記憶喪失の子として
「大丈夫か!?」
俺が床に倒れる直前にルキナが抱きかかえてくれた。ルキナに支えてもらいながらよろよろと立ちあがる。
「ああ、大丈夫だ」
本当はいきなりの展開に頭痛がしたんだが平然を装っておくことにした。
「相当疲れているみたいね。今日はもう寝なさい。ルキナ、あなたもお昼の間ずっと森にいて疲れたでしょう?一緒に寝なさい」
ルキナはうんと頷いて俺を廊下の奥の一室に招いた。
「ここは?」
「オレの部屋だ。今日はオレの部屋で寝るといい」
そう言ってルキナは扉を開き、天井からぶら下がっていたランプのような物に持っていた小さなろうそくの火を移した。すると部屋全体が照らされ、そこには俺の勉強していた自室より一回り大きい部屋がありベッドや机などさまざまな家具があった。
「……」
「どうした?」
「いや、ここ本当にルキナの部屋か?」
「ああ」
部屋は綺麗に整理してあり机の上の数冊の本と横に立てかけてある剣と壁にかけてあるローブが無ければまるでホテルの一室のようだ。女の子の部屋のイメージとはだいぶ違って質素だな…
「アスルはベッドで寝るといい」
「ルキナは?」
「オレは座って眠れる」
「ずいぶんと器用なんだな…」
ベッドに座りふと俺は疑問に思った事をクローゼットを探っているルキナに聞く。
「風呂って入らないのか?」
「風呂?ああ、今はもう10の刻だから無理だ」
「何故?」
「この近くの人たちはここから15時ほどの町にある温泉を利用しているんだ。その温泉の営業は9の刻までなんだ」
「へぇ~、温泉かぁ…明日行ってみようかな」
「入るのにお金が必要だが、あそこは心身共に癒される。行ってみるといい」
なんて会話をしているとルキナがこちらに服を投げてきた。キャッチすると見たところパジャマのような水色の上下の服だった。
「これは?」
「とりあえずそれに着替えてくれ。今着ている服はだいぶ汚れてるしな」
こんな可愛らしい服を俺に着ろと言うのか…。
でも、ルキナの言うとおり今着ている布の服はローブを着ていたとはいえ、泥や砂が付いている。このまま寝るのはさすがにマズイな。
「お、おう。でも――ブッ!」
「どうした?」
「ど、どーしたもこーしたもないだろ!なんでいきなり着替え始めるんだバカ!」
俺はルキナの部屋を飛び出して暗い廊下で息を整えた。ルキナのやつさっき俺は男だって言っただろーが!
廊下で立って待っているのも退屈なのでとりあえず手に持っている水色の服に着替える事にした。サイズは若干大きめか?まぁルキナは俺より若干身長高かったからな。
少女の身体を見つめるのは俺の中の何かがやめろと訴えたので正面を見ながら素早く着替えた。
「おーい、アスル。もう入っていいぞ」
俺が着替え終わって数秒ほど経つと扉の向こうからルキナの声が聞こえた。
扉を開けるとルキナは俺の服と色違いのオレンジの服を着ていた。
「意外に似合っているな」
「そんなの言われても嬉しくないっての」
俺をまじまじと見ているルキナを少し睨みながらベッドに座る。こんな可愛らしい服を着て似合っていると言われても複雑な気分にしかならない。
ルキナもランプの火を消してベッドの傍の床に座った。明かりが消えて部屋が暗くなる。窓から部屋を照らす月明かりでかろうじてルキナの横顔が見えるくらいだ。
「そういやルキナ」
「何だ?」
ルキナが振り返って俺を見る。ルキナの黒い髪が月明かりに照らされてより鮮やかに見える。綺麗な髪だ。手入れとかしてるのか?
