9,ナイト、ノクターンに溶けて
レニガヌクーフェ――。
この曲を聴いたせいか、父親のことばかり思い出す。幽霊話の影にこの曲があると知ったときから、奇妙な恐怖が湧き起こっていた。実は親父が生きていて、このバカげた噂を広めているのではなかろうか。
大いにあり得る、むしろあの親父ならやりかねない。密かに人を動かして自分の死を偽装して、ドッキリ大作戦でしたなどと言い出しそうだ。
けれど間違いなく父は死んだ。クラウ自身が死体を確認し、墓に埋めた。
今でこそどうしようもない父親だったと思っているが、幼い頃は騎士である彼に大きな憧れを抱いていた。強くてカッコよくて、命をかけて大公殿下を守り抜くという志に真っ直ぐな生き様は、何よりも輝いて見えた。
――俺も絶対、父さんみたいな騎士になるっ!!
両親が別れた原因が父にあると知るまでは、その思いが揺らぐことはなかった。
「なあ、おまえは俺の跡を継いで、騎士になるよな」
いつだったか突然セルニード村にやってきた父は愛息子にそう言った。その頃のクラウはすでに心変わりし、密かにパティシエの腕を磨く日々、当然のこと表情を歪めた。
「なんで僕があんたの跡を継がなきゃなんないんだっ」
「なあいいだろ、離れていても俺とおまえは血の繋がった親子。そんなおまえが俺の跡を継ぐのは筋が通ってる。そうだろ、シルトクラート」
今では滅多に呼ばれなくなった名を呼ばれて、クラウは肩をビクッと撥ねさせた。
手の内を見透かされているようでなんだかずるい。
「じゃあなんで、母さんと別れたんだ。それがなければ僕はアイゼンホークのままで、父さんがわざわざそんなこと言う必要なかったろ。母さんのことが嫌いになったの?」
「いいや、おまえたちの母さんは俺が世界で一番愛している女だ。とーぜん、今もな」
「今も愛してる?なら、なんで」
息子は自分でも気づかぬうちに、頬を膨らませて大きな眼を釣り上げる。
「――ったく。ガキってのは二の句にはなんで、しか言わないのな。まあ、そろそろおまえには話しておいてもいいと思ってたとこだが…」
真っ直ぐに向けられた眼差しに、父は弟と同じ赤い髪を掻き上げる。
「俺だっておまえたちには悪いとは思ってる。だがな、俺の人生のすべてを母さんやおまえたちにはやれないんだ。俺には何より先に優先すべき人がいるからな。……母さんはこのことにかなり腹を立てて、それが元で俺たちは離婚した」
そう語る父の襟元には白い徽章が光る。
「それって、俺やレニが死にかけててもその人のことを優先するってこと?」
「悪いがそうなるな。あの人への誓いを違えることはできない。……ん?なんだその顔は。俺の言ってる意味がわからねえって面だな」
父は息子のプラチナブロンドをくしゃくしゃと乱暴にかき混ぜる。
「ま、そのうちおまえにもわかるだろ。おまえが騎士になって、主を戴いたその時に」
「なんだよそれ。なんで僕が主を持たなきゃなんないんだっ。父さんみたいに大公殿下を守れって命令されたって、僕は大公殿下の騎士になんてならないからなっ」
息子の頬に朱が差す。噛み付かんばかりに喚いても、父はなぜか余裕の笑みだ。
「よかったな、その心配は無用だ。おまえの主は大公殿下じゃない。――実はな、おまえが母さんのお腹にいる時にその方との誓いの儀式は済ませておいた。あの方もおまえを騎士として認めて下さったから安心していいぞ。根回しのいい親で良かったな」
「――なっ!!」
そんなことを言われたって、息子を騎士にするための策略にしか聞こえない。
――生まれ落ちる前から紡がれた誓いの糸は、年月を経ているせいかわたくしでも容易に断てぬほど太い。これほど太い糸は久しぶりに見ましたね。
彼の者の目には人には見えぬ何かが映る。
――あの子はあなたが自分の騎士ではないと言いました。ではこのように太い誓いの糸が偽物だと、あなたもあの子もそう言うのですか?
浮かぶように思考に響く言葉はマナカイルのもの。この言葉を聞いて、自分が誓いを立てさせられた相手、それがシゼルだと悟った。
運命、それよりも父の策略を感じる。けれどクラウは逆らおうとは思わなかった。
誓っていた?幼い頃の約束?
