第六話 『“不死の無能”』
■SIDE 天川一涙
俺が異世界に来てから一週間が経った。
俺は強がっている。その事実をあの少女に突きつけられて以来、俺はあの禁書庫を訪れていない。その間、転移者たちには召集が掛けられ、地球にいたときと変わらない勉強の日々が始まっていた。
「あなた方は知っているでしょうが、そもそも魔物とは高濃度の魔力密集地である“魔界”にて元々ただの動物であった生物が変質を遂げた、いわば“変異体”とでもいうべき異形の総称です。彼らは先祖である元々の生物と比較しても、体の強固性、強靭性、凶暴性全てを上回るスペックを進化の過程で獲得しています。そして、そんな彼らと一線を画するスペックを持ったのが“魔界”の奥地の魔王城にて“魔王”が生み出す“眷族”。“眷族”には、下級種、中級種、そして確認はされておりませんが上級種が存在すると言われており―――」
眠気を誘う女教師の授業に体をうとうとと上下に揺らしながら、皆一様に手元の紙を見つめている。俺の目の前にあるその紙にも、女教師が黒板に書いた文字が浮かび上がっていた。
連動式のノートは楽っちゃ楽だろうが、目を開けたり閉じたりを繰り返している他の転移者たちを見ていると、この方法は勉強にはあまり向いていないんじゃないかと思う。
ちなみに、俺は少しも眠たくなかった。女教師の授業が面白いから―――という訳ではない。
頬杖を突いて窓の外の青空を眺めながら、ため息をひとつ吐く。
俺の机には、両開きの『地理』の本が置かれていた。
「もう、いっそ出てってやろうかな······」
そう言ってすぐに誰か聞いていなかったかと、冷や汗を流しながら視線をぐるりと回す。誰にも気づかれていない様子にほっとしつつ、ここ一週間の万感の思いが余すことなく込められている呟きに、俺は再び思いを馳せ始めた。
軍力強化一直線のスパルタ国家【サンフラン帝国】。
俺を異世界に送った生命神イデアールを崇拝する【宗教国家ネメンスタール】。
そして、唯一日本っぽい感じの【陽国ヤクモ】。
どの国に行きたいかと言ったらそりゃあ勿論【陽国ヤクモ】を真っ先に選ぶ。【陽国ヤクモ】とは、【アルベド王国】の東側にある、海に面した場所にある国だ。元々は小国の集まりだったらしく、治安はあまり良くないらしい。
だが、ホームシックな気分にでもなっているのだろうか。それでも『和』というだけで無性に行きたくなる。頭で思い浮かべるのは下駄とか着物とかサムライとかの日本の江戸時代的な風景。夕焼けに隠れた和風の城の影。露天風呂とかもあるらしいので、是非入ったりしてみたい。
逆に、一番行きたくない国は【サンフラン帝国】だ。
【アルベド王国】の北西に面したこの国は最近統一されたばかりの新興国家で、少し前までは内乱真っ盛りだったらしく、あまり良いイメージは持てていない。
加えて、【サンフラン帝国】は軍力第一主義のスパルタ国家。十代で徴兵された子供が、厳しい訓練を受け一人前の兵士となっても、三十年という軍役を終えるまで家に帰れないという話もあり、かなりのブラックな国でもあるそうだ。
この国に奴隷制度があると聞いたときはケモミミを想像して妄想が膨らんだが······そもそも『獣人』という人種はごく少数であり、帝国にもそうそういないと聞いて落胆した。
そして、【アルベド王国】の北に位置する【宗教国ネメンスタール】。
この国もある意味ヤバい。国民全員が『生命を与える』神イデアールを主神とする“聖浄教会”の信者であり、統治者である“光の統治神”の力もあるのか、狂信者染みた信仰心を寄せている。
国の主な財源がお布施という時点で相当のヤバさが窺えるだろう。鉱山資源や魔法技術による収入もあるらしいが、それは軽微なもので、それらの資源を売りさばいた行商人から自主的に資金を提供してもらっているらしい。一般民衆についても同様だ。
とはいえ、【ネメンスタール】はイメージからくるような狂った搾取国家と言うわけではないらしく、そうして得た膨大な財源を社会保障や公共の福祉に充てている。“聖浄教会”に入信さえすれば、医療、水道、一部の食料代は全て無料という暴挙と言う他ない法律も作り上げているのだ。
無論、裏もありそうだが。そういった空恐ろしさもあって、この国へはあまり行きたくない。
