ピエロの徒然日誌15
まあ、いずにしろ、人生は賭けに満ちていて(笑)それを愉しめる意気地が有ると無いとでは雲泥の差なわけだ(^0^)/
スリリングな遊戯には当然地獄と天国が共存している有様で(^0^)/
その確率は海等では正に五分と言えよう。
大自然の齎す天災(私は人食い鮫に食い殺される理は天災だと断じるわけだ(笑))は人の命など至って簡単に奪い、人が何人死のうが、体勢に異常はなく、自然は自然のままに地獄と天国を併せ持ちながら継続存在続行し、一番でかい面をしてやぶさかではないわけだ(笑)
人は健康体で(笑)享楽快楽を貪るのが一番のパラダイスだと思って(笑)いるきらいはあるが、その喜悦は残念ながら麻痺するものであり、より一層のパラダイス刺激(笑)を求めて享楽快楽は深化して行き、やがて五分のバランスは崩れ、死に至り、ジ、エンドとなる(笑)わけで(*_*)
悲願大願成就するには苦痛や苦悩は付き物であり、享楽快楽の持続?(笑)では夢?や悲願は絶対に成就しないと言い切れるわけだ(^0^)/
つまりバランスとその捉らえ方の問題であり(例えばドラッグをやって、その快楽維持の為にひたすらドラッグを強めて行く、その行為をマゾ的に地獄と捉らえるか、真逆に天国と捉らえるかは、身の破滅が待っていようとも、それを感じる個人差の自由度であり)例えば死んでもそれを由とするならば、その享楽快楽は正に天国であり(笑)死ぬ事を由としなければ、それは地獄と言えよう(^0^)/
つまり選択の自由は概ね(笑)許されてはいるのだが、賭けの対象は生死しかなく、賭けに負ける事が地獄ならば(笑)それは地獄であり、死んで(本当に本望?だと思っているならば?)それは天国と言えよう(笑)(^0^)/
まあ、実存主義の理ではないが、道程に於いて選択の自由は常にあり(笑)それに天国、地獄を感じるか(笑)感じないかは(笑)これも個人差、本人達の自由と言うわけで(^0^)/
しかし、死んでも生前の地獄観や天国観を継続維持出来るかどうかはこれも賭け(笑)となるわけで(^0^)/
まあ、いずにしろ、人生は賭けに満ちていて(笑)それを愉しめる意気地が有ると無いとでは雲泥の差なわけだ(^0^)/
諸兄よどう思う?(^0^)/
お笑い草か?(^0^)/
ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ(^0^)/