関係ない。クラウは心のどこかでシゼルこそ王たる器だと、自分の主だと確信していた。どんなに嫌でも自分にはアイゼンホークの、騎士の血が流れているのだ。その血がシゼルに従うべきだと叫んでいる。カナルではなく、シゼルに。
――悪しきを看破する、琥珀の瞳が心を掴んで離さない。
破邪とも覇者とも言えるシゼルの瞳。それに気付いたとき、クラウはシゼルの騎士になりたいと思った。
だから、シゼルに自分の騎士になるなと迫られたあの晩、クラウは真っ向から否定しようとした。自分はおまえの騎士になる、と。
でもあのとき、否とは口に出来なかった。
シゼルの瞳に映るのは獣めいた鋭い閃き、クラウが騎士として仕えたいと思った世界を見通す王の瞳。あの時のシゼルには有無を言わせぬ迫力があった。
ずるい。
支えられたとき、降ってきた微笑。初めて見た、シゼルの冷たい嘲笑。
その直後に見たせいで、なおのこと言葉に出来なかった。
父さんが騎士だったから騎士になる、幼い頃に誓ったからシゼルの騎士になる。
そんな思いは端からない。シゼルの騎士になりたいから騎士になる、それが真実だ。
夢を叶えるためならばと苦手な譜術の鍛錬も怠らなかった。守るべき相手より劣っているなどプライドが許さない。あらゆる手を使って修行を積み、そして主を守る。
今になって、父の言葉がわかった気がする。
あの主のためならば、きっと可愛い弟だって裏切れる。そんな残酷な思いを抱いてしまうと、自分はやはりあの父の血を継いでいるのだと溜息をつきたくなる。
だが僕は、シゼルの騎士だ。誰が、なんと言おうとも。
「クラウっ、クラウクラウクラウクラウっッ!」
まるで道化のようだと、シゼルは心のどこかで思った。
叫んでいるだけで、何もできない。手当はおろか、譜術で傷を癒すことも。
致命傷を受けたクラウからは、ただでさえ不安定に結合していたマナが剥離し始めている。火を見るよりも明らかに、クラウから命の源が流れ出る。
「シ…ゼル……」
薄目で見上げるクラウの瞳には、生気がない。菫色の真っ直ぐな眼差し、真っ直ぐすぎて壊れてしまいそうなあの輝きが失せている。
「だからダメだって言ったんだ、俺なんかに関わるからっ」
「――煩い。僕は、おまえの騎士だ。昔も今も、それにこれからも――。関わらない、なんて選択肢があるわけあるかっ」
声は、耳許を寄せてようやく聞こえるほど弱々しい。それなのに、シゼルにはなぜかはっきりと聞こえた。
「俺の騎士にはならないって、あの約束は嘘だったの?子どもの頃の約束で、騎士になるなんてダメだって――」
クラウからはシゼルの顔が、ぼんやりとしてよく見えない。
けれど見なくても、彼がどんな顔をしているか手に取るようにわかる。
焦点が合わなくてよかった――目を合わせたら負けだ。あの琥珀の瞳には逆らえない。
だから、想いは全て喘鳴の混じる言の葉に載せる。
「約束なんてもので騎士になるつもりは、ない。僕はおまえの騎士、どんなに嫌がられようともこの事実は変わらない。ただ、それだけだ」
シゼルは一瞬、何を言われているのかわからなかった。
そうか、あの時は「子どもの頃の約束では騎士にならない」ことに、クラウはわかったと答えたのだ。「シゼルの騎士にならない」とは言わなかった。
「ひどいよ、クラウ。俺を騙すなんて」
なんで……でも。胸の内に溢れた思いは止められてなくて、こんな時なのに頬が緩む。
だから嫌だったんだ。
クラウを巻き込みたくなくて。傷付けたくなくて。遠ざけようとしても、クラウはそれを赦さない。いつのまにか傍にいて。昔からそう、今もそう、そしてこれからも――。
やっぱり、手放したくない。あまりに大切すぎて。知れずに、心が定まる。
王家の血とはかくも強欲ものなのだろうか。
心の中でそっと彼の弟に謝ると、シゼルは瞳に王の覇気を纏わせた。
「クラウ、悪いけど君に騎士という位をあげられるかなんてわからないからね」
