海軍の造船法
1940年5月8日、連合艦隊司令官 山本五十六は米国の造船能力に対抗するため、空母の建造計画の見直しをし、各司令官につたえた。それによると、建造開始と同時に船体と飛行甲板を作って進水と同時に飛行甲板を10区画に分け、一週間で飛行甲板を船体に装着するというものであった。これにより建造日数は、19ヶ月となり、改雲龍型空母 翔鶴型空母を2隻から6隻とした。
対する米軍もエセックス級空母を7隻1944年にかけて建造するというのだ。「緊急です。べっ米軍が新型爆撃機B29を開発中です。これができればアッツ島からだと東北地方まで届きます。」「五代通信兵 大本営に打電せよ」
大本営では、早速開発陣(三菱 中島などの技師)を呼び、必死になって議論をしている。約2時間大体のことは決まった。
一五式試製局地戦闘機
エンジン 火星三四型 1600馬力
最高速度 582km/h
航続距離 1280km
武装 20mm機関砲 2丁 12.7mm機銃2丁
海軍 雷電一一型 陸軍キ45
この機体は陸海軍両方で使われることになり、その呼び名も2つあった。速度は速い分航続距離、旋回能力が失われており、零戦の対照的な機体である。海軍はさらに着艦フックなどをつけた艦戦型も検討したが、航続距離が短いため幻となった。
アメリカ軍は、戦争にひきづりこませたいのか、ハルノートを日本に押し付けた。その内容は絶対に無理なものであり、特に 陸海軍を持つな というところには流石の天皇陛下もあきれたと言っていた。