「…………はぁ」
と、ここまで理想を上げてみたが、これはやはりあくまで理想だ。
俺がここから出ることは極めて困難だろうし、他の国で平和に暮らすなどさらに困難だ。俺たち転移者たちの存在は、話を聞く限り一般に公開はされていないらしい。城の人間が言うには無暗なトラブルへの保護らしいが、どうせいつかは姿を見せることになる。だというのに隠しているのは都合の悪い何かがあるということだろう。
ここまで考えていると、授業終了のベルがなる。眠そうにしていた生徒たちが、目を開け教師にばれないよう欠伸をかみ殺した。
「今日はここまでです。空き時間にも、きちんを復習を欠かさないでください」
教師が教室を出ていくと、途端に教室の中はざわざわと活気を取り戻す。
俺は一人、教科書をまとめロッカーに押し込んだ後、ドアを開け廊下を渡り始めた。次は訓練の時間だ。この一週間の憂鬱に思いをはせながら、俺はほっとため息を吐いた。
この一週間の訓練の内容は、“自分の能力について知ること”。
具体的に言えば自分の能力について知るために、能力を使って使って使いまくるという、豪快な訓練方針だった。まあ、教官自体豪快な上に俺たち転移者の能力へのノウハウが無いので仕方ないだろう。
問題だったのは、俺の能力である“超再生”(今後はこう呼ぶことにした)が全く試せるような代物ではなかったこと。まさか自分から傷を付けるわけにはいかないし、“超再生”に関しては知りたくもないのが本音だった。
問題は他にもあった。この一週間の訓練で、俺の役立たずぶりが明らかになったこと。能力以外の訓練をしようとしたとき、俺には魔法の適性が全くないことも判明したのだ。
では、この世界における魔法が何たるかを説明しよう。
この世界の魔法には、絶対不可欠な要素が三つある。
一つ目に、体に巡る魔力のコントロール技術。
二つ目に、魔力を体外に放出する技術。
三つ目に、適性だ。
魔法はそのプロセスを記憶させた魔力石を発動体として、魔力を共鳴させて発動させることができる。
その共鳴に当たるのが適性。
常人ならば魔力流動石を嵌め込んだ錫杖などの補助器具を用いて魔力の伝達を効率化させる必要があるが、優れた適性を持つ者ならそれすらも必要がない。
俺はあらゆる属性の魔力石を試してみたが、俺の魔力に共鳴する魔法は一つもなかった。つまり、全く適性がないのだ。
それらの事情から近接戦闘は“無能”だから素人同然、魔法は全く適性の無い役立たず、唯一の能力である“超再生”も、言葉通りの無能っぷりで活かせない。木偶の坊もいいところだった。
結局、転移者たちが各々のチート能力に目覚めていく中、俺は訓練所の端で一人、抜き身の剣を素振りする毎日を続けることになる。
「こんにちは……」
そんなわけで、通り過ぎる侍女や宮廷勤めの貴族に挨拶しても、返ってくるのはあからさまな嘲りの視線。右の外に広がる雲を眺めながら、俺は最近癖になったため息を吐く。
もう、挨拶する必要もないな。どうせ無視されるし。と、思いながら。
◇ ◇ ◇
訓練所へと到着すると、既に何人もの転移者たちが談笑や自主練に励んでいた。少し遅めについてしまったようだ。俺を見るや、皆会話や練習をやめて一斉にその視線を浴びせてくる。
数瞬の静寂。
俺はそれをガン無視して備え付けの武器庫の中へと向かう。素人目に見ても上質な物だと分かる武具の数々から抜き身の片手剣を取り出し、紐で腰に結びつけた鞘に入れた。
正直、素振りなんて意味がないとは思うがやらないよりはましだろう。武器庫の中から出ようと振り返る。
その瞬間、突然前方から衝撃を受けてたたらを踏んだ。転ぶ運命からは逃れられたものの、後方の武器の山を目の前にして冷や汗が吹き出る。前を見ると、案の定のメンバーにうんざりとした表情を浮かべた。
そこにいたのは、ノリトとその取り巻きAB。訓練が始まって、少し経った現在。教官のいない休憩時間や集合時間の直前に、みんなの見ていない場所で度々ちょっかいを掛けてくるのだ。
「ねえイチルくーん? 何で君剣なんか持っちゃってんの? 君がそんなもの持ったところで意味無いよね? “不死の無能”がさあ?」
“不死の無能”。
