第十一話 『もう一人の■』
修正しました。
■SIDE 天川一涙
戦場に響く、静かな喝采。
何者かが歩んできているのが分かるが、項垂れて呆然としている俺にその姿が見えようはずもない。
今は、強く握りしめた目の前の肉塊で頭の中が一杯だった。
「いや~。あれだけの魔族を一人で倒すなんて、お見事お見事。まさか中級眷族まで倒してしまうとは。あれ一体で騎士十数人分なんすよ?にしてもあいつら随分チョーシ乗ってたっすね~。まんまと弱者を演じてたんすか?」
目の前の人影は俯く俺を余所にペチャクチャと話始める。
しかし、無反応な俺を見て、両手を上げておどけたように悲しげな······それでいて楽しそうなトーンで言った。
「あれあれぇ!? 冷たいっすね~酷いっすね~驚くとか喜ぶとか、もっと良い反応は無いんすか!?」
そいつの声を俺は未だに無視していた。この声に反応することで、彼女から目を逸らしてしまうのではないかと、怖かったから。
「······あの~。見えてるっすか~」
何者かの声音に、徐々に戸惑いが生まれる。そのまま苛立ち、怒りへと繋げてくれ。使うものは何でもいい。剣だろうが、拳だろうが、魔法だろうが、何でもいい。だから、どうか俺を―――
「······あ~。こりゃダメっすねー······ま! うちらとしてもそっちの方が手っ取り早いし、さっさと済ませるっす」
すると、人影は何かを取り出した。聞こえたのは、何かの射出音。見えたのは尖った何かの穂先。ああ、これは槍か。そう思うまでに数瞬を有した。
ズブリと音を立て、脇腹に深々と突き刺さる槍。神経に響く痛みが身体に鐘を鳴らすように響き渡っている。
「―――」
目から涙が零れ落ちる。痛みによるものでもあろうが、それはきっとシズクへの償いになると少しでも思ったからかもしれない。
口に溜まった血反吐を吐き出しながら身動ぎすると傷口はさらに広がり、先程を超えた痛みが全身を駆け抜けた。血だまりが静かに広がっていく。体が槍によって地面に縫い付けられていたのか。
「もっと騒ぐかと思ってたんすけど……中々、良い精神力を持ってるっすね~。見た感じ、痛覚を遮断しているわけでもなさそうっすし」
意識したわけでもなく、項垂れていた顔を上げる。ここで初めて、人影の姿が見えた。
人影は、一言でいうと変な奴だった。
軽薄な話し方から相応に若い年齢だとは思うが、それ以外に男か女かすら判別がつかない。黒と白で半々に分かれた仮面。赤いペイントで嘲笑うようなマークが描かれたそれに、顔が覆い隠されていたからだ。スラリとした体は燕尾服に覆われており、頭には青い羽のついたシルクハット、右手には杖を持っている。
人間……か? 思考停止気味の頭で何となしに把握してみるが、不思議なことに嬉しさも疑問も沸いてこなかった。つまり、どうでもいい。
そいつは俺の顔を見ると、嬉しそうな声音で話し始めた。
「お……やぁっとうちらを見てくれたっすね」
覗き込んだ仮面の奥で、白い目が光ったように見えた。俺の反応を見るために槍を突き刺したのなら相当の狂気を感じるが、能天気にリアクションが取れるほど心に余裕もない。
「つっても、喋るつもりはない、ってことっすか……」
いけずっすねー、と呆れたように両手を上げて、そいつは興味深そうに槍が突き刺さった俺の脇腹の傷口を覗き込んだ。槍は俺の身体を貫通して地面に突き刺さっているため、抜けていない。しかし、その部分の傷口以外は槍の穂先を締め付けるように治っている。
「“再生”の力……すかね。無尽蔵の生命エネルギーを発するスキル。今まで粗方の“再生”能力は見てきたっすけど、ここまでのモノは初めて見たっす」
人影は、つんつんと槍の穂先を叩く。じわじわと衝撃から伝ってくる痛みに、俺は顔をしかめた。だが、次の瞬間バッと顔を上げる。
「その“力”……取り除きたくないっすか?」
「……っ!」
致命傷ですら一瞬で治癒する“超再生”。
俺は多分、この能力を恨んでいる、と思った。
だって、取り除くと言われて俺はこんなに歓喜しているのだから。
「どうすればいい……? ……何をすればいい!」
「おっ、どうやら話をしてくれるつもりになったみたいっすね」
その顔がニヤリと笑ったのが、仮面越しにも伝わってくる。
「じゃあ自己紹介するっす。うちはシン。この子……ああ、このか、」
「そんなことはどうでもいい! さっさとその方法を教えろ!」
