1,ナイト、夢を見て
「嘘でしょ!」
同僚の叫びにコック帽の女は、ソース鍋から顔を上げた。
場所は大公家の広々とした厨房である。嘆きの声は、調味料などをストックしている小部屋の方から聞こえた。
今は休憩時間中で、自主練習をしている自分の他に人の姿はない。
鍋をコンロから下ろして、エプロンの端で軽く手を拭った。
「アイリス、どうしたの?」
のぞき込むと、戸棚の引き出しの前で給仕のアイリスが固まっていた。
顔色は覗えないが、茫然自失なのだろう、藍色の長い髪さえ微動だにしない。
「一体なにがって。ああ、だめねコレ。もう使えないわ」
アイリスの足下に散った紙片をいくつか拾って、仕方ないとばかりに腰に手を当てた。赤いインクで文字や図が書き込まれた紙は、判読が難しいほどバラバラになっている。
「どうしよう、ライラ。ここに仕舞ってあったのって、確か…」
「あー、二段目の引き出し? うん、普通のより高い譜術符だよ。犯人はわかっててやってるのかね。憂さ晴らしにしては質が悪いなあ」
ライラが拾った紙は、譜術符という。
マナカイル王国では、万物の源マナの力を使って願いを具現化する力を譜術といい、譜術を誰でも使えるようにした便利なアイテムが譜術符だ。
使用方法は至って簡単、専用の小型ステッキで叩くとあら不思議、火が出たり水が出たりと、この国では生活に使うものに限って商品として流通している。
ここの引き出しに仕舞ってあったのは火を熾すコンロの譜術符だ。ごくごく普通の家庭であればたいていは台所に置いてある、水を生み出す符に次いで一般的な品物だ。
ただ、さすがにここは貴族の邸の厨房なので、自在に火加減が調節できる上位版の符を置いてある。椅子の座面ほどの大きさで、アセト古代文字と幾何図形からなる譜陣が特殊なインクで、値が張るだけあって芸術的に描かれていた。譜術符は種類によって多少の違いがあるが、見た目の特徴はだいたいそんな感じである。
「本当は頼まれて在庫を確認に来たのだけど…。竃に使う譜術符、これで最後だったの。今から買ってくるんじゃ昼餉の支度に間に合わないわ」
ライラと違って厨房担当でもないのに、アイリスは蒼白だ。
だがそれもそのはず、今日はアイリスのチームが主人の昼餉を給仕する日なのだ。間違いなく主人の叱責をリーダーである彼女が真っ先に受けることになる。
「まあ落ち着きなって、そうだな…、あっシゼル、いいところに」
扉の先に燃えるように赤い髪の少女を見つけて、すかさずに声を掛けた。少女と言うには育ちきってる感が否めないが、二十半ばを過ぎたライラよりは断然若い。
ダークブラウンの、鋭いが人懐っこい瞳が覗き込んできた。
「どうしたんです、ライラさん」
横に立たれるとやはり圧倒される。自分より頭半分は大きく、肩幅もしっかりしている。
幼い頃から巨人と渾名されたライラは、初めてシゼルに会ったときに驚いたものだ。それに大きさだけでなく、シゼルは能力においてもライラの上を行く。
「見てよこれ、譜術符がこんな有様なんだよ、悪いけど、今すぐ書いてくれる?」
譜術符さえあれば誰でも譜術は使えるが、その譜術符を作れる者は限られる。
シゼルはその一人だ。
聞きかじったところによると、多少の才能と知識があれば、流通している程度の符は作れるらしい。だが譜術で叶う願いは、何も飲み水を得ることだけではない。それ以上の願いを実現できる、本当の意味で譜術を自在に操れる者は特に譜術士と呼ばれる。
シゼルは譜術士と呼ぶに足る能力がある。だからこの邸に――マナカイル王国に唯一存在する大公家のメイドに選ばれたのだと聞いた。
「いいですよ。でも、私じゃなくてこの子がやってくれますから。ね、クラウ」
「なんで僕が!?」
その時になって初めてライラは巨体の裏に隠れた小動物を発見した。
