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たんとおたべ

しあわせトースト(12/11編集)

作者: 狂言巡

 朝起きて、空が真っ青だと、さっきまでの夢なんか忘れて、いい一日になりそうだと頭の中身をチューニングすることができる。


「おはようございます、(もも)さん」

「おはよー青葉ちゃん」


 最近の、ボクの朝の日課。ちょっとせまいけど、綺麗なキッチンに立つ桃さんに朝食をねだること。

 桃さんはにこーっと笑って挨拶してくれる。そしてもう少し待ってねと言って、器用に片手で丸いフライパンに卵を落としていた。……本当は、とろとろのスクランブルエッグのほうが好きなんだけれど。お家に住ませてもらっているのに、そんな我侭を言うわけにはいかない。でも今度それとなく伝えてみたら、ぐしゃぐしゃのほうも作ってくれるだろうか。

 たぶん、今朝のメニューは目玉焼きのかりかりベーコン添え、昨日ボクも手伝ったポテトサラダ……は夕飯のハンバーグの材料にするらしく、違うサラダを作っているみたい。あ、そういえばスピカ(ボクの従妹)の家から林檎が送られてきたんだっけ。もしかしたら、うさぎさんリンゴついて来るかもしれない。

 赤と白は人をウキウキさせる。そうしたら、かなり、リッチな朝食になる。でも、フルーツをむく担当は桃さんの妹の(よう)さんだし……あの人が起きてこないとわからないかも……。

 どこかの洋楽をハミングしながら、朝食を作っている桃さん。その姿を後ろから眺めながら、今朝の献立を予想していく。なんだか楽しい気分で、なにか手伝いたいなと思った。しばらくキッチンでふらふらしていると、なにか言いたげなボクに気づいたらしく、どうしたの? という風に首を傾げた。


「……なにか、お手伝いすること、あります?」

「ああ! 手伝ってくれるの?」

「はい」

「ありがとう~」


 此処に居候させてもらっているのに、ボクはこの家に一銭もお金を払っていない。だからこのくらいのお手伝いは当然だと思うのだけれど、桃さんはボクになにかさせるという考えはまったくなかったらしい。ボクの台詞に驚いてちょっと緑色の眼を見張ったあと、ふにゃあと表情を崩す。そして嬉しそうに笑って、


「じゃあ三人ぶんのトーストを焼いてほしいな」


 いつも外はこんがり中はふんわり香ばしいトーストを差し出してくれる、銀色のトースターを指さした。

 なにかこだわりでもあるのか、ここのお家のパンはスーパーで売っているような安いやつじゃなくて、パン屋さんのちゃんとしたパン。イースト菌っていうの? それがたっぷりなのかふわっふわの、それ。食パンでもクロワッサンでも、焼きたてをマーガリンをたっぷりつけて食べるとすごく美味しい。最初に食べたとき、あんまりにも美味しくてびっくりしたくらい。

 そのとき、目が合った桃さんがちょっと自信ありげに笑ったから、きっとなにかこだわりがあるんだろう。スプレッド(パンやクラッカーに塗って食べるもの)にも、まだまだ素敵なヒミツが詰まっていると思う。特に、果肉がたっぷり入ったいちごジャム。本当の甘い苺の味がして、すごくすごく美味しいんだもの。

 いちいち小さなことにまでこだわりがあるというのは、ボクにはよくわからないことだけど。桃さんの『こだわり』は、生活に直結しているからすごくわかりやすい。彼女は食材のひとつひとつまでこだわって美味しいものを探してくる、本当にすごい人だ。

 陽さんは和食のほうが好きみたいだけれど(ほかほかのお米、パリパリの海苔、昨日のすき焼きの雑炊とかも、ボクは大好き)、ボクはこの洋食の朝ごはんをとても気に入っている。


