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10,これがメイドでナイトな彼の日常

「シゼル。おまえに頼み事をするのは本当に不本意なんだが、どうにかしてくれないか」

 あの一件から二日が経過していた。大公邸はなんとなく慌ただしさが残っていたが、それも白銀の翼の一部に留まり、他の人たちには穏やかな空気が流れている。

 いくら譜術で傷を治療したからといって、完全に体力まで回復したわけではなかったクラウは、上司の命ずるままに二日ほど休みをとっていた。その間は、邪魔だとか主に面倒みられるなんてゴメンだと怒鳴られながらも、甲斐甲斐しくシゼルが世話をした。

 そうして仕事復帰の今日、休んでいた割にはクラウの体調は芳しくない。

 陶器のような滑らかな頬は青冷め、眩しすぎる菫の瞳は翳っている。

 だがその憂いを帯びた様子も、クラウの可愛いらしさを彩る演出のようだと言ったら、間違いなく殴られるだろうな、とシゼルは思ったので黙っておいた。

「うーん。どうにかしたいのは山々なんだけどね」

 悩んでいるその先の言葉を、さも当然のように横にいるカナルが繋ぐ。

「兄上の言うとおりだ。アイゼンの茜鷹が四六時中クラウにベッタリ貼り付いているなんて我慢ならない。今すぐにでもその目障りな首を斬り落としてやる」

「いやいやカナル、その微妙な発言は兄として気になるところだけど、それより何よりこの人の首を斬り落とすのって無理だから。だってこの人、もう死んでるんだよ」

 思わず口走ってから、シゼルは少しだけ後悔した。クラウの表情が、凍っている。

「それにね、悔しいけど今の時点では仕方ないよ。クラウの不安定なマナをつなぎ止めるのにこの懐中時計に描かれた譜に頼るしかなくて、その譜にはアイゼンの茜鷹の魂というか残留思念のようなものが絡んでいるんだから」

 譜術研究の第一人者であるエルメタリカ曰く、クラウの命を構成するマナが狂っていることを知ったリヴァルは、密かに彼に頼んだそうだ。息子の命をどうか救ってくれと。

 リヴァルに恩があるエルメタリカは、叡智の限りを尽くして研究に取りかかった。

 だが研究も中盤にさしかかった頃に、不幸が起こった。リヴァルが瀕死の重傷を負ったのだ。

 死期を悟った彼は、この世にある生命すべてが等しく持つ命の源――自然からマナを得て体内に取り込む譜――を、自らの身体から引き剥がして、持っていた懐中時計に刻み込んだのだという。

 そうしてリヴァルの身体は息を引き取り、意思だとか魂だとか表されるようなものが譜に宿った。人並みの譜術士としての才しか持たなかったリヴァルの代わりに、この一連のことをやり遂げたのは彼の意思を汲んだエルメタリカだった。彼はリヴァルの命の譜と今までの研究成果とを合わせて、クラウのマナを安定させる譜を作り上げた。

 この話を初めて聞いたとき、大帝の譜に似た禁忌を成し遂げたエルメタリカの才能とリヴァルの執念に、シゼルは戦慄した。だが、その一方で感謝もしている。

 この譜がなければ、シゼルはまたクラウを失うところだったのだから。

 当たり前に隣にいる、それがどんな幸福なことか。

 そしてまた変わらずメイド服で隣に立っている。そのことをクラウがどう考えているのか、シゼルは聞きたくなったがとりあえずやめておいた。

 クラウの表情が、恐怖を通り越えて怒りに満ちてきたからだ。

「何が幽霊だ、僕は認めないっ。こんなのは壁に描かれた絵と同じだっ」

「父さんは哀しいぞ。母さんにそっくりなその顔で、そんなこと言われるのは」

「ひっ…しゃ、喋るな!」

 初めの内はこんなやりとりをしては薄幸の美少女よろしくに気を失っていたクラウも、さすがに慣れてきたのか少なくとも気を失わなくなった。だが現状が変わるわけではないので、リヴァルの人格にますます振り回されクラウは精神をすり減らしている。

