飛行魔法が自分にかかっていることを思い出す。
ナナシも問題なく飛行できたので、三人で
キャサリンが休暇で滞在しているとサウスから聞いたドランガス地帝国南端のメネルン湯治村へと向かう。
温泉の湯気が湧き出ている小さな集落を発見したので降下していくと、ナナシは異様な頭にボロボロのローブのフードを目深に被って隠し
「多少は人々に気を遣わねばな」
ナンヤがウンウンと頷いて
「良い心がけです!」
と言ったので、私が少し噴き出してしまった。この二人の世界観は、見るからに全く違う気がする。
人けのない場所へと着地して、少し肌寒いなと思っていると温泉宿を探すまでもなくナンヤが
「あっちだね。混沌粒子に好かれてる女の人がいるよ」
集落の奥の木々に囲まれた大きめの二階建ての建物を指さした。
民家を改造したような簡素な宿に入って、オーナーの中年女性に話をすると
「ああ、ではここでお待ちください」
私たちは入り口に入ってすぐの狭いロビーで簡素な椅子に並んで待つ
「ふむ……シンプルだな。美しい」
「何が美しいのー?」
ナンヤがナナシに尋ねると
「ただ生業のためだけの建物だ。この椅子も素っ気ないがそれがいい」
「ふーむ……ワビサビっていうのかなー。私のお父しゃんの生まれた国のがいねん……?っていうか何かそんな感じかなー?」
幼い顔を見せるナンヤにナナシは真剣な表情で
「君も私も、結局は人々の生活の上積みにしか過ぎない。時が渡れたとしても、人々の文明が無ければ、ただ孤独なだけだろうね」
ナンヤは腕を組んで
「うーむ……哲学的ですなぁ……ミイ先生もそんな感じなのかなぁ……」
ナナシは苦笑いして
「あれは、恐らくただの恋する乙女だ。孤独は感じていまい。ただ、その乙女が宇宙の暗さそのものなのが問題なのだが」
ナンヤは難しい顔で
「わかるよーなーわかんないよーなー……アイちゃん分かる?」
急に話を振られたので、ちょっと驚きつつ
「……みんな、必死に生きてるだけだよ。ナナシさんもそうなんじゃないの?」
チラッとフードを目深にかぶった怪人を見ると、彼は実に楽し気に口を歪め
「……まあ、生きるベクトルは重要だな。無いと虚無に呑まれるだけだ。……そのベクトルにより、虚無を引き寄せることもあるがね」
「また哲学的ですなー……分かんないけど、いいよね?」
「ナンヤちゃん、この人多分、私たちをからかってるよ」
ナナシは口を抑えて笑ってから
「……スズナカが恐ろしい私としては、誠心誠意、真面目に喋っているだけだ」
そこで、オーナーから案内されてきて、綺麗な中年女性になった……いや、熟女と言った方が失礼ではないだろうか、ホカホカと湯気を立てている、バスローブ姿のキャサリンが姿を現した。
髪も肌もスタイルも衰えがないのが驚異的だ。彼女は私を一瞬睨みつけると、両肩の力を抜いて
「サウスさんの使いね?」
私が立ち上がって黙って頷くと、キャサリンは軽くため息を吐いて
「部屋にどうぞ。そっちの二人も」
そう言った。
意外と広い宿泊室の居間で私たちはテーブルを囲んで座る。
キャサリンは、水を飲みながら
「で、何かとてつもなく重要なことが起こったわけね?」
察しよく言ってくる。
私が、何度も「信じられないかも」と前置きしてサウスが混沌粒子により妊娠して、本人が生みたいと言っていると告げると
キャサリンはポカンと口と目をまん丸にして、しばらく私を見てから我に返ると、軽く咳払いして
「……あの人らしい。最近出会ったばかりだけどそういうとこに惚れたのよ。私も天帝国に連れて言ってちょうだい。どうせ、あんたとお友達には勝てないから領地に侵入したっていいでしょ?」
ナンヤがビシッと右手を上げて
「あの!申し訳ないですけど、温泉に入りたいのであります!久しぶりであります!」
なんとナナシも頷いて
「賛成だな。そんなに急ぐこともないだろうね」
キャサリンは大げさにため息を吐くと
「天帝教皇代理閣下はどうなの?」
ちょっと迷ったが、かかっても数時間だろうし、大丈夫だろうと
「キャサリンさん、お風呂入ります。すいません、終わったら連れて行くので」
頭を下げると、キャサリンは仕方なさそうな顔で、窓の外を見つめた。
ナンヤと宿内の温泉に入っていき、露天風呂に浸かる。
金髪を頭の上に束ね、お湯の中、手足を伸ばすナンヤに
「あなたのお父しゃんって、どんな人なの?」
ナンヤは難しい顔をして
「……なんだろ。かっこいいかなー。でも見た目は普通だってみんな言うねー。特徴がないっていうかさー私とも似てないって言われるのー。酷いよねぇ……」
「英雄なの?」
「うん。すっごい偉いよ。とっても強いよ。今は会えないけどねー」
「お母さんは?」
ナンヤはしばらく黙って
「……厳しいの。厳しいけど、なんだろう……悪い厳しさじゃないよ」
「そっか……いいなぁ……私の親は、もういないからなぁ……」
ナンヤは言おうか、迷った挙句に
「えっとね……あなたの親は、たぶん、ずっとあなたと居るよ。アイちゃんの、頭の中に、微かに違う感じの混沌粒子が……」
「……ナンヤちゃん、もういいよ。ありがとう」
少し、泣きそうになる。二人とも、見守っていてくれても、くれていなくてもアイは強く生きていってます!
纏わりつくアホにも負けずに……。
あっ……アホのことすっかり忘れてた。
「ナンヤちゃん……ジョニーのアホはどうなってるか分かる?」
ナンヤは空を見上げて、目を閉じると
「……んー……悪い感じはしないね。どうなってるかまでは分かんないけど」
「たぶん、エロ島で散々余計なことをしてるんだと思う……」
アホが居ない間、こっちは大変な目に遭ってたのに良い身分だよ!
まあいっか……たまには、ジョニーのアホが居ないのもいいかもしれない。




