上海への陸海軍の協力 前編
史実ではあり得なかった陸海軍の協力です
1939年4月19日、日本軍は、海軍航空隊と陸軍航空隊を統合することになった。統合といっても航空機を統一するだけだが。実は、中国戦線で海軍の飛行場に陸軍機が不時着してきたが不慣れな整備員は、整備するのに三日もかかったからだ。そして新たに戦闘機用エンジン1300馬力級 艦上爆、攻撃機用エンジン1400馬力級そして双発陸攻用エンジン1550馬力級を開発するということが決まった。なぜなら米軍などが1000馬力級エンジンを使っているのに、日本軍は800馬力などと貧弱であったからだ。
一ヶ月後機動部隊は再び上海へ出撃することになっただが前回の未帰還17機は補給されていない。前線から引っこ抜くのもアレだということで、内地で空母鳳翔が訓練生36人練習機21機を乗せて瀬戸内海で訓練を行っている。もちろん艦爆、艦攻の搭乗員は、この訓練が終わった後も急降下爆撃や雷撃の訓練を3週間ほどするのだ。
5月30日、機動部隊司令官豊田中将は、第一次攻撃隊72機を発艦させた。もちろんどれもれ陸上攻撃用の爆弾であり敵戦車などを攻撃する任務が与えられた。偵察機によると、敵は約8万の兵力だということが分かったので、『攻撃隊とともに上海へ攻撃するように』と上海攻略部隊へおくった。
約一時間後上海攻撃部隊が攻撃隊を確認したので印の信号弾とともに攻撃隊、攻撃部隊は突撃を開始した。
戦いの様子は後編で