対策会議
「いや、それは無理だと思いますよ。我慢できないでしょ、ゲロって」
職場の後輩はそんな甘々の考えを平気で言う。
「そんな甘い考えが世の中をダメにしていくんだ!」
仕事の帰り、会社近くの焼き鳥屋に後輩を誘い、カウンターでくだを巻いていた。
「ほら、立ちションだって故意なら犯罪ですけど、どうしても我慢できずに漏らした場合って罪にはならないでしょ? あれと一緒ですよ」
鶏肝が一つだけ残った串を小さく振りながら説明するのが、いささか気に障る。
「だが酒を飲んでいるってことは成人しているってことだ。子供じゃあるまい。大の大人が酒を飲み過ぎ、我慢できないからといって道端にゲロを吐くなんて言語道断じゃないか」
自己管理もできないのか――怒りたくなる。いや、少し怒っている。いやいや、朝からずっと怒っている――。
「もし、俺の目の前で吐いている奴をを見つけたら、怒鳴り付けて掃除をさせてやる」
あの場所は帰りにも通る道だ。常習犯が犯行に及ぶ現場と出くわす可能性は十分にある。
「やめといた方がいいッスよ。先輩、喧嘩とかしたことないでしょ? 若いニーヤンとかだったら逆にフルボッコされちゃいますよ」
「フン、酔っぱらいなんかに負けるわけがないだろ。こう見えても体は鍛えているんだ」
毎日の徒歩通勤で――!
「……それに、もしその常習犯が若くて可愛い女だったらどうするんですか? それでも怒鳴って掃除させます?」
「なに、女だと?」
その可能性は考えていなかったな……。
頭の中で、若い女性がミニスカートで四つん這いになり、グレーチングに嘔吐している姿を思い浮かべる。ちょっと可愛そうに思うかもしれない。
そのときは、そっと背中をさすって「大丈夫ですか?」と声を掛けてあげたい。
ハンカチは……貸したくない。
おんぶをして家まで送ってやってもいい……。首元に後ろから急に熱いゲロを吐かれたら……、
鳥肌が立つかもしれない……。
「うわー、先輩、そうとうヤバイ想像してますよね」
鳥皮の串を口にくわえながらまじまじと顔を覗き込んでくる。
「バ、バカもん! いくら若くて綺麗な女性でも、やっていることは同じだ! 罰金だ罰金!」
口にゲロをつけて微笑む若い女性の想像を、慌てて振り払う。
「だから、俺が市会議員になったら、まずは街中のゲロをなくしてだなあ、この街を綺麗な観光地へと変えていくのだ!」
「先輩が市会議員ですか? 会社で組合の役員もやってないのに?」
笑いをこらえているのが憤りを覚える……。
「無理ですよ、誰でもなれる訳じゃないでしょ」
「いや、俺はなる。誰が何と言おうと市議会議員なり、この街をゲロ臭い街から解放してやるんだ!」
腕時計を一度確認すると、後輩が急に立ち上がった。
「そろそろ帰らないといけないんで、お先です」
「まだいいだろ」
俺の話は終わった訳じゃない。
「妻に怒られますから」
……ほら甘過ぎる。
先輩を飲み屋に一人置いて先に帰るなんて、ひと昔前では考えられない。
だが、アルコールハラスメントとか、パワハラとか言って騒げば、都合が悪いのは上司の方だ。時代の流れなのだろう……。
俺は物分りの悪い上司とは違う。そもそもまだ若い。
「そうか、じゃやあな。お疲れさん」
「ご馳走さまッス」
……。
後輩は俺を一人残し、ガラガラっと扉を開けて店を出ていった。
つづく
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