初心者の森!
安全区域となる【街】から一歩外に踏み出すとそこは魔物の闊歩する危険な世界、【ワールドゾーン】だ。ワールドゾーンでは常に魔物と遭遇する危険が潜んでおり、街まで後戻りするのにもゲームオーバーの危険を孕んでいる事になる。
そんなプレイヤーにとっては一歩毎が未知の冒険となるワールドゾーンにおいて、比較的安全、そしてほぼ街への直帰が可能な唯一のステージが存在する。【始まりの街】から西に隣接する【初心者の森】はクリア所要時間およそ15分、そして各所に点在するワープゾーンから街への帰還が可能だ。出現する魔物も最低レベルであり、プレイヤーが肩を慣らすにはもってこいの場所だ。
「ハイっ」
タスクは目の前に迫る敵【ギャム】に片手剣を振るった。
茶色い体毛にタスクの身長の半ば程の体躯、チュートリアルに出てきた【プギー】と違うのは、体当たり以外にも爪を立ててこちらに襲い掛かってくる点だろうか。
片手剣は爪に弾かれた。テレビ画面で攻撃を避けられるのとは似ても似つかない敵の防御。初級の魔物ですら防御、回避を行えることにタスクは人知れず高まる気持ちのまま、もう一度剣を横薙ぎに振った。
今度こそヒットした剣先がギャムのHPを削る。負けじと体当たりしてきた【ギャム】の攻撃を躱し、少々距離の空いたギャムに向けて剣士の初期スキル【クイックサーブ】を発動する。一直線に高速で距離を詰めたタスクの片手剣が光り、剣先がギャムを捉えてHPを削り切った。
軽快なメロディと共に経験値の取得を知らせる。
このゲームのアクティブスキルは2種類に大別されており、剣士が多用する【物理スキル】に限って言えばそれは「脳内で完結する」と言い換えられる。記憶されたスキルの効果を思い描いて体を動かし、それに呼応するだけのMPが消費される。スキルの発動に必要な条件は要するにスキルを発動する意思があること、スキルに見合ったアクションを起こすこと、発動に必要なMPを所持していることの3つだ。
タスクの手元にあるマップレーダーに新たな敵の反応が現れ、アカリを前に押しやった。
「おめも戦え」
「はあ楽勝だから」
そしてもう一つが、【魔法スキル】だ。
敵の姿を確認したアカリが小さく後ずさる。先ほどよりも体格の整った魔物【プチオーガ】は大きな棍棒を持った二足歩行の魔物だ。アカリはその容姿に恐れているが、プチオーガの動きは見るからに緩慢で捉えやすく、魔法使いとは相性がいい。
「Magic:Fire!」
これがこのゲームにおける【魔法スキル】だ。【物理スキル】との最大の違いは【詠唱】が必要になる点。主に近距離において絶大な効果を発揮する【物理スキル】との差別化の為に、遠距離でも強力な攻撃を放てる【魔法スキル】には発動までに時間を要するよう【詠唱】という動作が作られたらしいが、今後ゲームバランスにどのように影響してくるかはまだ定かでない。
呪文とスキル名の詠唱が終わり、アカリの持つ杖の先から火の玉が召喚される。
プチオーガにヒットした火の玉は小さく弾けてダメージを与えた。しかしHPを削り切ることはできずにアカリに接近して棍棒を振り下ろそうとする。
「わ、うそっ」
慌てて背を向けて逃げようとするアカリの姿を見てタスクは頭を抱える。しかしアカリとプチオーガの間に割り込むようにして剣を突き出したカズマによってアカリの背が打ち付けられることはなかった。
カズマの両手剣がプチオーガの棍棒を防ぐ。騎士ならではの防御力と胆力で以てプチオーガを押し返すと、短くスキルを唱えた。
「Magic:thunder chage!」
カズマの剣がバチバチと小さな雷を帯びる。その剣を突き刺すと、プチオーガのHPは消滅した。
【魔法スキル】は、何も遠距離の魔法ばかりではない。カズマが行ったような武器に対する属性付与、また属性耐性を増加したりステータスを一定時間底上げしたりと、多様な補助、また剣や槍、弓のような武器でも特殊な攻撃を放つ【魔法スキル】は存在するらしい。逆も然り、もちろん魔法系列の職業も無詠唱の【物理スキル】がある。
【物理スキル】と【魔法スキル】の使い分けは、このゲームでの最大の特徴、また戦闘において最も重要なポイントの一つと言える。