シゼルよりも頭一つ分以上、下手をすると頭二つ分下のところに深い紫色の瞳が凛と輝いている。プラチナブロンドの髪は猫っ毛なのかどこか不揃いだが、透き通る肌も華奢な四枝も人形を思わせる。
そういえば、今日は新入りが来ると噂になっていた。
主人が直々に連れてきた地方貴族の娘とはこの子のことなのだろう。僕だなんて一人称もわざとらしく、彼女なりのかわいらしい自己表現なのかもしれない。
「できないなら別にいいけど」
もうすでに少女と仲良くなったのか、シゼルは軽口を叩いている。
その一言で、クラウの表情は変わった。
「ふんっ、おまえにできて僕にできないことなどあるかっ。それに言っておくが、怪我してるおまえのためにやるんじゃないんだからなっ」
昨日まで包帯が巻かれていたシゼルの指の動きはどこかぎこちない。ペンを持つ程度のことは支障ないだろうが、何枚も書かせるには確かに忍びない。
「シゼル、ペンと紙」
「はいはい。クラウ、これでいい?」
命令されたシゼルがどこか甲斐甲斐しくペンと料紙を用意している。
そんな二人のやりとりはなんだか見ていて微笑ましい。それに命令するクラウの瞳はどこか子犬めいていて、小動物好きなライラの心はくすぐられる。
「クラウちゃん、私はライラよ。っとと、聞いてると思うけどここではむやみに自分の素性を話しちゃダメだよ。家同士の利害関係につながるから」
クラウはコクリと頷いた。大公家のメイドとあれば出自の良い者も多い。この場を利用して家同士が不必要に結びつくのを防ごうというのだ。
人見知りなのかそのままクラウにじっと見つめられて、思わずライラも見つめ返した。
「ちょ、ちょっと見つめ合ってないで急いでよ!」
アイリスの真剣な叫びにクラウは慌ててペンを執った。
待つこと数分、あっという間に厚手の紙が十数枚重ねられた。ミルクパンほどの大きさの紙に、目が痛くなるくらいびっしり文字と幾何が描かれている。
大きさは保管していたものに比べたら小さいけれど、問題なさそうだ。
「前に比べたら随分うまくなったよね」
「当然だ、成長期をなめるなよっと、これで足りますか?」
「うん、助かったよ。ありがとう」
「……………………いえ、大したことじゃありませんから」
クラウは決して口許を緩ませなかったが、頬にはほんのり朱が刺した。
頬だけじゃなく、瞳を見れば照れているのは一目瞭然だ。すごく、照れ屋なのかもしれない。
「いい子だね~、きみは」
ライラは思い切りクラウの頭をなで回した。
これが、大公家に来たクラウの最初の仕事となった。
「で、どうだった」
「なにが」
厨房を離れてからシゼルに小突かれて、クラウは可愛らしい顔を歪ませた。
「この邸での初仕事だよ」
「ただ譜をかいただけだ。仕事もなにも」
「ライラさんも、アイリスさんもかなり喜んでたなぁ」
「………………………………っ」
シゼルはクラウの顔を覗き込んだ。――白磁に弁を塗ったように頬が赤い。耳まで朱に染めて、この分だと赤面症は治っていないようだ。
「相変わらずだね」
クラウが気にしていることを知りながらシゼルは堂々と宣った。
「おまえの減らず口もだ。悪魔の吐息、衰えていなかったようだな」
「お褒めいただき恐悦至極に存じます、レディ。なんてね」
そう言いつつおっとり笑むシゼルに、クラウは舌打ちする勢いでそっぽを向いた。ヘッドドレスなんてしていなければ、頭を掻きむしっていたところだ。
(あーーっもうっ。なんでこんなことになっているんだ、僕はっ)
似合わないフリフリのメイド服で奉公することも想定外だったのに、まさかこんなところでこいつと再会するなんて――シゼルは同じ山間の村で育った、要は幼馴染みだ。歳は二つ上だけどどこか頼りない、初等学校の友人の中では親しいヤツだ。それが一年ほど前に突然行方を眩まして、どういう訳か今こうして隣に立っている。
「それにしても」
シゼルはクラウを見下ろした。