いつからそう呼ばれ出したのか。ただ、エレネアに一度消し炭にされてあの“超再生”を見せたことがきっかけとなって呼ばれ始めたのは否定しようが無い。
あれから俺は、みんなから気味悪がられている。
「ぷっ! ちょっ、ノリト少しはオブラートに包めよぉ! いくら本当のことだからっつってもよ!」
「そうそう、こいつ今にも泣きそうじゃん? あの肉肉グロの化け物がさぁ?」
「そもそも何で剣が持てんの? 俺だったら無理だわぁ。あっ、そうだ! ノリト、俺たちでこいつ訓練してやんね? “勇者”の稽古を受ければ哀れなこいつも少しはましになるでしょ」
何がそんなに面白いのか、ニヤニヤ、ゲラゲラと嗤うノリトたち。
「えぇ? ボク勇者だしぃ~ほんとなら“不死の無能”なんかに付き合ってる暇なんて無いけど、まぁ、ボク優しいし? 少しなら良いんじゃない?」
「いいねぇ! おい、肉肉グロ。感謝しろよ。俺たちが。わざわざお前のためにきちょ~な時間を使ってやるんだからよ」
そんなことを言いながらノリトたちは俺を囲む。今後の展開が何となく読めてきたので一応断ってみた。
「いらないよ。どうせ訓練とか言ってボコボコにするつもりだろ」
「はぁ? なんて口聞いてんだよこの勇者さまにさぁ? 人聞き悪いこと言わないでよ。ほんの親切心じゃん? お前は俺に感謝してればいいんだよっ!」
ノリトは踏み込んで、鳩尾のど真ん中を殴ってくる。岩に殴られたような錯覚。
チート能力をこの世界で受け取ってから、俺以外の転移者は人外の身体能力を獲得しているのだ。
「うぐっ······!」
思わず呻き声が漏れたが、それを聞いたノリトは嗜虐的な笑みをさらに深めた。
「何痛がってんのさぁ、イチルくぅ~ん? どうせ君、すぐに“再生”するだろ? こんな痛み、どうでもいいよねぇ!?」
脇腹に強い衝撃を感じて、体がくの字に折れ曲がる。
続いて、背中に衝撃を感じた。脇腹を蹴られ、壁に叩きつけられたのだと今さらになって気づく。
何故、こいつらは暴力を振るうことにこれほど躊躇いがないのだろう。俺をいたぶり続けるノリトを見ても、取り巻きABは止めようともしない。突然手に入った大きな力に溺れたのか?
だが、その矛先を向けられるのはごめんだった。かと言って、俺には対抗する力もない。悔しさを耐えるしか······ない。
「ほら、どうしちゃったの? もう元気になったでしょ? 炭になったときは、あんなに早く立ち直ってたもんねえ?」
ノリトが右手を上げると、合図だったのか取り巻きABが俺を囲む。両腕をホールドされて無理やりに立たされると、ノリトは捻りを効かせたアッパーを俺の腹にぶち込んだ。
ズブリ、という生々しい音。
込み上げる吐き気を必死に堪えて、荒い息を吐きながらノリトを見据える。目元が眩んで、立つことすらままならない。立っているというより、無理矢理立たされている感じだ。
「うひゃひゃひゃ! マジで無能すぎるでしょ! 弱すぎ! 絶対やる気ないでしょ~」
ニヤニヤと笑みを浮かべたまま、ノリトは虚空に手を伸ばす。
「んじゃっ、ちょっと“勇者”の力の一部を見せちゃおっかな~?」
「えぇ?ノリト、まさかまさか使っちゃうかんじぃ?」
ノリトの手元に青い光が収束すると、取り巻きABはノリトを囃し立てる。邪悪な笑みを浮かべたノリトが持っていたのは、王宮の武器の性能を遥かに超えるであろう見事な意匠の剣だった。
「“聖剣”。僕に相応しい武器だとは思うんだけどさぁ。ちょうど良いテスト相手がいなかったんだよね」
ノリトは狂気じみた笑みを浮かべながら“聖剣”と俺を交互に見る。恐怖染みた悪寒を感じて俺は体を揺さぶるが、取り巻きABの拘束は解けない。膂力が違いすぎるのだ。
動けない俺を嘲笑って、ノリトは“聖剣”を掲げる。
「でも、いいよね? どうせ君、すぐ治るんだし。どうせ“不死の無能”なら役立ってよ。“勇者”の役に立てて、光栄だろう!?」
そう言って、ノリトは“聖剣”を振り下ろした。浮かんだ表情は邪悪で、とても“勇者”とは思えない。
エレネア曰く、“タレントプレート”で変化するのはその者の“最善の姿”であるらしい。これがノリトの“最善の姿”なんて、神は何を間違えたのか。
何が“最善”? 俺がこうなるのが“最善”なのか?
どうせ治るから? ふざけるな!