自己紹介なんて悠長に聞いている暇はない。こいつと無駄な会話を繰り返すたび、俺の生の時間は増え続けている。それは、俺のせいで死んだシズクを冒涜する行為だ。胸の中の形容しがたい激情を押さえつつ、焦燥に顔を歪めながら俺は渇望した。
人影……シンと名乗ったその人間は俺に一瞬気圧されたように身を引いた後、やれやれと言った様子で語り始めた。
「そんな焦んなくてもいいっすのに……にしても、取り除かれるのを喜ぶくらいヤバい力なんすね……正直、あんたの様子を見ているとこっちも怖くなってくるっす」
その口から“超再生”を取り除く方法は出てこず、心中には焦燥と苛立ちのみが渦巻いていく。
……そうだ。これが必要だった。
「……条件がある」
「あっ、良いっすねー条件。そっちの方がこっちもやりやすいっす。で、何が欲しいんすか? この成りでも結構持つもんは持ってるんすよ? お金っすか? 武器っすか? 身分証っすか? あ、それとも新しい能力? 勿論この“魔界”からの脱出は保証させていただ……」
「殺してくれ」
「……」
富、力、地位、安全。何もいらない。俺には持つ資格がない。
生きていること自体、俺には余るのだから。
シンは俺の願いを聞くと、黙り込んで何も言わなくなった。ただひたすら、俺の真意を見定めるようにその仮面の焦点を俺に当てている。
「………………ああ、精神力でも何でもない。生きることが嫌だから、痛みすら動揺に成りえない、ってわけっすか……」
呆れ? いや、これは畏敬の念だろうか。シンはそんな声を漏らすと手首を額に当てる。
その言葉を、俺は内心否定していた。
俺は痛みに動揺していないんじゃない。ただ、痛みを感じたとき、声すら上げられず死んだシズクの光景がちらつく。それだけで、俺の悶えは止まるんだ。
壊れている、と自分でも感じる。
ブツブツと何かを呟く、シンの姿が見えた。
「……この子を?……いや、それは違うっす……これは違う。うちだから意味のある……そう、だから……」
手を下ろし、シンは再び目線をこちらに向ける。
「いいっすよ。その条件、飲むっす」
「······ありがとう」
殺されようと言うのに、何故ここまで感謝の念が沸いてくるのだろう。
独善的な犯罪者の気持ちが、少し分かった気がする。
しかし、そんな喜びもつかの間、当然のように言ったシンの言葉に、俺は眉を細めた。
「んじゃ、あんたの記憶を貰うっすよ」
「······何でだ?」
“超再生”を消すのに、何で記憶をやる必要がある? どうやって記憶を奪うのか、そこらは魔法でなんとでもなるだろう。
俺の記憶は絶対に譲りたくない。俺の意思すらこの世に残したくはない。
「能力を扱うには情報が必須っすからね。あんたに聞くだけじゃ不完全に成りがちっすから、記憶を直接もらうんすよ」
「俺が嘘をつくわけないだろ。この“超再生”は魔力とか、何かを消費することなく無尽蔵に再生する。それだけの能力だ」
「え~これだけの再生能力っすよ? 代償がないわけないでしょ」
何をバカな、とシンは肩を竦める。俺の苛立ちは増していくばかりだ。
「無いんだよ、信じてくれよ! 頼むから、記憶は取らないでくれ! 頼む······!」
「無理っすね。そのせいでうちが死んだらたまったもんじゃ無いっすから」
「······じゃあ、俺の能力はやらねえよ! どっかに消えろ!」
血を吐くように叫ぶと、シンは俺の脇腹に突き立っていた槍をさらに押し込んだ。
「······っ!」
不意打ちで襲ってきた鋭い痛みに歯を食い縛りながら堪える。どういうつもりかと、嘲笑う仮面を睨み付けた。
シンは仮面をぐいっと俺の顔に近づけて、
「······消える? そんなことするわけないっすよ。やっと見つけたんす」
と言った。口調自体は変わらないものの、声音が暗く攻撃的なものに変わっている。
「良いっすか? 勘違いしないように言っておくっすけど、うちはいつでもあんたの能力を奪えるっす。勿論記憶も。あんたの願いを聞いているのは、うち自身の優しさみたいなもんで、うちに絶対に必要なものでもない」
「······」
「それでも譲らないと言うなら、無理矢理にでもその記憶、能力、奪わせて貰うっす」
仮面が顔から離れる。瞬間、体から力が抜けた。―――恐怖していたのか。そのことに遅れて気付く。
例えこれから死ぬ人間だろうが、恐怖は感じるものなのか。何で恐怖する? ―――生きたいからだ。その答えに吐き気を覚えた。