「バカにするな。僕は位なんてもののために騎士を目指しているわけじゃない」
力なく怒鳴られて、シゼルは苦笑する。
ただ確認したかっただけ。――最後の最後まで、遠ざけたいという思いは離れない。
「ありがとう、シルトクラート・アイゼンホーク。――俺の大切な騎士」
淀みなく口にしてしまうと、まるで昔からそこにあったかのように、ストンと臓腑に落ちた気がした。
「――もう、喋らなくていいから」
落ち着き払ったシゼルは改めて、カナルと対峙している男へと視線を向けた。
「どうやらまた、我々はあなたの大切なものを殺めてしまうようだ」
血相を変えてクラウに駆け寄ったシゼルの姿を見てか、男はそう告げた。
「初めは御母堂、一年ほど前は御友人と御養母。それと今回はそのメイド――、殿下も想い人を得るような歳になりましたか」
「貴様がすべての元凶かッ!」
カナルの絶叫が、シゼルの想いの全てを代弁していた。
東方の面妖な仮面越しでは、男の表情はわからない。だが、男は確かに微笑っている。
「おまえたちの思惑どおりになるつもりはない。俺もカナルも」
「昨年とは大違いですね。意志の強い眼差しは、あなたのご母堂を彷彿とさせる」
覚えてもいない母のことを語られても、腹がたつだけだ。どこかから流れる物悲しい音色が相俟って、余計に勘に障る。
ふと見やった先には、飾り気のない懐中時計が床に転がっていた。音色はそこから響いている。誰の持ち物か――、と思って目を瞠る。
「大帝の、譜――?」
ではない。だが、よく似ている。
奏でる旋律が柳のように蠢いて、大気に浮かぶマナをひたすらに集めている。そのマナを吸収して、懐中時計はオルゴールに似た単調な旋律を奏でている。
あれを使えばクラウは助かる。
シゼルの直感は告げていた。カナルも兄の視線に気づいたのか、やけに真剣にその懐中時計を眺めている。
「カナル、あれを使えば今の君でも治癒くらい出来るよね」
「無論だ」
「じゃあクラウのこと任せたよ。俺は、あいつらをどうにかする」
シゼルとて酔狂で剣術を学んでいたわけではない。王都に来てからも、白銀の翼に身を寄せながら騎士たちに混ざって鍛錬を積んでいた。
カナルから細身の剣を借りて、シゼルは男たちと対峙する。メイド服であることを忘れるくらいの勇ましさに、カナルは兄を誇らしく思った。
「抗いますか――まあ、構いません。以前は逃げ出すので精一杯だったあなたが、たった一人で私たちに敵うとでも?」
「やってみなければ、わからないよね」
当然のように襲いかかってくる男をあっさりとシゼルは斬り倒す。容赦ない一太刀は確実に急所を狙っていたがわずかにそれ、斬られた男は苦渋に満ちた呻きを漏らした。
「あなたたちは俺を殺すわけにはいかないけど、俺はそうじゃない。そこに隙があると思わなかったの?」
淡々と言ってのけるシゼルの瞳に宿るのは、覇者の光だ。小者であれば逃げ出したくなるような気迫であっても、さすが闇の深くに根ざす彼らには通用しない。
一人でも二人でも、着実に斬り伏せるしかなかった。
(クラウの言うとおり、鍛錬が甘かったかな)
やがてシゼルの息は上がってくる。いつの間にか、防戦の域に突入していた。
もう少し体力作りを頑張るべきだったかと反省するも後悔はすでに遅し、すぐ脇を歯を潰した剣が空を斬る。
「クラウ……」
心から安堵したといった体で、シゼルは漏らした。
視線の先には骸がひとつ横たわっている。シゼルの瞳には、その骸から弾けるようにマナが流れ出ていくのが見える。命が費えた者は等しく、マナが身体から失われる。
そしてそのマナは、平生ならば大気に拡散して世界に戻る。
だが骸から流れ出たマナは――いや、そのマナだけでなく空気に漂うマナの一部は、あるベクトルでもって一箇所に吸い込まれていった。
そのベクトルの先にあるのはクラウだ。
自前の得物を片手に、護るようにシゼルを背にして立つクラウ。
