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5,王宮に棲む悪霊

 苛々する。無性に、苛々する。

 仕方ない、あいつが悪い。苛つくくらい、赦されるはずだ。

 とにかく苛々して、叫びだしたい気分だった。

 けれどそれに並行して、いまは焦燥感が駆けめぐっている。

 叫ぶことも、唸ることも赦されない。

 また、苛々が募る。

(くそっ――ッ!)


 なぜかクラウは、ひたすらに走っていた。

 すっかり更けた月夜、処は王宮の今は使われていない離宮。

 庭を見渡せば秋だというのにこんもり生い茂った木々と、色とりどりの花々が月光に照らされて優美な雰囲気を醸し出す。石造りの離宮は、花嫁を思わせる純白の宮殿と違って黄を帯びた淡い色合いで、端整な庭に囲まれては神秘的な香りを漂わせている。

 常ならばその美しさに吐息を溢していただろう。だが、いま吐き出している息は荒い。

 カナルに連れてこられた離宮で、クラウは命懸けの追いかけっこをしていた。

「な、なんで殿下がいるのに追いかけてくるんだっ」

 追いかけっこの鬼役は、離宮警備にあたっている騎士隊のみなさんだ。おのおの立派な得物を携えて、身軽な二人よりは重い足取りながらも軍靴の音は鋭く迫ってきている。この国でこれ以上の鬼と言ったら、鬼畜上官ティアしか思いつかない。

 そのティアでさえ可愛いものだと思えるほど、彼らの放つ気配には、鬼気迫るものが漂っている。こちらを殺めることを辞さない狂気――、殺気の一言に尽きる。

 いったい、なぜ。王宮騎士が、皇太子の命を。

「さてな。それはおれも知りたいところだ。おまえはなぜだと思う?」

 焦りのせいか、息絶え絶えなクラウを尻目にカナルは涼しい顔でクツクツと嗤った。

 その姿を見ていると、とある友人を思い出して無性にむかっ腹が立ってくる。

 ――似ているのだ、シゼルに。

 なんといっても、人が必死になっているというのに窮状こそ極上の果実とばかりに愉しむその精神!水を得た魚もかくやと輝く瞳は、常にクラウの心を逆撫でしてきた。

 今の状況は、初等学校二年のときに立ち入り禁止の霊廟に忍びこんだ時に似ている。あのときは、剣の師匠をはじめとする村の自警団の面々に追い回されて散々な目に遭った。

「殿下、あの離宮はいったい」

 どうにか追っ手を捲いて、中庭にある東屋の影に身を潜める。

 ここまでくれば、大公家へ通じる地下道の入り口まであとわずかだ。予断許さぬ状況とはいえ、冷静に疑問を口にするだけの余裕がクラウの中に生まれてきていた。――が、

「あれは悪霊の根城だ」

「あ、あくっんっっ」

 その一言で、冷静だった思考は完全に吹っ飛んだ。

 声を上げて気を失いかけたクラウの口は、例によってカナルにより塞がれる。

「どうやらおまえは危ない橋を渡るのが好きなようだな。そんなにも捕まりたいのか?」

 不機嫌と反省とが見てとれる顔で首を横に振るクラウに、カナルの笑声が降ってくる。

「僕はそんなつもりじゃ。そもそも悪霊なんているわけ、」

「悪霊でないというなら、亡霊に取り憑かれた男の根城とでも言うべきか」

「ぼうれいッ!?なんっ、それはっ」

 悪霊も亡霊も、クラウにとっては等しく聞きたくない言葉だ。

 だから、現実逃避をする前に、ありのまま見た事実を口にすることにした。

「あ、くりょうの根城どころか、あれはどう考えたってただの譜術の研究施設じゃ……」

 うずたかい本の山、板書された数々の幾何図形に古代文字、木箱に詰められた色とりどりの鉱石。その一つ一つがこの場で譜術の研究が行われていることを示していた。

 中を見たのはほんの一瞬だったけれど、あの離宮に漂っていた異様な空気は間違いなく研究者たちの渦巻く思念の塊だ。――忘れようにも忘れられない。真夏よりもうだるように暑く、まとわりつくような空気は悪霊よりも恐ろしいとさえ思う。