「うちの制服にクラウの合うサイズがあるなんて思わなかったよ」
明るく笑うデカブツにクラウは思わず拳を突き上げた。
瞬殺アッパーは見事に決まった。体格差はさておき体術はシゼルより上にある。
なんでこんなことになっているんだろう、と改めてクラウは悩み始めた。
そう、始まりは一通の手紙から。
いや、本当は自分が知らないずっと前から始まっていたのかもしれない。
ただ、クラウが認めたくないだけで。
前略、シルトクラート・アイゼンホーク卿
貴公がこれを読んでいるということは、亡き父君リヴァラート・アイゼンホークの遺志を受け継いで、これからを貴族として歩むことを決意したということだろう。私は貴族の一人として、リヴァラートの友として心から歓迎する。もちろん、君の活躍に助力は惜しまないつもりだ。君のためならば、庭の草むしりから枝毛の処理まで何だってこなそう。
さて、ここからは私の身勝手な提案について少し書かせてもらおう。あくまで提案であることを忘れずに一読し、できたら熟考してもらいたい。
君が騎士を志して武芸に励んでいると、リヴァラートから聞いたことがある。もし志に変わりがないのならば王立士官学校を目指し、いま君は精進していることだろう。
だが、非礼は承知で断言する。君は貴族社会を離れて久しく、貴族の何たるやを知らない。そんな君が貴族の子弟が跋扈するその場において到底生き残れるとは思えないのだ。
幸いにも我が家は貴族の裏の裏にまで精通している。そこでだ。当面の間、我が家で行儀見習いをしたらどうだろうか。きっと君が貴族として活躍するに役立つことだろう。
私たちは君の輝かしい未来への標となろう。快い返答を心から願っている。
キュリア・イル・レニシュトーレ
(何の嫌がらせかと思ったが、封蠟を開ける前に気づくべきだった)
向かう馬車の中で胸ポケットにしまった手紙をクラウは探った。
堅苦しいフルネームの宛名に、嫌味なくらい清洒な文字、羅列してある言葉は少しとんちんかんで、署名を見るまでは憤りすら感じていた。だが、指に触れる封蠟の刻印は、紛れもなくマナカイル王国に唯一存在する大公爵家のものだ。
キュリア・イル・レニシュトーレは俗にレナ大公と呼ばれる貴人の名だ。そして、父リヴァラートが騎士の誇りを賭けて守り抜いたその人の名でもある。
「よく来てくれた、シルトクラート。久しぶり、といっても最後に会ったのは君の両親が離婚する前だから、まだ君は三歳くらいだったかな」
手紙の差出人は邸の入り口でクラウを出迎えた。
もっとも、クラウの倍近くある重厚な扉を開けたのは焦げ茶の制服をまとった使用人たちであったが、それでも大公が玄関まで赴いたのは事実だ。
クラウの爵位など大公と比べたら天と地の差、それもクラウは臣下の息子であるというのに、大公は厭った風もなく杖を片手にクラウを邸へ招き入れた。
彼の印象は涼しく馨しい。
青灰色の長い髪を結わずに垂らす様はおとぎ話の妖精を思わせて、湖底を連想させる深い翡翠の瞳は創造神のような賢さを讃えている。だが何に喩えようとも理性に満ちた美麗さは否定する余地がなく、まだ三十を超えないというのに威厳が服を着て歩いているような雰囲気さえある。そんな御仁があのふざけた手紙の送り主だとは誰も思わない、当のクラウは信じられずに首を傾げた。
「すまないね、本当なら私が直接会いに行くべきだったんだが、今はこの通り脚が不自由でね、リヴァル…君の父君の葬儀に参列することすら叶わなかった」
案内された執務室と思しき部屋で、レナ大公は瞳に哀しげな色を浮かべた。
父と相討ちになった刺客は相当な手練れで、大公も脚を負傷したのだと聞いている。
詫びられたところで仕方ない、としかクラウは思わなかった。
大公の騎士であることを誇っていた父のことだ、主を守り抜いて本望だったろう。務めを全うさせてくれたことに感謝こそすれ、責める気も、まして恨む気などクラウにはない。