「よーちゃんは二枚食べるから、四枚焼いてね?」

「わかりました」

「あ、青ちゃんももっと食べたかったら焼いていいからね~」

「はい」


 オレンジ色のトースターに、四枚のふわふわだけどしっかり弾力のある食パンをセット。あとは勝手にトースターが焼いてくれる。やることがなくなったので、手馴れた様子で三人ぶんの目玉焼きを焼いている桃さんの元に戻る。今度はお皿を出して欲しいと頼まれた。

 ボクは椅子を引っぱってきて、キッチンの棚から平らな白いお皿を三人ぶん用意して、テーブルに並べる。……ボクがここに来たばかりのときは、二人ぶんしかなかった食器は当たり前みたいに三人ぶんに増えていた。きっと陽さんが買い足してくれたのだろう。ボク専用のマグカップとお箸とお茶碗(全部ボクが好きな色)は、この家に迎えられたその日に桃さんが買ってきてくれた。

 二人掛ければ充分なテーブルは、ボクが加わったことでいっぱいいっぱいになって、夕食の時のお皿なんかぜんぶ並びきらなくなった。それをおかしそうに笑ったのは桃さんで、陽さんは真剣にテーブルを買い換えようかどうか悩んでいた。

 ……そんなの、ボクを追い出せば、まあるく収まるのに。そう思うけれど、口には出さないでいた。それはずるいことだってわかっているけれど、このお家は心地いいから出て行くわけにはいかない。桃さんも陽さんもすごく優しいし、お風呂も広くて、ベッドはふかふかで、ご飯も毎日美味しい。できることなら、ずっとずっとここにいたいと思っている。

 ぼうっとそんなことを考えながらトースターを眺めていたら、いつの間にか起きてきた陽さんに頭を撫でられた。まだその顔はちょっと眠そうな感じ。最近伸ばしはじめたらしい髪は、不思議な寝癖があちこちできている。きっとあとで桃さんに直してもらうんだろう。


「おはよう、青葉ちゃん」

「おはようございます」

「姉さんもおはよう」

「おはよー、よーちゃん」


 フライパンから目玉焼きがお皿に移されると同時に、チン! という高い音がしてトーストが焼きあがる。美味しい匂いが鼻をくすぐって、きゅるる。あーあ、お腹が騒ぎ出した。ボクのお腹の虫の訴えに、陽さんがふきだす。そしてボクをテーブルの席に促した。二人掛けのテーブルに、他のところから引っぱってきた即席の三つめの椅子を足して、三人で囲んで、挨拶。


「いただきます」


 それから、すぐに聞こえてくる、あれとって、こっち食べる? そんな、テレビの中でしか見たことのなかった朝食の風景そのままのやりとり。ボクはそれがなんだか嬉しくて、その空気さえも朝食の一品みたいだと思った。ほどよく溶けたバタートーストにかじり付きもくもくと食べていると、


「いい夢でもみた?」


 サラダをよそってくれていた陽さんが尋ねてくる。どんな風に答えたら正解なのかとちょっと口ごもったあと、


「朝ごはん、おいしいです」


 素直に感想を言うと、桃さんはうれしそうにニコっと笑ってボクをぎゅうぎゅう抱きしめた。


「駄目だよ姉さん、食事の最中なんだから」

「えーだってだって、青葉ちゃんかっわいいんだもん!」

「青葉ちゃんが困っているよ」

「ええー」

「そんなこと、ないです」


 たしかに、抱き付かれた瞬間、少しトーストが器官に入りかけてちょっとむせたけど。それを含めても桃さんのスキンシップは、不思議と嫌いじゃない。むしろ、好き。もちろん、陽さんのことも。この人たちと、お家で起こることはぜんぶ、だーいすき。

 陽さんに止められて名残おしげに離れていく桃さんを見送って、ボクはまたトーストにかじり付いた。こんがりといい具合に焼けた、中はふわふわのトーストは美味しくて。桃さんが作ってくれた焼きトマトも人参スープも美味しくて。

 ごはんが美味しいなんて思ったのは、いつ以来だろう。ボクはわいわいじゃれあう桃さんと陽さんを見ながら、牛乳パックを引き寄せた。






 朝起きたら、朝食が出来ている光景というのは、素晴らしいことだと思わないか?