カナルの治癒で深い傷は塞がっているようだ。そして、彼の身体から剥落し続けていたマナは、懐中時計に宿る譜術がもたらす圧倒的な供給でもって補われている。
やはりカナルは自分の弟だ。彼もまた、マナカイルに愛されている。
もう大丈夫、シゼルは覚った。
「だから鍛錬を怠るなとあれほど言ったんだ。そのくせ騎士が要らないなんてどの口がほざくんだっ」
復活したと思えばはやくもこの調子だ。シゼルははにかむように笑った。
「ふふっ。ところで、そんな懐中時計持ってたっけ?」
「開口一声何を言い出すんだ、おまえはっ!」
「でも、それがなかったら俺はまた君を失うところだった。だから気になるじゃないか」
「ああ、もうっ五月蝿いッ。そんなことより、この場を打開する策を考えろッ」
ふつふつと沸いてくる疑念を振り払って、クラウは怒鳴り上げた。クラウだってこの懐中時計のことを考えないわけでもない。けれど今はそれよりも優先すべきことがある。
どうしてこう、この兄弟は空気を読まないんだ。人がどうにかしようと必死になっているというのに、窮状こそ甘味とばかりにこの状況を楽しんでいる主にイライラする。
「ねえクラウ」
「しつこいっ!」
「ごめん、もう冗談言わないから耳貸してよ。さっきから気になってたんだけどね」
言葉が無くても、クラウが訝しんでいるのがシゼルにはよくわかる。
「クラウの後ろにいるのって、もしかしなくてもアイゼンの茜鷹?」
その瞬間、命の駆け引きからくる緊張だとか、主の命を護りたいという想いだとか、無くしてはならないような何もかもがクラウの中から消し飛んだ。
こともあろうに敵に背を向け、シゼルを振り仰ぐ。
「そんなことあるわけ」
ない!
と、続くはずだった言葉が続かない。
絶句などすぐに通り越して、まわりまわって激怒の域だ。
「なんでいるんだクソ親父っ!」
シゼルの言葉に嘘はなかった。
鮮血よりも鮮やかな紅い髪、力強い鷹のような黄金の眼差し。白銀の翼の鮮やかに白い隊服、その襟には白銀の徽章が光る。
そこにあるのはリヴァラート・アイゼンホーク、紛れもなく父の姿だ。
ああやっぱり、とクラウは自嘲気味に呟く。クラウとは思えぬ昏い笑いに、シゼルはドキリとした。
「生きてやがったか――」
クラウが壊れた!と危うく叫びそうになったのを、シゼルはやっとのことで堪える。
「おいおい我が息子よ、その口調はなんだ。母さん似のそのかわいー顔が台無しだぞ」
クラウはシゼルを睨むよりもはるかに鋭くリヴァルを睨む。
が、リヴァルは平然としたものだ。それどころか、感心したように微笑さえ浮かべる。
「うんうん、戦地にありながらその余裕。さすがは俺の後継だな。――シルトクラート、そのまま後方右舷へ構えろ」
リヴァルが言い終えるのと、クラウが構えるのはほぼ同時だった。
剣の重たい衝撃が腕を伝って、クラウの華奢な身体を震わせる。
「甘い。力任せに太刀を振るってどうする。目で追うな、相手の呼吸を感じろっ」
「ちっ」
腹立たしい、けれど的確な助言が耳許で聞こえる――のだが、リヴァルの言うように呼吸を感じられない。敵ではなく、リヴァルの呼吸を。
背筋を冷たい何かが流れていく。クラウは頭を振った。
今はそれどころではない――というより、考えたくもない。脳が思考を拒否している。
一人、また一人と確実に数を減らしていく。
「そこで、相手の目を潤んだ子鹿の瞳で見あげる!」
「んん!?」
どこかで聞いたことのあるような台詞に目を剥くクラウだったが、条件反射で思わず実行してしまう。
だが思惑どおり、瞬き一つの間だけ敵は怯んだ。
これが最後の一人だ。
素速い突きに相手は仰向けに倒れ、クラウは彼の首筋に剣を当てた。
「形勢逆転かな。――大人しく捕まって、身内のことを洗いざらい吐いてくれるよね」
選択肢は与えない、とばかりにシゼルは告げる。
穏やかで明るい声なのに、その音には大海をも一瞬で凍らせる響きが混じっている。
「仲間を売れと――? ご冗談を」