 シゼルはというと、すっかりこの状況に慣れ、二人のやりとりを愉しむ心の余裕もできたくらいだ。

「クラウ、怒り任せに懐中時計を投げようとするのは構わないけど、二時間くらいにしておいてね。それ以上だと冗談抜きで倒れることになるし、命の補償はないよ」

 懐中時計に手をかけていたクラウは、その言葉で思い止まる。そんなクラウの姿を見たシゼルは、安心したように笑った。

「命を大切にしてくれてるみたいで嬉しいよ。クラウは向こう見ずなところがあるから心配なんだよ――一年前のときもそうだけど、今回もね」

「当たり前だろ。危なっかしい主を残して、誰が死ねるか」

「………………」

 ムスッとしているクラウにはまったくシゼルの意図が伝わっていない。

 思わず落胆するシゼルだったが、それ以上はあえて何も言わないことにした。なんとなく弟の視線が痛い。せっかく弟と仲良くなれたのに、思わぬ修羅場は避けたいところだ。

「それはそうとクラウ。これからどうするつもり?」

「どうって、ティアさんのところに行って、それからメイド長のところに行って、ああ、リリアさんのところにも行かないとか」

「うん、復帰の挨拶まわりをするのはクラウらしくていいんだけど。そうじゃなくてさ、もっと先の話」

 シゼルの言わんとしているところを悟って、クラウは眦を釣り上げた。

「こんなところでしていい話か、それは」

 ますます険を強くするクラウは、思わずあたりを見回した。宿舎と本邸とを結ぶ小径、たまたま人の気配はないけれどいつ誰が通りかかってもおかしくない。

「第一、カナル殿下も軽率すぎます。こいつはシゼルです」

「そうはいっても、兄上は兄上だろう。――そうか、おれと兄上があまりにも仲睦まじいから妬いているのか?」

「どこをどう聞いたら、そんな話になるんですかッ。僕が言いたいのは、メイドが殿下と一緒にいるなんておかしいってことで」

「心配するな、我が息子よ。この王子の根回しは完璧すぎる。あのメイドは自分の恋人だと触れ回っているからな。嫉妬の対象になりはしても、母さん似の可愛すぎる面差しなら、誰一人として不自然には思わない。おまえも王子の手管を見習ったらどうだ」

「だ、黙れっ、親父の亡霊がッ!」

 自分の口から出た「亡霊」なんて単語に震えが走る。

「まあクラウ、落ち着きなよ。俺としては、カナルと一緒にいるより、死んだはずのアイゼンの茜鷹連れて歩いている方が不自然に見えると思うしね」

「!」

 いきなりの盲点だ。彼――あくまで父だとは認めたくない存在を、夢だと思いこもうとしているあまりに、すっかり失念していた。

「わっ、あ、あ、」

「ああ、でも心配しなくていいよ。さすがに騒がれるのもよくないと思ったから、カナルの譜術で隠してるから、特定の人間にしか彼のことは見えてないんだ」

 顔色の青ざめるクラウに、追い打ちをかけた上に助け船を出したのは珍しくもシゼルだった。疑心暗鬼になって、いっそうクラウの顔色が悪くなる。

「どうした、シゼルが用意周到なんて信じられない。天変地異の前触れかっ」

「え、だってクラウが困ると思って」

「それがわかるんだったら、もう少しどうにかしろ。おまえの弟君もっ」

「ああ。まあ、そうかもね。ねえカナル」

 敬愛する兄に話し掛けられれば、不遜なカナルもどこか大人しい。真っ直ぐな眼差しをシゼルに向けている姿は、年相応に見えるから不思議だ。

 そして、シゼルは一言。

「兄上なんて堅苦しいのはやめて、兄さんって呼んでほしいな」

「シゼルっっ、おまえ僕の言ってること全っ然、わかってないだろっ!」

 クラウの絶叫はそれこそ邸中に響いたという。

 何があっても――主君となっても、シゼルはやはりシゼルだった。




 その夜のこと。

「どこに行ってたんだ」

 不機嫌も露わにぶつけて、クラウは戸をきっちりと閉じたシゼルを睨む。

 あんな事件のあった後だ、挨拶回りをしていた途中で突然に姿を消したシゼルを睨まずにはいられない。邸中を探し回ろうとさえした――が、やめておいた。攫われたのではなく、シゼルが自らどこかへ出掛けたのを知っていたからだ。