 スイッチを押さないと転げまわる目覚まし時計に、せっつかれるように起きた。重い瞼をこじ開けると、中途半端に開いたカーテンの隙間から、朝の日差しとおはようございます。可愛いけどけたたましい音と共に転がり続ける目覚まし時計を、仇を討つ勢いで叩き消し、ベッドから上半身を起こす。

 部屋に舞い上がった小さな埃をキラキラと反射させていた。でも低血圧のせいか、まだ思考はぼんやりと膜が張っている。それでも、耳は勝手に音を収集してくる。

 リビングの方から聞こえてくる食器のカチャカチャという音と、ソプラノとメゾソプラノの話し声とか。今日の朝食当番は、僕の姉さん。青葉ちゃんは、ご飯の匂いで起きてきたみたいだ。食器の音に混じって、聞こえる姉さんの笑い声。あぁふたりは仲良くやっているのだなと何となく安心する。まぁ、姉さんは人を嫌うなんてことがあるのだろうかというくらい誰にでも優しいけど。

 そんなことを考えながら、ベッドから今度こそ抜け出すと、素足のままリビングへと足を向けた。そろそろ床が冷たいからスリッパを買ってこなければ。霜焼けが怖い。もちろん、姉さんと青葉ちゃんの分も色違いで三人分揃えよう、動物物もいいなあ……。洗面所でとりあえず顔を洗ってから、居間にまだ眠い瞼を擦りながら顔を出す。


「おはよう、青葉ちゃん」

「おはようございます」

「姉さんも」

「おはよー、よーちゃん」


 二人の家族に挨拶する。ベーコンエッグを乗せた皿やフライパンを持ったまま、パタパタと動き回る二人の姿を見ると、普段は猫みたいなのに、こういう所は犬みたいだと思う。あ、新聞とってこないと。

 新聞と広告を抱えて玄関から戻ってくると、香ばしいバタートーストと美味しそうなおかず達に食欲を刺激されたのか、青葉ちゃんのお腹がきゅるると可愛く鳴った。慌ててお腹を抑えた青葉ちゃんに、思わずふき出してしまう。姉さんの作る朝食は美味しいから、無理もないんだけどね。それに自分のお腹だってもうすっからかんだ。

 わかりにくいけど、照れ隠しだろうかくしゃっと顔をしかめた青葉ちゃんを促して食卓についた。最後の一品を置いた姉さんを待って、食器満員御礼のテーブルを囲んで両手を合わす。


『頂きます』

「はい、召し上がれ」


 カチャカチャと食器とフォークの触れ合う音、つけっ放しのテレビから流れるアナウンサーの声、姉さんの楽しげな声とそれにぽつりぽつりと答える青葉ちゃんの声が耳をくすぐる。いろいろな音が混じって、そこそこうるさい朝の食事風景。

 こんがり焼けたバタートーストは美味しくて、朝からわざわざ作ったのであろう柿と胡桃のサラダや焼きたてトマトも美味しい。正直、本当はご飯とみそ汁の純和風の方が好きだけれど。最近は洋食も捨てがたいなと思うようになっている自分は『餌付けされているな』とひっそり笑う。

 その笑いを見たらしい青葉ちゃんが不思議そうに首を傾げたけれど、何でもないと手を振って食事を続けた。その後姉さんが朝食の時間だというのも忘れて青葉ちゃんを抱きしめるのをひっぺはがしたり。抱きつかれた拍子に喉にトーストの欠片を詰まらせたらしい青葉ちゃんにミルク入りの紅茶を渡したり。

 賑やかな朝食の時間は続く。生きている音が満ちている空間。愛しい人が目の前にいる光景。きっと、幸せってこんなかたちをしているんだ。

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