boy's side
ご当地アイドル「ジョイフルフルーツ」のももちゃんと知り合ったのは、高校の入学式だった。
中学からの友人である友樹は地元発信のアイドルグループ「ジョイフルフルーツ」の中でも「みんなのいもうと☆フルフルピーチ」(ファンの間ではももちゃんとよばれている)の大ファンだったから、同じ高校にももちゃんが進学すると知って、大興奮だった。
ももちゃんの受ける高校についてはトップシークレットだったらしい。友樹ですら、入学式で初めて知ったようで、奴は目に涙まで浮かべていた。
「えっと……本名は有松瑠奈といいます。名前で呼んでもらえるとうれしいです」
アイドルに興味なんて無かった俺も、彼女を目の当たりにして驚いた。
今まで知ってる女子とはレベルが違う。
「うっわ、かわいい」
俺は思わず真顔でそうつぶやいていた。
照れも何もなかった。綺麗な絵を見たり、美しい音楽を聞いた時に感動するのとおんなじだ。
だけど、ホームルーム中だった一年三組の教室は一気に沸いた。
俺よりもももちゃんのほうが顔を赤くしていた。
次の休み時間に、同じクラスになった幼馴染の伊藤由美子に「デリカシーが無い!」と頭を叩かれた。
「なあ? ももちゃんの可愛さがわかっただろー?」
自分のことのように得意げなのは友樹だ。コイツはクラスが違うはずなのだが、俺がいるのをいいことに、三組に入り浸っているのだ。
そのうえ奴は、高校内に「◯◯高校ももちゃんファンクラブ」という同好会まで作ってしまった。
学校側としても、そのほうが管理がしやすいと思ったらしく、顧問もいる。ももちゃんの事務所も全面協力。会則があり、もう奴らはももちゃんのボディーガード気取りだ。
ももちゃんフリークの友樹に誘われ、俺もジョイフルフルーツのライブに行ったりした。
「なー。ももちゃんかわいいよなー」
「ああ、かわいいな」
「じゃあ、おまえも入れよ、ファンクラブ」
と誘われ、断りきれなかった俺はけっきょくファンクラブ員になってしまっていた。どうせライブに行くんなら、ファンクラブに入っていたほうがいろいろとお得だったりする。
実際にライブを経験して、元気をもらえるようないいグループだと思ったのだ。
「ちょっと、あんたマジ?」
同じくファンクラブ員の由美子が、険しい顔で腕組みをして俺に詰め寄った。
「まあ、ももちゃんはかわいいと思う。ライブも楽しかった」
「ふーん」
由美子は長い付き合いの中で今まで見たこともないような微妙な表情をしてそっぽを向いた。
なんだそれ。と思う。
おまえのほうがどうかと思うぞ。このファンクラブ、女子は三人しかいないじゃないか。
「私は、瑠奈の友達なの。男ばっかの中に、瑠奈を一人にさせるのなんて、かわいそうじゃないの!」
あ、なるほど。
由美子ってやつは、たいがいこういうやつだ。いっつも誰かのために怒ったり笑ったり泣いたりしてる。
由美子は「ケンと出会ったときのことなんか、憶えてなーい」と言うが、俺の方ではちゃんと覚えている。
父も母も、仕事の忙しい人だった。俺は小学校へ上がると祖父母の家に預けられてた。
「いい子にするのよ」「おじいちゃんとおばあちゃんに迷惑かけちゃだめよ」「良い子にしてたらお母さん、お土産持って会いに来るからね」
まだ小学校一年だったけど、俺はいい子でいようと頑張った。
いい子にしてなけりゃ、両親に見捨てられるんだと思ってた。大体子どもにとって、じいさんばあんさんのところに預けられただけでも、見捨てられたような気分になると思うんだが、その辺をあの人たちはわかっていないらしい。