そして、タスクにとってもう一つ大事なポイントがあった。
「おめは何を背中向けて逃げてらんだやっ」
タスクは、アカリのほっぺをつねるのが先だった。
* * *
「……」
【スライム】というありきたりなモンスターを前にして、タイヘイは微動だにせずにその動きを観察していた。
タクマは宿屋に、タスク達は見つからず、途方に暮れたタイヘイは一人で【初心者の森】にやってきた。そして最初にエンカウントした魔物の名前は【スライム】と世にありふれたRPGには欠かせない存在で、そのぷるぷると揺れるだけの魔物らしき生物を、タイヘイはじっと見つめている。
「あ……動いた」
スライムが行動を開始した。いったいどこに向かうのだろうと凝視していると、タイヘイの方にゆったりと近づいてくるではないか。
嬉しくなってこちらからも距離を詰めると、スライムが突然跳ねた。
そのまま体当たりを食らってよろけるタイヘイは、そういえば目の前で揺れる不可思議な生物が魔物だったと思い出した。
「よしっ」
声と共に気合を入れて【木の棒】を構える。……なんだか様にならない。
人知れず落ち込むが、気を取り直してスライムに向かって木の棒を打ち付ける。HPが少量減るが、それよりもスライムの体当たりを避けられずに減る自分のHPの方が先に削り取られそうだ。このままではジリ貧。初期の魔物すら倒せない職業を選んだことを、深く後悔していた。
「……逃げよう」
早々に撤退を決意したタイヘイだったが、街への帰路にはスライムが待ち構えているので、森の奥へと続く道を選んで駆けた。幸い、この森にはいくつものワープゾーンが備えられているらしいので問題はないだろう。
もちろん、スライムの移動速度が大して早くないのを見越しての選択だったのだが、少々甘く見ていたようだ。スライムはタイヘイが背を向けると同時に速度を上げ、全力疾走をするタイヘイとの距離は思うように広がらない。
「まーじ……」
木々を縫うようにして逃げ、スライムを少しずつ巻いていく。
運よく他の魔物にエンカウントすることもなく、マップを確認しても魔物反応は無かったため一息ついた。
しかし直後に聞こえた物音に後ろを振り返る。今度は何だ。
そこには、タイヘイの手にも収まりそうなくらい小さな薄桃色の球体が浮いていた。
「……」
今までのタイヘイであればまた迂闊に近づいて奇襲を受けていたのだろうが、今度はそうはいかない。あれがいかに可愛らしい見た目をしていようとも魔物であることには違いなく、タイヘイはそんな魔物を倒しにこの森にやってきたのだ。
そう思って木の棒を構えなおすタイヘイだったが、今しがたマップには魔物の反応がなかったことを思い出して再確認してみる。もしかしたらたったいまポップした魔物かもしれない。
しかしマップには相変わらず魔物は存在し無かった。
であれば、あれは魔物ではない。
警戒を解いて球体に近づく。近くでよく見るとその球体は二つの純白の羽を備えており、まん丸い目が二つついた奇妙な生物だった。
指で突いてみるが、体を揺らすだけで逃げようともしない。怪しい。
「あ、そうだ」
そうして思いついたのは自分の職業と、そのスキルのことだ。
魔物使いの初期スキルは【テイム】といって、魔物を従える効果がある。
この小さな生物が魔物かどうかすらわからないが、物は試しである。
「【テイム】!」
スキルを発動すると、薄桃色の球体は瞬く間に光に包まれた。
【テイム】の条件は対象の魔物が自らを受け入れること――具体的に言うならばHPを削れるだけ削って屈服させるか、対象の好物などを使って好感度を上げるかのどちらかだ。そのどちらも行っていない状態で謎の生物にスキルを発動したわけだが、結果は芳しいものだったらしい。
「きゅー!」
一丁前に可愛らしい声を上げる生物のステータスを見てみるが、本来記載されているであろう魔物の種族名は空欄だった。バグか何かだろうか。
「まあいっか」
安直に名前を【キュウ】と設定する。安直だが、的を外すよりはずっといい。
「よろしくな、キュウ」
「きゅーっ!」
キュウの元気な声が、森に響いた。