「ルキナの父さんって何してんだ?」
俺の質問にルキナは一瞬顔を暗くさせ、窓の外の遠くを見た。
「オレの父さんは…今は亡き英雄、世界を救った勇者だ」
「亡き英雄?勇者?」
俺が頭にクエスチョンマークを浮かべているとルキナは俺を唖然といった顔で見てきた。
「まさかオレの父さん…セシャールの名を知らないのか?」
「セシャール?誰だそれ?」
俺がまた首をかしげると、急にルキナは俺に顔を近づけて聞いてくる。
「なぁ、アスルって何なんだ?」
「は?」
「森ではオレが使った魔法に驚いていたし、猛毒のキノコを平然と食べて毒で死にかけてたし、世界で知らぬ者はいないと言われたオレの父さんの名も知らない、よくよく考えたらオレと同い年くらいなのに1人で森の奥でふらついてるし」
返しづらい質問をされた。恐らく、いや絶対「この世界じゃない世界の人だったんだ」なんて言っても信じてもらえないだろう。なら…
「言いたくはなかったが…実はな…」
俺は俯きながら続ける。
「俺は…ルキナに助けられる前に崖から落ちたんだ」
「え!?大丈夫だったのか?」
「ああ…ラッキーなことに傷はなかったんだ。でもその時に強く頭を打って気を失ったらしくてな。目が覚めたら川で流されたみたいで森に流れ着いていた。それから頭を打ったせいか記憶が吹っ飛んでてな。どうしても崖で落ちた後の記憶と名前しか思い出せないんだ」
うん。なかなかにいい嘘だと思う。助けてくれた恩人に嘘をつくのは気分が悪いが、納得してもらうには仕方ないだろう。
「じゃあ何でそれを話さなかったんだ?」
「そんな事言ったら余計な心配されるのは誰だってわかるだろ」
「それは…」
「記憶がないから、とりあえず明日には家を出て町にでも向かって情報収集かな」
俺はそう言ってベッドに寝っころがった。ベッドからほんのりと甘い香りがする。
「そういやルキナ」
「何だ?」
考え事をしていたルキナにさっきから思っていた疑問を聞く。
「ルキナの父さんって世界で名を知らない者はいないほど有名なんだろ?」
「ああ」
「じゃあ何でルキナやルキナの母さんってここで住んでいるんだ?勇者の家族としてもっと豪華なところで暮らせるはずだろ?」
「それは父さんがここがいいって決めたからって母さんが言っていた。それに、父さんが勇者と呼ばれるようになったのは魔王が倒された後だ」
「魔王?」
「……細かい事は明日話すことにしよう。今は眠りたい」
「わかった」
それっきり会話は途絶えたので俺は眠ることにした。魔王?この世界はおとぎ話みたいな出来事でもあるのか?
その後、朝に目覚めた時今更女の子の使っているベッドで眠っていたと気づいて、俺は顔を赤くしていた。
◇◆◇◆
「…ってことなんだ」
次の日の朝ルキナと朝食を食べ終わった後、俺の記憶喪失の件をルキナの母に話した。
「あ、別に気にしないでください。俺はこれから町に向かうので」
「そう…」
ルキナの母はそれっきり口を閉ざした。部屋が静寂に包まれる。
「なぁ母さん」
ルキナが長い沈黙を破ってルキナの母に聞く。
「アスルを家に住まわせられないか?」
そして続けた言葉に俺は目を点にした。
「何でそうなる!?」
「そうねぇ、記憶喪失なら変に町に行っても怪しい大人たちにさらわれちゃうかもしれないし…そのほうがいいかもしれないわね。アスルくんも行くあてはないだろうし、それでいいでしょう?」
そう言ってルキナの母は笑った。
うっ…何だその聖母のような笑顔は。俺はそういう善意は断りにくいんだ……。それに、住まわせてくれるなら知らない世界をふらつくよりも色々と…
「そ、そちらがいいのなら…」
「決定ね。これからは家族の一員として仲良くしていきましょう」
嬉しそうに俺の手を握るルキナの母。俺が家で暮らすのが嬉しいのか?
「まるでルキナに妹ができたみたいで嬉しいわ」
「俺は男です!」
「あらあら照れちゃって。可愛い」
「照れてないです!」
何でルキナの母まで俺を女扱いする!?口調は男なのに…容姿がやっぱり女の子に見えるのか?
