絶対に気に入ると思う
「絶対に気に入ると思う」と彼女は言った。
何の話だったのか、もう思い出せない。すごく退屈で、何か面白い事はないかと聞いたのだったかもしれない。
そして彼女が答えた。
「絶対に気に入ると思う」
塾のない日はいつも、彼女の家に行った。そして何もしなかったり、したりした。音楽を聴く事もあった。彼女の好きなビジュアルバンド、僕の好きなクラシック。
僕らはいつも退屈だった。けれど、あまり外に出掛けたりはしなかった。
コンビニなんてなかったし、映画館まで二時間以上、電車に揺られなくてはならない。
田舎ともいえるし山奥ともいえる。僕の家も似たようなもので、ただ、少しだけ彼女の家の方が大きかった。
僕と彼女はクラス公認のベストカップルで、実際には既に別れているのだが、退屈だから一緒に居た。
何も考えていない彼女と何をするのも面倒な僕はお互いになくてはならない存在だった。
双子のように姉弟のように、長年連れ添った老夫婦のように、いつも一緒に居た。
僕らの間にあったのは取り決めではなく惰性だった。だから、そこには何の約束もなかった。
僕は今更、彼女に愛や友情を確認する事すらできない。心がなかった。ただ、システムだけがそこにあったように思う。
ある日、彼女は言った。
「絶対に気に入ると思う」
彼女は新しいボーイフレンドを僕に紹介した。
活発で聡明な好青年。そんな印象を受けた。確かに、人として僕は彼を気に入った。
けれど、僕の心は明らかに混乱していた。この二人の間で僕はいったい何者になり得るだろうか。
それからもしばらく、奇妙な関係が続いた。彼女と彼女のボーイフレンドと僕だ。
僕は彼女の心の在り処を知りたいと思った。一言でいいから、
「もう会いたくない」
とか
「二人だけにさせて」
と言ってくれればいいのに。
僕が、自然に身を引けばいいのだろうか。けれど僕の心は実際は、それとは正反対の事を期待しているのだ。
二人は僕に見せつけるように愉しそうに喋った。時には体に触った。
僕はその間、ずっとそれを見ているか、ヘッドホンで音楽を聞いた。
彼女のボーイフレンドは、とても良いやつだった。僕が意見を求めると、しっかりと自分の考えをまとめて分かり易く述べた。
それに彼は、僕の聴くクラシックの曲を聴いて、とても気に入ってくれて、彼自身の好きな曲を挙げる事すらやってのけた。
僕は彼女の言ったように彼を気に入るしかなかった。彼を嫌う要素というものはたった一つを除いてあり得なかった。
彼女と彼女のボーイフレンドは、とてもお似合いに見えた。僕がそれを言うと、皮肉に聞こえるので言わなかったが、本当にそう思った。
二人が喧嘩している時は、不本意ながら仲裁に入ったし、彼女が不在の時でも彼と会えば話をした。
そのうち、僕は解らなくなっていた。僕が好きなのは誰か、彼女が好きなのは誰か。
やがて、彼は僕のことを好きだと言った。僕は彼女の事を好きだと言った。
彼女だけは何も言わなかった。
好意と愛情は違った。表面上は上手くいっていた僕らの関係は、どこかおかしかった。
あるいは、僕らは誰も好きにならない、自分だけが大好きで、それ以外には興味はないのかもしれない。僕の心は嘘をつく。きっと素直じゃないんだろう。
そして、彼女と彼女のボーイフレンドである彼と僕の三人の関係に決定的な別れが訪れた。
彼女は、他に好きな人ができたといって僕らを追い出した。
僕と彼の二人という意味だ。
彼女が言ったように、僕は彼を気に入っていた。僕は以前ほど彼女のことを好きだとは思わなくなっていた。
彼も同じように、彼女への愛情が薄れた事を打ち明けた。
「絶対に気に入ると思う」
という彼女の言葉が呪いのように耳に張り付いていた。
彼女の新しいボーイフレンドは僕には到底、気に入ることのできない輩だった。
胸元を広く開けて、髪を金色に固めたロックバンドのボーカルだ。
僕は彼女の事を懐かしむ代わりに、彼女の元ボーイフレンドの家に通うようになった。
そして初めて、僕は僕自身の心の在り処が分かった気がした。