「おまえにもそう見えたか。なるほど、その目は節穴ではないらしい」

「なんであんなところでわざわざ譜術研究なんて。譜術の研究なら今は富国機関が率先して行っているはずなのに。いったい誰が何のために。――人目につかない離宮でなんて、疚しいことをしていると言っているようなものじゃないか」

 カナルの侮辱など寝耳に水で、クラウは考えに没頭していた。

「紫紺の六芒星に、崔海を示す淡青色の三稜、蒼海の文字は……くそっ、細かな内容までは思い出せないか。いや待て、だけどあの図案は最近どこかで……」

 板書された譜陣を思い出しながら宙に描き、考えている言葉はだだ漏れる。何度も何度も書き殴って、記憶の中にしまった本を引き抜いてはひとつひとつページを捲る。

 こうなるとクラウは止まらない。好奇心は次から次へと新しい思考を生み出して、周囲の声を遠ざける。それに従って、危機管理能力も落ちていく。

「――気に入らない」

 カナルの呟きに、何が、などというクラウの問いはない。

 それどころか押し倒されかけてようやくカナルの存在を思い出したようだった。

「……ッ、何するんだっ、あなたは」

 油断していたとはいえ軽々と芝生の上に寝転がされて、クラウの顔は怒りと羞恥で真っ赤になった。覆い被さるカナルは、いたづらにプラチナブロンドを玩んでいる。

「なっ、な、にしてっ」

 徐々に傾いてくるカナルの上体を、手を押し出して額が触れる前にどうにか押し留めた。

 だが、つまらなそうな瞳で見つめられていると気付いたときには、遅かった。カナルの吐息が、滑るようにしてクラウの耳朶をくすぐった。――クラウはこれに弱い。

「わぁあぁあっ、な、何っ」

 火事場の馬鹿力でカナルを押し返して上体を起こしたクラウは、さりげなく素速く数歩分だけ後ずさる。闇夜に浮かんだカナルの瞳に映るのは、恐怖に怯えた自分の姿だ。

 彼が何を考えているのか、何を思っているのか、そんなことは一つもわからない。だからカナルが何気なく指さしたときも、クラウは素直に反応した。

「あ――、」

「今度はなに」

「あの茂みに、白い、影が……」

「わぁぁぁあああああっ」

 今度こそクラウの――声変わりしたか?と悩みたくなる中性的な悲鳴が、庭園中に響き渡った。カナルは思わず顔をしかめ、それは当然のこと夜警たちの耳にも届く。

「いたぞっ!」

 地下道へ入ろうとしたのと、彼らに見つかったのはほぼ同時だった。

 目の覚めるような緊張が走って――、そして。

 クラウは地下道目掛けてカナルを突き飛ばした。

 おそらく騎士隊から見える角度からなら、カナルのことは見えていないはずだ。クラウが捕らえられている内に、カナルは安全な場所へ逃げられるだろう。

「な、なにして――おまえ、」

「足手まといです。とっとと消えて下さい」

 それだけ言うのが精一杯だった。

 いくら横暴な王子で、彼のせいでこんな窮状に立たされているのだとしても、本気で彼に殺意を向ける騎士たちに、カナルを渡すなどクラウの騎士としての矜持が許さない。見習いだって騎士は騎士だ。騎士としての誇りは誰よりも強い。

 意図を汲み取ってくれたのか、カナルの気配がわずかだが遠ざかっていく。

 安心したクラウは両手を挙げて、逃亡や反抗の意志がないことを騎士たちに示した。その体勢のまま騎士たちに近付くと見せかけて、その実は地下道から遠ざかっていく。

「おまえ間諜か。それとも、殿下付きのメイドか――?」

 リーダーらしき騎士はそう言った。黒い瞳には険呑な色が濃く浮かぶ。

 クラウはカナルに渡された王宮付きメイドのお仕着せを身に着けている。殿下と共にいるところを見ていながら間諜であることを真っ先に疑うところをみるに、この離宮ではかなり人に知られたくないことをしているらしい。