学校でも、黙々と授業を受け、なるべく静かに一人でいた。泣きたい気持ちは、心の奥に仕舞い込んだ。
その俺に始終ひっついて、あれやこれや話しかけてきたのが由美子だ。
俺に構うな。
いっつも心のなかに不安と苛立ちを持っていた俺は、由美子が邪魔でしょうがなかった。
だから、鉄棒で遊んでいた由美子を押した。とっさの行動だった。
由美子は鉄棒から落ちて、あちこち擦りむいた上に、手首を捻挫した。
やってしまった後に、俺はしまったと思った。
あの時のことはよく覚えている。
小学一年生ながら「もう俺の人生は終わった……」って思ったからだ。
俺の今までのガマンはすべて水の泡。きっと捨てられちまうんだ。
はっきり言ってあの時の俺は最低だったと思う。由美子のことなんか、これっぽっちも心配をしちゃあいなかった。
だけど、由美子は俺のことを誰にも言わなかった。
それどころか、俺と目が合うと痛さに涙を溢しながらもながらもニコっと笑ったのだ。
その笑顔を見た時に、俺の中の由美子へのわだかまりは消えてしまった。完敗だった。
その由美子のおせっかいは今や瑠奈に向けられている。
「瑠奈! あんたが休んでたときのノート!」
「瑠奈! 日に焼けちゃうから! 帽子被って、はい、日焼け止めは?」
「あれ? 今日調理実習だって……エプロン忘れた? 待ってて、借りてきたげる!」
「瑠奈。インフルはやってきてるって。マスク使っていいよ、箱ごとロッカーに入ってるから」
おまえは瑠奈の母ちゃんか?
俺は横目でそんな二人のやり取りを、ただ黙ってみているだけ。
ファンクラブ員とはいえ、瑠奈と親しく話したこともなかったから、バレンタインデーのその日に、瑠奈からの俺一人に宛てた「放課後家に来てくれませんか?」というメッセを受け取った時は驚いた。
まさかだろ?
たまたまバレンタインデーだっただけで、なんか違う用事だろ?
……とは言え、家に呼び出されたなんてことは今までなかった。
そんな俺の思いとは裏腹に。瑠奈の部屋へと招きいれられた俺の前には、可愛いピンクの包装紙に包まれた小箱があった。
瑠奈は、俺の前で正座して、カチンコチンに固まって、真っ赤な顔をしてそっとその小箱を押し出してくる。
「よ……呼び出したりして……ごめんなさい。あの、ガッコだと、人の目もあるし、ゆっくり話せないって思って……で……」
このまま呼吸困難に陥っちまうんじゃないかってくらい、はふはふしながら、一生懸命に言葉を探しているのがわかる。
みんなのいもうと☆フルフルピーチ。
小さくて可愛くて、甘くて……かわいいアイドル。
「……由美子は?」
俺の言葉が瑠奈の耳に届いて、瑠奈の表情が凍った。
「由美子はこのこと、知ってるのか?」
瑠奈の目に、じんわりと透明な膜が張る。
こくんと頷いた拍子に、丸い雫がぽとりと落ちた。
「……そっか」
由美子は瑠奈が俺にチョコを渡すことを知ってた。
なるほど。そういうことか。
俺はなんだかおかしくなって。
多分その時笑ったんじゃないかと思う。
「やっぱり……健くんは、由美子が好きなんだね?」
「……ごめん」
謝罪が答えだった。
瑠奈が首を横に振った。もう、涙はなくなっていた。
「ううん。お願いがあるの。このチョコレートね、初めて手作りしたの。バレンタインの返事はごめんなさいでもいいから、もらってくれる?」
ふわふわのピンクのグラデーションの包装紙。金のリボンで結ばれて、たくさんのひだを寄せて揺れている。
俺はその日、みんなのアイドル「フルフル☆ピーチ」のももちゃんから、その小さな包を受け取った。
二話目はバレンタインデー当日に投稿しようと思います。