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(3)捨てたいものは

 授業が終わって、ファイル類をハンマースペースに放り込んでいると、後ろの机から晴香が話しかけてきた。

「ねえねえ、この後買い物行かない?」

「うん?」

「大通り沿いの新しい雑貨屋さん」

「あ、いいね」

 何気なく応えてから、私はもう一度考えてこう付け加えた。

「あ。じゃあ、その後一緒に課題やらない?」

「そうだね、火曜のでしょ? あれ重いもんねー」

 晴香はぴかぴかの腕時計を見ながら笑顔で言う。

「いいよ、うちに来て二人でやろうか」


 晴香はとても人懐っこくて話しやすい、私の一番の遊び相手だ。大学に入学した直後から、何かに付けて話しかけてくれた。私の方は人に馴れ馴れしくするのがどうしても駄目で、小学校の頃からいわゆる「仲良しグループ」に入れずに困っていたくちなので、晴香のような相手が一人いてくれるととても助かる。退屈しないし、寂しい思いもしなくて済む。


 大通りの新しい雑貨店は見た目どおり狭かったが、私の大好きな輸入物が所狭しと並べられていて、その趣味のよさは目をとろけさせるに十分だった。

 部屋の鉢植えに添えると可愛いのではないかと思って、木製の小さな人形を買ってみる。それから、絵本風の表紙のメモ帳。筆記用具を眺めていると、晴香は色違いのキーホルダーを二つ持っていた。

「ん? どっちにするの?」

「両方買うの」

 晴香は楽しそうに笑って、会計に並ぶ。

「贈り物?」

「その予定。でも、可愛いからあたしが二つ付けちゃおうかな」

 昔の少女マンガなら、晴香は顔をくしゃくしゃにしていたに違いない。口の端から小さく舌を出していたりしたかも。くだらない想像だが、晴香はなんとなく、そういう描写の似合うところがあった。

 いたずらっぽくまた微笑して、晴香は包んでもらったキーホルダーをハンマースペースに放り込んだ。


 この大学では珍しいことなのだが、晴香は自宅から通学している。

 晴香の家から大学までは自転車で十五分くらいで、私のアパートは大体その中間地点にある。入学当初は連れ立って通学することもあったが、今は授業が重なることも少なくなった。それに私は車に乗るようになったし、晴香の方は原付を使っている。

 なんにせよ、自宅から大学に通えるというのは羨ましいものだ。晴香自身はいつも「夜更かしが出来ない」「部屋が狭い」などと言っているが、整った環境があるのはいい事だ。今日も晴香の家に行くと、ちゃんとしたお茶とちゃんとしたお菓子を頂いた。

 授業で配布されたプリントを頭に浮かべながら、ハンマースペースに手を入れる。

 とりあえず課題を机に広げ、取り留めなく話しながらシャーペンを動かした。

「あのキーホルダーさ」

 私は計算式を書き終えて(証明が上手くいったので、かっこよく「QED」などと書いてみた)、晴香の方を見る。

「やっぱり、彼氏に贈るの?」

晴香は、今度は本当に少しだけ舌を出して見せた。

「えへへ、まあねー。もうすぐ一年の記念日だから」

「あ、もうそんなになるんだね。ご馳走様ー」

「へっへーん」

まるで屈託なく、晴香は彼氏の自慢をしてみせる。それによると年上で社会人らしく、「かっこよくて超優しい」らしいが、私はまだ会った事がない。

「いつ渡すの?」

「今週末かな」

「喜んでくれるといいねー」

「うん!」

 私は、終えたレポートをハンマースペースに片付けながら、晴香の嬉しそうな顔を眺めていた。


 日曜の夜、恭二が電話を寄越した。

 ひどく珍しい事というのは、連続して起こるらしい。


 私は寝巻き代わりのジャージを羽織ったままで、学校に近いコンビニの前に車を停めた。

 小走りで近寄ってくる恭二(本気で焦ると、車を見分ける能力も高まるらしい)が、晴香を連れてくる。

 電話で聞いたところでは、恭二はコンビニの前で晴香と鉢合わせたらしい。

「ごめんね恭二、迷惑かけて」

「いや。それより……」

 晴香は恭二が促したので車に座ったが、ぴくりとも動かない。

「……やっぱ僕、ついていかない方がいいね」

「うん。 あの、ごめん」

「いいよ。明日話そう」

「うん」

 私は車をスタートさせた。コンビニの明るさがイラついた。


 車を回して、人のいない公園に降りた。ここは大通りからも遠いし、この時間帯なら誰もいないに違いない。

 晴香を促して、ベンチに座る。

「……あのさ」

「疲れたって」

「え?」

 晴香は糸が切れたように緊張を解き、口を開いた。

「私といると疲れるんだ、って。私といても楽しくなくなってきて、会うのが面倒になってきたんだ、って」

「あのさ、晴香」

「あたしは何も言ってない! ご飯奢れとか、プレゼント買えとか、そんな事一度も言った事ないじゃん! 何、勝手に自分でカッコつけて、それで辛くなってきて疲れた、よ! あんたなんかに構ってられない!」

「晴香?」

「構って、られない……よ……」

 予想通りだった。

 誰とも分からない馬の骨が、適当に晴香と遊んで、それで疲れたからと言って会わないことに決めたのだ。一方的に。一瞬で。


 私にはどうしようもない。

 向こうを責めて晴香を擁護するのもなんだかおかしいし、だからと言って晴香を納得させるなんて出来るはずがない。

 だから。


「わかったよ。大変だったね」

 私は晴香の肩に手を置いた。

「ね、失敗するのは仕方ないよ。こっちも相手も人間だし。だから、もう忘れちゃおう?」

 それしか、私は方法を知らない。


「うん」

 晴香はひとしきり感情を放出したようで、疲れた顔でうなずいた。

「美咲」

「何?」

「もらったもの、全部いらないから……捨てるね」

「うんうん、捨てちゃおう」

 晴香は、肩から提げていたピンク色のハンマースペースを膝に乗せ、手を入れた。

 はじめに出てきたのは、ぐちゃぐちゃに絡まったキーホルダーが二つ。晴香はそれを、茂みの中に放り込んだ。


 リングノート。

 ピアス。

 タオル地のハンカチ。

 大人っぽい絵本。

 ポストカード。

 髪留め。

 お菓子の包み紙。

 映画館の半券。

 写真。

 写真。

 写真。


「ねえ」

 晴香は私に笑いかけた。

「あの人の事忘れたいのに……忘れたいから捨てたいのに、あの人のことを思い出さないと、何も取り出せないの」

「うん」

 月も出ていない夜だった。

お久しぶりです。

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