最後の一人は、頭目と思しき男だった。彼は肩を震わせて笑っている。
「私に殺意を向ける君、貴女ならどうする? 貴女なら全てを曝すか?」
「――大切な主を護るためなら、非情にもなる。それが仲間を裏切ることになっても」
少し考えてからクラウは答えた。たとえ他の大切な何かがあったとしても、クラウは間違いなくそうする。それがクラウの生き方だ。
「どうやら君とは相容れないようだね。私はそう思ない……ぐっ…」
「貴様ッ!」
彼は突然苦悶に満ちた表情で、自らの首を押さえた。
クラウは慌てて男の腕に手をかけたが、もう手遅れだ。
「クラウ?」
シゼルに問われて、クラウは首を振る。急襲であった割にはあっけない幕引きだ。
「シゼル……」
「行こう、クラウ。ともかくみんなと合流しないと。カナルも譜術の使いすぎて、一人で立っているのがやっとみたいだしね。肩を貸してあげてよ」
主の命令は絶対だ。
息のある何人かを縛り上げて、クラウはカナルに肩を貸した。捕えた彼らが、戻ったときに生きているとは限らない。仮に命があったとしても、全ての記憶を失っているかもしれない。
主のためとあれば、非情になれる自信がある。
けれど、心が揺れないわけではない。彼とともにあるということは、常に残酷な選択が迫られることなのだと、クラウは深く胸に刻んだ。
「シゼル、クラウっ……か、カナル殿下!?」
「……~~くぅっ」
本邸の対策本部なる一室にたどり着いて早々、安堵に満ちた穏やかな表情とは真逆の、ティアの冷静で的確な鉄槌がクラウとシゼルに落ちた。
激痛に悶絶しながらも、鬼教官モードじゃないだけマシだと二人は痛切に思う。心配させやがって、という温かい感情から来る愛の鞭なので、二人は甘んじて受け容れた。
だが、それが気に入らないのはカナルだ。
「フェルマー、兄上に失礼だ」
「えっ、あ、」
「ごめん、ばれちゃった」
てへ、と言い出しかねないシゼルに、思わず呆れ顔で笑ったのは大公だ。
「大丈夫だよ、ティアソーマ。御二人の姿を見ていれば、我々の心配が杞憂だったということなんてすぐにわかる」
「ですが閣下……」
なおも食い下がろうとするティアに、別の声が割って入った。
「そうよ、ティアちゃん。麗しい兄弟愛、なんてステキなの~。私、ドキドキしちゃう」
「趣味もたいがいにしてください、殿下」
「酷いわ~ティアちゃん。私のことはリリアって呼んでっていつも言ってるのにぃ~」
珍しくティアが押されている。押しているのはリリアだ。彼らのやりとりに、クラウは思わず大仰なため息をついてしまった。
「親父は、どうしてあんな無茶苦茶な人の騎士になったんだろう……」
「あれ、クラウ知ってたんだ。彼が影武者で、リリアさんが本当の大公だって」
「昔、親父に聞いた」
だから、リリアの無茶な言動には逆らえなかったのだ。
「理解されたい訳じゃないから理解しなくていい。なあ息子よ、おまえもそうだろう?」
「親父っ……!」
気配もなく突然降ってきた言葉に、クラウは身を強張らせる。やっと安心できる空間にたどりついて、思考が冷静になってきている。
――まずい。
警鐘がやかましく頭を打ち付けるが、考えは止まってくれやしない。
振り返る。
なんとなく、彼を通して先が見える。
先が。
クリーム色の壁が、薔薇柄のカーテンが、壁から張り出した窓が、そしてその先にある深い夜の闇が――うっすらと、見える。
「ほらクラウ、父さんの幽霊だぞ」
最後のトドメを刺したのは、エルメタリカだった。
「ああっ、クラウ!」
慌てて支えるシゼルの腕の中で、気を失うクラウは知る由もなかった。クラウのすぐ横で、あの鬼のようなティアが卒倒していたことを。
「まだまだ修行が足らんな、我が息子よ。――それに、ティアもか」
玩具を見つけた子どものように瞳を輝かせる彼に、シゼルさえもあんぐり口を開けた。
物悲しいはずのオルゴールの音が、心なしか楽しく響く。