それよりも気になるのは邸に張り詰めた異様な空気だ。杖をつく大公の体調が万全でないこともあるだろう、だがクラウには父の消失が原因のように思えた。幼少から大公の近衛を務めていた父、そんな要の人物が失せれば邸中の誰もが不安になって当然だ。
そう考えると、少しだけ父が誇らしく思える。
「早速だが、本題に入らせてもらおうか。――ここへ来たということは、私の提案を受けてくれるということだね」
真っ直ぐ下がる髪が揺れずにこちらを向いている。
クラウの手の内は緊張で汗ばんでいた。――ここへ来てからずっとだ。
まずは大公家の屋敷の大きさに圧倒された。
王都にありながら郊外のアイゼンホーク家よりも広い。その中に悠然と立つ石造りの邸宅は入るのでさえ躊躇う佇まいで、贅の懲らし方も限りを知らない。何気なく手摺に彫られたレリーフもおそらくは国宝級の品だろう。そんなものを目にして怯まずにいられる元平民がいるはずもない。
その上、この邸の主に相応しすぎる人物を前にして、物怖じしない人間がいるだろうか否いない、とまで思ってクラウは考えるのを止めた。
今のクラウにはその緊張を超えるだけの覚悟がある。
「僕は、騎士にならねばならないのです。そのためにご助力いただけるのなら」
よろしくお願いします、とクラウが頭を垂れる前に繊細そうな手が差し出される。
「もちろんだよ、私は君の助けになりたいのだから。こちらこそよろしく」
握った掌は父より小さくて、彼の流麗さとはかけ離れた剣ダコに驚いた。貴族のたしなみにしてはしっかり硬く、父が手解きしたと話していたのを思い出した。
思わず握り続けていて、クラウは慌てて手を放した。
「まずは大公家のことを知ってもらわないと。一通りのことはリヴァルから聞いてるね」
クラウの答えは是だ。
マナカイルの大公家は他の公爵とは質を異にする。政治の助言だけでなく王を直接に弾劾できるなど専政を防ぐための権限があるのだ。
当主は慣例的に王族が務め、国政に於いてその権力は王に次ぐ。だが大公自身の専横を考慮して当主の座に着くのはその者一代限り、子を持つことは許されていない。現在の大公キュリアは今上陛下の九つ下の弟だ。
「特に大公家の重要な仕事は外交で、各国からの使者や重鎮を迎えて友好関係を築く、あるいは王都を離れられない陛下に代わって国内外の視察を行う――」
クラウの回答に満足したのか、そこで大公は言葉を継いだ。
「大公家が所有する別邸や迎賓邸はそのためのものでね、数多くの使用人が働いている」
大公はソファーに腰掛けて投げ出した腕の先にある長い指を組んだ。
「それでだ。ものは相談なのだけど、君も同じようにその中で働いてもらいたい」
「僕に邸の雑用をしろと仰るのですか」
「そうだね、迎賓邸や本邸の掃除や給仕、もしかしたら庭の整備や馬の管理もやってもらうかもしれない。ただこの家の勝手を知り、貴族の性分を見極めるにはいい機会だと思う。けれど君はなんといっても爵位ある身、この提案はやはり無理だろうか」
そこまで訝しむような目をしていただろうか、大公はこちらを伺うようにして見た。
クラウは当然のように首を振る。
「いえ、そんなことは。アイゼンホークに戻る一昨日まで平民であった僕には雑用など苦ではありません。トイレ掃除だろうと、馬小屋の整備だろうと完璧にやりこなす自信もあります。ただ、その、気にかかるのは殿下がお手にされている……」
訝しんでいたことは認める。
ただし、対象は仕事についてじゃない。
訝しんでいたのは、大公が手にするものについてだ。その意匠、色合いには妙な既視感がある――。
クラウの強い視線にようやく気づいたのか、大公か「ああ」と抜けた声を上げる。
「これは使用人のお仕着せだよ。引き受けてくれるなら今日すぐにでも邸に入ってもらおうと、勝手ながら君の分を用意させてもらった」
(やっぱり!!)
