魔王ヘラ
「ぶるぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
本日は十歳の勇者見習いの、虫も止まるようなへなちょこパンチに一発でハーデスはぶっ飛ばされた。
どうやったら虫が止まるようなパンチで数メートルも吹っ飛ぶことができるのかとキューちゃんは思いながら、勇者見習いに魔王ハーデスを倒した証であるケルベロスのバッジを渡す。
因みにハーデスの身長は215cm、体重は183㎏ある。ハーデスは決して太っているわけではない、むしろ筋肉質で手足は丸太のように太い。あまり人には見せないが腹筋だって八個に割れている。
何故かそれでも十歳の子供のパンチで数メートルも吹っ飛んでしまうのだ。
子供の方は特別強いというわけではない。身長と体重、恐らくその年の他の人間と大差はないだろう。
ハーデスのいるところだけ重力が軽いんじゃないかと疑うくらい、すぐに吹っ飛んでしまう。
「ずっと嫌がってますけど、そろそろヘラ様のところへ行ってみます?」
「………やだ」
頭から壁にめりこんだままのハーデスはそう答えた。
自力で壁から頭を抜いたハーデスは小さく溜息をつく。
この溜息は今回負けたことに対する溜息ではない。キューちゃんの口から「ヘラ」という言葉が出てきたことに対する溜息である。
「ヘラ様は身長も体重も並の人間レベルなのにすごく強いじゃないですか」
今度はハーデスの口から大きな溜息が出てきた。
「強いけどさぁ~…俺会いたくないよ~」
「私もあまり会いたくないですけど…」
二人の空気が少し重たくなる。
「そうか、私は会いたかったぞ」
今のはキューちゃんが言ったセリフではない。今この魔王城に住んでるのはハーデスとキューちゃん、そしてケルベロスのタロウだ。タロウは言葉をしゃべれない。つまりこの魔王城でハーデスとキューちゃん以外の言葉が聞こえてはこないのだ。
ハーデスもキューちゃんも声がした方を二度見してしまう。
「ハ――――――――――――く――――――ん――――――!!!!!!」
ハーデスの事をハー君呼ばわりしていきなりハーデスに抱き着いたこの人物こそ、魔王三人衆の一人のヘラである。
背中まであるさらさらの水色の髪に、頭から左右に一本づつ生えている魔王の一族の証である黒い角。少しつりあがった目と細めの眉、高い鼻に桜色のぷるんとした唇。服装はセクシーに肩と豊満な胸元を出した真っ黒のドレスを着ている。動きやすいようにスリットだ。そして両腕には戦闘用と思われるシルバーの手甲をはめている。そしてその上から黒いマントを羽織っている。身長はハーデスのように高くない、大体165cmくらいだろう。
「ハーくん会いたかったよハーくんハーくんハーくんハーくんハ――――――く―――ん!!」
「くっつくなよヘラ姉」
ヘラはハーデスの姉である。そしてヘラはハーデスの事を溺愛している。そしてハーデスはこれをうっとおしく思っている。
だからハーデスはヘラには会いたくないと言っていた。
「メス猫に何もされてない? 大丈夫? まだ綺麗な体でしょ? それでこそ私の弟だよ、ハーくん」
なんとなくわかるがヘラはキューちゃんの事を嫌っている。メス猫とはキューちゃんの事だ。
ヘラはキューちゃんがハーデスの綺麗な体目的でお付きになったと思っている。勿論キューちゃんはハーデスの体なんか狙ってないし、何度も誤解を解こうとした。が、ヘラは聞く耳を持たない。因みにハーデスはたまに風俗など行っているため全く綺麗な体なんかではない。むしろ汚れきっているかもしれない。
「わ…わかったからとりあえず離れて。お付きはどうしたの?」
頬をすりすりと擦り付けてくるヘラをハーデスは何とかはがす。
「うん、途中で撒いた」
そんな事したってすぐにばれるのに、とハーデスは思う。
「やっぱりここでしたか、見つけましたよヘラ様!」
通路の方には茶髪モヒカンの一人の青年が息を切らしながら立っていた。
「撒いたって意味ないですよ。行き先は分かっているんですから!」
白地に黒で大きく犬の顔の絵が書かれたTシャツの上から黒の革ジャンを着ていて、下は黒いライダースーツのようなものを履いている。
細い目に細い眉、あまり高くない鼻に口には大きな牙が沢山生えている。
「お前も大変だな、ウルフ」
「お久しぶりです、ハーデス様」
彼はヘラのお付きであるウルフ、狼男である。
狼男とは月を見ると狼の姿に変身することで有名である。実は狼男は満月でなくとも三日月でも新月でも変身することが出来る。変身すると二足歩行をする狼のような姿になり、素早さや力も変身前とは比ではないくらいに強くなる。
変身前でも鼻は他の魔族の何十倍も良く、視力も高い。
だから例え撒いたとしても、匂いでばれてしまう。
因みにウルフはお付きとしての日はキューちゃん程長くなく、以前は探偵をやっていたらしい。
「それで、今日はどんな用事で?」
「………」
少し呆れながらキューちゃんはヘラに聞くがヘラは黙ったまま答えない。
「今日はなんか用?」
「用事がなきゃ来ちゃだめ?」
今度はハーデスが聞いたらヘラはちゃんと答えた。ハーデスに抱き着きながら涙目で上目遣い、姉弟でなかったら確実に惚れているであろうが二人は姉弟である。
キューちゃんはヘラの態度に唇が引きつっている。
「あ~ら、淫乱サキュバスさん何か言いました? すいませ~ん、聞こえなかったんでもう一度言ってもらえないですかぁ?」
「すいませんね、年増王さん。耳が遠いみたいだからもっと大きな声で言わなきゃ聞こえないですよねぇ~?」
ヘラの後ろに巨大な竜が、キューちゃんの後ろには巨大な虎が見える。まるで嫁姑の確執だ。
ハーデスもウルフも二人の迫力に動くことも喋る事も出来ずにいる。
以前一度キューちゃんとヘラがガチでケンカをしたことがあった。その時は二人ともボロボロになりながら五日間も夜通し闘っていた。勝敗はつかなかったが、それでも二人は和解することはなかった。お互いの力を認め合うバトル漫画のような展開はなく、お互いより一層嫌いになっただけである。
その時にできた直径一キロほどのクレーターは、今ではちょっとした観光スポットとなっている。
因みにその時のハーデスとウルフは大魔王のところに避難していた。ハーデスはこれの以前にキューちゃんに殺されかけたにされたことがあったので、キューちゃんが暴れていた五日間は恐怖のあまり眠ることが出来なかったという。
「あ、ハーくん。今日はお泊りさせて」
ヘラはハーデスのところにきては、ほぼ毎回と言っていい程こう言う。
その時はキューちゃんとウルフはヘラの住む魔王城に避難する。正確にはヘラとキューちゃんを争わせないためにウルフがキューちゃんを連れ出す。
「今日は二人っきりだよ!!」
ハーデスと二人っきりになったことでヘラのテンションは最高潮である。