疑問の後に、怒りを沸々と感じた。神はなぜ俺にもっと直接的な“力”をくれなかったのか。
俺の“力”がもたらしたのは力でも何でもない。ただの“不幸”だった。だが、それも“無能”である以上受け入れなければならないのか、と半ば諦めの念で目を閉じる。
その時、怒りと焦燥に満ちた少女の声が聞こえた。
「やめなさい!」
武器庫の中に響いたその声に、ビクッと肩を震わせるノリトたち。それもそうだろう。その声の主はノリトがハーレムに加えようなどと密かに言っていたシズクだったのだから。シズクは俺を見つけるとすぐに駆け寄ってくる。シズクの傍らでは、ガクとシュウトがノリトたちを軽蔑の目で見つめていた。
機先を制するように、ノリトは焦って弁明の言葉を捲し立てる。
「き、君たち何か勘違いしてるみたいだけど……そ、そう、これは稽古なんだ! 実は、イチル君から鍛えてほしいって頼まれちゃってさあ? だよな、お前ら?」
ノリトが顔を向けると、取り巻きABはうんうんと頷く。ノリトは俺にも頷け、と視線を向けてきていたが当然俺が頷くわけもない。頷いてたまるか。
「随分と一方的な稽古ですね? 私たちから見れば、ただいたぶってるようにしか見えませんでしたが?」
「ち、違うんだ……」
「言い訳はいいんだよ。暴力を振るうなって、小学校でも習わなかったか?」
「みんな同じ世界の人間でしょう。こんなことをするのは愚の骨頂と言わざるを得ませんね」
ガクとシュウトに非難の目を向けられ、ノリトたちは屈辱を抑え込んだようなぎこちない笑顔で立ち去っていく。
「………………ありがとう。助かった」
お礼を言うまでの間、少しだけ考えた。俺は、みんなに怖がられている。気味悪がられている。そんな思いがよぎって、感謝の言葉を送っても拒絶されるのではないかと一瞬迷ってしまった。だが、シズクは首を横に振って笑顔を浮かべる。
「ありがとうって……そんなの言わなくていいよ。それより、イチル君も大丈夫?」
「っ、ああ、大丈夫だよ」
顔を下からのぞき込んできたシズクにドキッとしながらも、思わず苦笑してしまった。そういえば、シズクは節操なしだったなと、思い出して。
それにしても、節操がなさすぎるだろ。こんな、気持ち悪い俺に、こんな眩しい笑顔を向けてくるなんて……。
「…………なんで、泣いてるの?」
「っ……泣いてる?」
シズクが不思議な顔で眺めてくる。呆然と自分の頬に触れてみると、指が濡れていた。
「いや……何でもないよ」
「そう? 何かあったら言ってね?」
「あーあー。ガク、強く生きろよ……」
「ど、どういう意味ですか。全く……」
シュウトにからかわれていて戸惑っているのか、ガクは人差し指で眼鏡を押し上げていた。それが照れ隠しだと何となく気づいてしまうのは何故なんだろうな。
気が付けば、シュウトやシズクと一緒に俺も笑っていた。
◆ ◆ ◆
その後の話である。
あの後俺は、出来る限りガクたちと一緒に行動するようになった。
共に声を掛け合いながら訓練に励んだり、食事をしたり。異世界人たちの主戦力である“S級タレント”のガクやシュウトと仲良くしているからか、王族や貴族からの露骨な嫌がらせも下火になってきている。
なんと言うか、虎の威を借る狐感がすごい。
他の転移者たちからも奇異の目を向けられていたが、しばらくするとそれも無くなった。これも全て、ガクたちの······こう言ったら何だが、“後ろ楯”あってこそだろう。
ガクたちには感謝しているけれど、同時に非常に申し訳なく感じている。仲の良い三人に、俺は割り込むような真似をしてしまった。それに何か、彼らの大切なものを奪ってしまったような気がして。
それでも彼らは······笑っているのだが。
あれだけ気丈でいられるのは、きっと育ちの良さ······もあるだろうし、彼らが強く結ばれた友達だからだろう。
聞けば、ガクとシュウトは幼い頃からの付き合いなんだそうだ。お互い裕福な家庭に生まれ、シズクとは中学で出会った。5年程度の友情だ。
でも、彼らの繋がりは······5年程度の言葉じゃ表せないほどの強さを秘めている。
そして、今。俺は頭を抱えてベッドの上で蹲っていた。
「どうしよう······どうしよう」
ベッドの上で二転三転。
ある決断を決めかねて、俺はうーんうーんと呻き声を漏らす。
「どうしようかな······でも、怖いなあ」
俺が決めかねているのは、俺にとっての一種のトラウマ。
城の西塔にある、禁書庫への訪問だった。あの無慈悲な少女に、俺は苦手意識を持っている。俺が求めているのは、俺にトラウマを植え付けた少女の知識······と、後一つあるんだが······。
「よし、行くか」
投げやりに一言。これは多分、後回しにしたら行かなくなる奴だわ。厄介なことは早めに済ませておくに限る。
窓の向こうは暗闇だった。深夜、ほとんどの人々が寝静まった頃。俺は部屋を出て、西の塔へと歩き始めた。
◇ ◇ ◇
深夜、イチルと同じように部屋を出て呪詛を呟きながら城を徘徊していた者がいたことは誰も知らない。
彼が偶然、城に隠され封じられていた転移陣を再起動させてしまったことは、ほんの一部の人間だけが、知ることになる。