「クラウ、出掛けるよ」

「は?こんな夜中にどこへ――」

「いいからいいから。さ、行くよ」

「ちょっと待て。わかったから、引っ張るんじゃない!」

 二の腕を掴まれて、窓際の椅子に腰掛けていたクラウは引きずられるようにして部屋を後にする。

 それにしても、なぜシゼルはメイド服を着ずに出掛けていたのだろう。

 そんな疑問を抱えつつ。



「昼間来ようと思ってたんだけど、ここにはカナルを連れてきたくなかったから」

 珍しく殊勝な様子で立ち止まるシゼルは、石塔に目をやった。

 周囲に並ぶものよりはるかに新しく、それでいて巨大な石塔はシゼルの上背を超える。その姿は堂々として、これを建てた人物の故人への想いが偲ばれる。

 この石塔――シゼルが花を手向けるのは、亡き王妃リアの墓標だ。

 二人馬を駆って夜の街を疾走し、たどり着いた王家の墓所は、シュゼーブルク郊外の森の中にある。庶人は当然のことながら、王家に連なる貴人でさえ簡単には足を踏み入れられない聖域で、二人は当たり前に立っているが、要は忍び込んでいる。

「久しぶりだね、母さん。なかなか墓参りできなくてごめん」

 膝建ちして手を合わせて、シゼルは続ける。

「でも、他にも謝らないといけなくて今日は来たんだ。俺は、父さんから玉座を奪うよ。母さんなら分かってくれるよね、あの人を止めなくちゃいけないって。もしかしたら、あなたの愛したあの人を殺すことになるかもしれない。でも、やる。だから、ごめん」

「シゼル、おまえ……」

 クラウは思わず苦しそうな表情をする。

 王都に戻ったシゼルがなぜ王宮ではなく大公家に身を寄せていたか、その理由を初めてシゼルの口から聞いた。

「あなたの親友だったリリアも俺に協力してくれるし、異腹の弟も俺の片翼になった。それに何より――、俺にはかけがえのない騎士がいる。彼がいるから、決意できた。だから心配しないで、ゆっくり休んでね」

 シゼルは瞼を閉じて、祈りを捧げる。死者へ贈るまじないは、古語のためか儚い旋律のように聞こえる。

 クラウは自然とシゼルの隣に座り、同じように祈りを捧げる。

「――クラウ?」

「リア王妃――。お初にお目にかかります。僕はシルトクラート・アイゼンホーク、こいつの騎士です。誰に似たのか、むちゃくちゃなヤツですけど、僕はこいつの命も信条も守ります。だから、安心して僕に任せてください」

 当然のこと、墓石から返事はない。けれど二人には、それが返事のように思えた。

「ありがとう、クラウ。それと、これからもよろしく」

「当たり前のことを言うな、馬鹿らしい」

「当たり前ね。うん、そうかも。俺たちにとっては当たり前のことだ」

 先に立ち上がったシゼルは、ふと振り返って、灯りに浮かんだクラウを見て思わず微笑んだ。

「クラウ、顔真っ赤だよ」

「うるさいっ、だまれ、行くぞっ」

 いつも通りなら、クスクスと笑い声が聞こえてくるはずだ。ますます怒りを募らせようとして、シゼルを見上げると、なぜかシゼルは真顔だった。

 むしろ驚いているような気配さえあるので、シゼルの視線につられて振り返りそうになったクラウは、いきなり両腕で頭を押さえられて渋面を作る。

「なんなんだ。どうしたっていうんだ」

「ううん、なんでもないよ」

 一度だけ頭を振って、シゼルはクラウの腕を取った。

「行こう、クラウ。俺たちの道は茨ばかりだけど、ついてきてくれるよね」

「ふん、当然だ。僕のことをバカにしてるのか、おまえはっ!」

 クラウの声が、深夜の森に木霊する。


 

 平和に思える一幕の一方で、不穏なものはすぐ傍にある。

 二人が去った墓所に、漂う薄桃色の淡い影――。

「行きなさい、セシファー。あなたの大切な騎士とともに――。わたくしは、いつまでも見守っていますから」

 シゼルが何を隠そうとしたか、言うまでもない。

これで一章完結です。

メイド(冥途)に片足突っ込んだナイト(騎士)が成長するストーリー。

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