見間違え出なかったことに落胆し、クラウは頬を引きつらせた。
「殿下ッ、僕はこう見えても男ですっ!!」
言い切ってから心の内で自分の口を叱咤する。
見た目が少女めいていることを自ら認めてしまったようなものだ。正真正銘、クラウは男、男装していてもよく間違われるが残念なことに花も恥じらう乙女ではない。
「よく知っているよ、リヴァルが息子が生まれたと喜んでいたからね」
「ではなぜっ、でもその制服は……」
「どー見ても、女のコのよね~きゃっ。でもとーっても似合うわよ、クラーちゃんっ!!」
背後から突然現れた少女は、耳の下で巻き貝状に束ねた茶灰色の髪を軽やかに弾ませながら、満面の笑みでクラウの胸元に制服を押しつけた。
彼女も同じ制服姿――黒に近い焦げ茶の生地に、膨らんだスカートの裾には同じ生地のフリル、エプロンは霧のように淡く白く、胸元の白く細いリボンがアクセントになっている。ヘッドドレスも制服の一部らしく、アイゼンホーク家の濃紺のメイド服を思うと無駄に少女趣味なデザインだ。だがさすが大公家、その仕立ての素晴らしさには目を瞠る。
「よろしく、リリアよ。ふふっ、邸のことはあたしが教えてあ・げ・るっ」
リリアは手を差し出しながらふわふわと笑う――クラウは我に返った。
「そ、それより、僕に女装しろと!?これはどういうことですか、大公殿下っ」
「あら、いやなのぉ?クラーちゃんあたしよりミニチュアだからかわいいと思うのにぃ」
かわいい形容が似合うのはむしろリリアの方だ。
女のコらしいふっくらとした体付きに、ばっちり輝くグレーの双眸にこのメイド服はピッタリだ。一方、武芸に励むクラウの体格に女性の既製服を着られる要素はない、と思う。――認めたくないが、あくまで身長以外は。
「大公様も、そう思うわよねぇ~?」
「………………っ大公殿下、折角の申し入れ誠に恐縮ですが、帰らせていただきます」
やっぱりふざけてる、そう思って退室しようと一歩下がったところで壁にぶつかった。
両肩を後ろから軽く掴まれて総毛立った――触れられるまで何の気配もなかった。
「ええー、挑む前に逃げ出しちゃうの、クラウは」
聞き覚えのある声にゆっくりと背後を仰いで、こぼれ落ちるくらい目を剥いた。
「なっ……なんで、シゼル、おまえ」
「あれっ、誰だってわかってるの?」
「愚問だ、イルシーゼル・コナー。叶うことなら僕はおまえのことを忘れたいくらいだがな」
「それでこそ俺の知ってるクラウだよ。それにしてもよく判ったね、この恰好なのに」
シゼルは自身の耳を飾る紅玉よりもなお赤い髪をバレッタで括って、陽射しのような笑みを投げつけてくる。クラウは一瞬だけ文字通り固まった。
こいつは、何をしているんだ。
その長身の全貌を包むのは、リリアと同じ使用人のお仕着。
そうはいっても、こいつは男だ。男性ならば誰もが一度は憧れる妖艶な雰囲気を醸し出せても、この事実は変わらない。バカみたいでかいのに、スレンダーなお姉さんに変化しているのは妖術かと疑いたくなる。
「シゼルおまえっ、僕がどれだけっ」
「もしかして、心配してくれてたの?」
「べっべつに心配で探し回ってたわけじゃない。僕はシゼルに、っておい、聞いてるのか」
シゼルがクツクツと楽しそうに笑うので、クラウは苛立ちを隠さない。
「たくっ、こっちだってすき好んでやってたわけじゃないっ!!」
そう言って心外だとばかりにふて腐れているが、クラウのことだから自分の持てる最大の手段で方々を探し回っていたのだろう。一年ほど前にひどい別れ方をしたのだから当たり前かもしれなくても、友を愛おしく思ってシゼルは思わずクラウの頭に手を置いた。
「ほんといいこだよね、クラウって。そんな一生懸命な君がこの仕事断るはずないね」
クラウは右手でシゼルをはね除けた。
「ふん、シゼルに言われたからってやるんじゃないんだからな。おまえにできて僕にできないはずがないからやるんだ」
向き直った先にいる大公は、穏やかな笑みをこちらに向けている。
「御前にて失礼しました、大公殿下。謹んでその衣装、拝受いたします」
こうして騎士を夢見る少年は、メイドになったのである。