 逃げ惑ったのと、カナルに脅かされたせいで、クラウは思いの外息が上がっていた。

 相対するは精鋭そうな騎士五人、真っ向勝負では分が悪いのは明らかだった。ここは大人しく従って逃げるタイミングを待った方がいいと思っていると。

「望むなら、逃がしてやってもいい」

「え――?」

 騎士の持つ符が、クラウの姿を上から下へと浮かび上がらせていく。

 溶けるように白い首筋、瞬くプラチナブロンド、黄昏の空にも似たアメジストの瞳。華奢な身体は当然のこと女性らしい膨らみはないものの、それはそれで危うい――邪な男たちの独占欲を掻き立てる色香を放っている。

 騎士たちのにや下がった表情から覚ったクラウは、怒りに湧く腕を戦慄かせた。

 その姿が彼らにどう映ったのか、それは火を見るよりも明らかだった。

「怯えて気の毒にな。だがどうせお仲間の女たちと皇太子殿下と毎晩楽しくやっているんだろ。なら俺らが回したって構わないはずだぜ」

「な――、なに、回す?」

「そーそー、一回、いや一晩だけ俺らと楽しく遊んだら、無事に帰してやるって言ってるんだ、損は無いだろ。なー、お嬢ちゃん」

 カチン、と来た。怒りが抑えられなかった。

 気付いた瞬間には、目の前の男の急所を蹴り上げていた。

 同じ男性ながらも容赦ない一撃に、男はへなへなと悶絶しながら膝をつく。離宮を守る騎士たちは鎧ではなく絹地の正装のためにガードは弱い。なのでクラウは左右に控えていた男たちに、ねじ込むような頭突きと鉛のような蹴りをお見舞いしてやった。

 想定外の出来事だったのだろう、彼らは思いきり大きくよろけて頭から倒れ込み、軽い脳しんとうを起こしている。

 さて、残る奴らをどうしたらいいか、考えるよりも先に動くしかなかった。いくら体術に優れていても、体格差のある騎士複数相手に過信するほどクラウは愚かではない。僕は男じゃない、と叫ばなかった分だけ残っていた冷静さが素速く身体を動かす。

 ――が、思い描いた一撃が、彼らの急所に届くことはなかった。

「な――、もう、ひと、り……」

 背後からの鮮やかすぎる手刀が、クラウの視界を真っ黒に塗りつぶした。




「――クラウ?」

 呼ばれたような気がして、シゼルは何ともなしに振り返った。

 視線の先にあるのは窓だ。窓越しに見える夜闇に何らおかしいところはない。それに、

(クラウが俺のこと呼ぶわけないよね)

 気のせいなのは明白だった。でもさっきから嫌な予感がする。虫の知らせなんて信じてないのだが、それでも嫌な予感というものは一度湧き起こると簡単には拭えない。

 でもそれは多分、口喧嘩をしたまま部屋を出て行ったクラウが、まだ戻らないから嫌な予感がするように思えているだけだろう。喧嘩したあとというのは、相手のことが気になって仕方がない。だからクラウに呼ばれたような、そんな幻聴が聞こえたのだ。

 でも。

 言い聞かせてみたけれど、胸のざわつきは収まらない。

 こんなことなら、あんなことを言うんじゃなかった。

 でも、あの時はああ言うより他になかったのだ。

 クラウを、大公家から追い出すためには。

 言った内容に後悔しても、言ったことにシゼルは後悔していなかった。

 たとえクラウを傷つけることになったとしても、どうしてもこれだけは譲れない。

 ベットから抜け出して、シゼルはマッチでランプに火を点した。時計をみるに一時間ほど眠っていたようだ。でもすっかり眠気はふき飛んでしまった。

 クラウと喧嘩してから、二時間と経っていない。もう随分と時間が経っているように思えるのは、やはり罪の意識のなせるわざだとシゼルは自覚していた。

 だからこそ無意識に、ふっと息を吐き溢し、頭は二時間前のことをたどっていた。

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