「で、どうするっすか? 記憶、貰うっすよ?」
「······」
シンの問いには答えられない。俺の答えがどちらにせよ······だ。
シンは俺の沈黙を肯定と受け取ったのか保留と受け取ったのか。歩を進め、手を俺の額に当てた。
「うちの能力、“概念貫通”はあんたの記憶そのものに作用して内容だけを反映するっす。安心するっすよ。あんたの願いへの思いは消えない。あんたは死にたいと感じながら、死ぬことができるっす」
優しげなその声。事実上の死亡宣告ではあるが、俺にはその声が非常に甘美に聞こえた。俺は死ねる。彼女の苦しみを追体験しながら彼女の元へと――――否、その苦しみを味わい続ける。
そんな自己満足に、そんな理想に飲み込まれる直前―――
「大丈夫。あんたの記憶はこの一瞬で消えるっすから」
俺は、額に添えられた手をはね除けた。
「―――ふざけるな」
ほんの目の前にいるシンの胴体を、脇腹の痛みに耐えながら蹴りつける。衝撃自体はあって無いようなものだろうが、シンの手は額から僅かに離れる。
「記憶が消える? そんなんじゃ、俺は許されない。シズクに謝りながら、シズクを殺した罪悪感に苦しみながら死なないと、俺は死ねない」
なんで死ぬのか分からないまま、願望だけを持って死ぬ。そんな無意味で空虚な死に方はごめんだ。
「―――そんなのは、絶対にい、」
「―――チョーシに乗らないでくださいよ?」
願いを叫ぼうと上体を起こした直後、俺の頭はシンに捕まれ、地面に勢いよく叩きつけられた。
グシャッと、頭蓋骨に響く痛み。一瞬意識が飛んだが、すぐに目を覚ます。
「あんたの思いなんて知ったこっちゃないんす。いい加減諦めてくださいっす。どうせあんたは死ぬんだ」
「ふざ···けるな!」
「···ちょ······動くなっす!」
がむしゃらに手や足を動かす。仮面を殴り付け、腕を握りしめ、股間を蹴り続ける。
嫌だ······嫌だ······そんな死に方は絶対に嫌だ。その一心で、必死に動き続けた。
それでも、添えられた手はピクリとも動かない。まるで空間に固定されているかのように。俺の心には、ただ焦燥のみが募っていく。
······やがて、
「はぁ、もういいっす······」
「や、やめっ!」
「《概念貫通》」
自分の中身に直に触れられているような不愉快な感覚。振り回していた手足がピタリと停止し、意図が切れたようにストンと体に落ちる。
遠くなる景色。視界の周りから侵食されるように、俺の意識は暗黒に落ちていった。
◇ ◇ ◇
目を覚ますと、そこは真っ白な空間だった。
「―――ここは」
正方形の小さな部屋。少し進んで真っ直ぐに手を伸ばすと、すぐに壁に手が当たる。そこまで広くは、なさそうだ。
俺はどうなった? シンは? シズクのことは······まだ覚えている。そのことに、これ以上なくほっとしていると······。
「―――何してるんだい?」
少し呆れたような声を掛けられる。
振り向いて視界に入ったその顔に、薄気味悪さを覚えて思わず後ずさった。
声を掛けてきたそいつの顔。
「······ドッペルゲンガーか何かか? お前は」
「お前って、まあ、気持ち悪いのは分かるけどさ」
それは、まさに俺だった。
俺と同じ顔。俺と同じ背丈。多分、マイクを通して自分の声を聞いたらこういう感じになるだろうという声。
椅子に座ったそいつは肩を竦めて、俺に笑いかけた。
「こんにちは、俺。僕の名前は知ってるだろうけど天川イチルだよ」
「······本当に俺、なのか?」
僕? その一人称に、違和感を覚える。そもそもここはどこだ? 俺はさっき、確かにシンから記憶を奪われる前に意識を落としたはず······。
そんな俺の疑問の心声を、こいつは見透かしているようだった。
「ここはキミの頭の中。僕はキミの、もう一人さ」
「俺の、もう一人······」
口を開けて、しばし停止する。
オウム返しのような言葉しか返せず、これは俺の幻覚か何かなんじゃないか、と思った。
「ああ、落ち着いてくれて良いよ。さっきも言ったけど、ここはキミの意識の中。ここなら、ある程度は時間も止まっているから」
「······はぁ」
勧められた椅子に座り、頭を押さえ息を吐く。時間が止まっているということは、シンから記憶が奪われる心配もない。