「ふふふ。これからよろしくね。……私はナシアスよ」
「よ、よろしくお願いします。ナシアスさん」
「別に呼び捨てでもいいのだけれど」
「いえ、住まわせてもらう身ですから」
自己紹介をされ、咄嗟に俺はルキナの母、ナシアスさんに深々とお辞儀をした。
まさか住まわせてくれるとは思いもしなかったな。これで危険らしい町をふらつく理由もなくなる。とてもありがたい。
「ルキナも、これから暫くよろしく頼む」
「ああ。それじゃあ、早速手伝ってもらいたい事がある」
ルキナが立ち上がって廊下に出ていった。俺も背中を追う。
「オッケー。何を手伝えばいいんだ?」
「その前に、着替えないとな」
「まさかまたこの服みたいな可愛らしいものじゃないよな」
「あれは母さんに買ってもらった服だ。オレが選んで着ている服はもっと落ち着いている」
「この子、可愛らしい服をあまり着ないから私が選んであげたのよ」
昨日森で出会ったときのルキナの服装は確かに地味だった。なら少しは安心できる。
後ろで「やっぱり姉妹みたい」とナシアスさんの声が聞こえたが、突っ込んでいたらキリがないので何も言わないことにした。
◇◆◇◆
「あ~…うあ~」
「声を出してる暇あったら手を動かしてくれ」
「いや、そう言われて手を動かして、だいぶ経っているんだが」
箒を持ってうなだれていたがまた渋々部屋を掃きはじめる。かれこれざっと1時間半以上は掃除をしている気がする。
「なぁ…何で一気に家全体掃除するんだよ」
「オレはいつも1ヶ月に一回に定期的に掃除するんだ。昔父さんとやり始めて、それが習慣になった」
向かい側を掃いているルキナが背を向けながら答える。よく続けられるな。この家意外と広いのに。2人でこれだけ時間がかかるなら、1人だったらどれだけ大変か…
「これいつも1人でやっているのか?」
「ああ。母さんはいないからな」
ナシアスさんは掃除中に町に出ていった。ルキナによるとナシアスさんは昼は町の外れにある孤児院で働いているらしい。子供が好きなんだな。
「ルキナの父さん…セシャールさんが亡くなってから昼はいつも一人なのか?」
「いや、昼はよくシェリルとシェリナが来る」
「シェリル?シェリナ?」
「ああ、2年前に出会ったオレの友達だ」
ルキナの友達か…どんな人なんだろう。想像がつかない。いずれ会うことになるか?
俺とルキナは掃くのを終えて箒を置き、今度は雑巾がけを始める。
「そういや昨日の夜の話の続きをまだ聞いてなかった。魔王って何者だ?」
「…魔王はここから大陸を1つ通り越した所にいて、大陸を越えて人々に危害を加えていたんだ。街を壊し、命を奪ったり国を滅ぼしたりもした。そんな中オレの父さんは3年前に討伐隊を作って魔王を討伐しに行ったんだ。そして2年前、討伐隊は帰ってきた。父さんや数十人を除いて。討伐隊にいた人の話によると父さんは魔王と一騎打ちをして魔王を倒して果てたらしい」
ルキナの父、セシャールさんの名が世界に広まったのは討伐隊が帰ってきた2年前らしい。名が広まったのは、この家で暮らし始めた後なんだな。セシャールさんは死後に勇者として称えられたのか。
……今思うと死んだルキナの父親の事を軽々しく聞いてしまったかもしれない。
「その……父親を失って辛いだろう」
「気にしないでくれ。確かに死んだと伝えられた時は泣いたさ。それはもう一生分の涙かと思うくらいに。オレはあの時10歳だった。当然母さんも泣いていた」
ルキナは雑巾がけを終え立ち上がる。つまりルキナは12歳なのか。なら俺の身体の少女もそれくらいか。
「でも今は、父さんはオレにとって目標だ。オレは早く父さんに追いつけるように毎日剣や魔法の腕を鍛えている」
「剣もあるのか…」
この世界は剣とか武器を振るうのが普通か。益々この世界について興味が湧いてきた。
「……その口調も父親に似たのか?」
「どうだろうな。昔から父さんのような人になりたいとは思っていたが……」
憧れから自然と口調を真似るようになったのか?セシャールさんはどんな心境だったんだろうな……。
「よしっ!終わったぁー!」
ついに雑巾がけも終え、雑巾を外の庭に干して廊下で寝転がる。
「まだあるぞ。次は庭だ」
「えぇ!?まだあるのかよ!?」
「今は春風の月だからな。草もだいぶ生えてくる」
気温は暖かく、花も咲いているから恐らく俺らの世界でいう春だろう。確かに草は生えているが…
「ここ全部か?」
「ああ」
「えぇー…」
この窓から見える広い庭の雑草を抜けと。もう腰が砕けそうなんだが…
「おーい!ルーキーナー!」
俺が地面に両手をついてがっくりしていると玄関の方から少年の声が聞こえた。