時間が止まっているということは、事態は好転していないということでもあるのだが。
「で、何で俺はここに連れてこられた?」
「話が早くて助かるね。いや~切り出し方が分からなくて」
愉快そうに笑うそいつを見て、苛立ちが頭に浮かんだ。その余裕に満ちた顔は、とても俺と同じ人間とは思えない。
そいつはひとしきり笑った後、一つ息を吐いた。途端に、神妙な顔つきになる。
「キミはさ。異世界転生と異世界転移。どういう違いがあるか、分かるかい?」
······なんだ、急に。
異世界転生は、元の世界で一度死亡し、異なる人物として異世界への生まれ変わること。
異世界転移は、異世界へとそのまま「移動」すること。
「じゃあキミがこの世界に来たのは、どっちだと思う?」
「そんなことが聞きたいんじゃない。無駄な時間を過ごさせるなら―――」
「―――どっちだと、思う?」
―――。
そいつは、酷く悲しげに笑っていた。
込み上げた苛立ちが、収まるのを感じる。何故、こいつはここまで悲しげな顔をしているのか。もう一人の俺というならば、何故俺にはその理由が分からないのか。
俺にはさっぱり、見当もつかなかった。
「異世界、転移じゃないのか?」
「―――うん。だって、あの奈落は本当は存在しないんだから」
―――。奈落······あの、俺をこの世界まで連れてきたあの穴か?
あれが······本当は存在しない?
否定された瞬間、頭にピリッと閃光が走った。
何か、思い出したくない何か。黒ゴリラに叩き潰されていたとき、そういえばあの時も何か思い出していたような――――
そいつは、語り続ける。
「僕はキミ。キミは僕。でも、僕とキミは少し違う」
「どういう、ことだ?」
謎かけのように繰り返される言葉。
気が付けば、俺とそいつの距離はとてつもなく離れていた。いや、部屋自体が俺から離れていく。後ろを振り返ると巨大な虹の閃光が俺を飲み込もうと目映い光を放っていた。
「―――待って、くれよ」
遠くから手を振るそいつに届けと手を伸ばした。そいつは、僕は、笑って手を振っているだけ。
間の距離は絶望的。視界が徐々に、閃光に満たされていく。
光しか見えなくなったその瞬間、俺の目の前は真っ黒に染まった。
何かが始まるような予感があった。それと、予感に対する底知れない恐怖も。
◇ ◇ ◇
■SIDE とある少年の話
「予約してた本があるんですが……」
「はい~。あっ畏まりました。少々お待ちください」
田舎の町の書店。少年から差し出された予約表を見せられ、店員は奥の本棚から目的の本を探す。
店員が戻ってきたときに抱えていたそれを見て、彼は内心興奮していた。
彼の名前は、天川一涙、高校二年生。学力は平均より少し上くらいで、体力テストでは反復横とびで10点を取る程度の運動能力を持つ、ごく普通のどこにでもいる学生。
「税込みで、1198円になります。スタンプカードはお持ちですか?」
「あっはい。持ってます」
既に準備済みの代金を横目に、イチルは財布からポイントカードを取り出し、スタンプを二つ押してもらう。
あとは店員が代金を徴収して本を受け取る。それで終わりだった。本を渡す際に店員がこちらに向けてきた冷ややかな視線を受けて、イチルは苦笑する。
誰かに見られているというわけでもないのにそそくさと道を歩き、家までの歩道で人がいなくなって我慢できないといった様子で、そそくさとイチルはその本を取り出した。
「やっ……たぜ……!」
「絶刻のハーフエルフ」というタイトルのライトノベルを持ち、イチルは小さくガッツポーズを作る。
「ふ、ふふふ……!」
イチルは抗いがたい衝動に押し流されるまま、表紙や挿絵を眺め、道路の真ん中で立ち読みした。
そのまま時は過ぎて行き······。
「……って、こういうのはちゃんと家に持って帰って読むべきだよな」
未練を払拭するように本を閉め、前を向く。気が付けば辺りは暗くなっている。―――どうもラノベを読むときは過ぎる時間が早い。
そう思いながらイチルは時計を見て、げんなりと肩を落とした。
「げっ……もう風呂に入ってる時間だった······」
早く帰らないと怒られる。焦燥した様子でラノベをビニールに仕舞い、一歩踏み出す。
―――。
「あっ、そう言えばカズに教科書貸してたんだっけ。明日テストじゃん。ヤバいヤバい」
そして彼は何事もなかったかのように、友人の家を目指して走り始めた。
次の追憶回は一話で収めてます。