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(2)中身がしれない

 問題は、その責任を私が負わなければならないかもしれない、という事だ。

 私は少なくとも……誇り高い、とまではいかなくとも、それなりに自尊心を持つ女子大生だ。しかも、結構な有名大学の。

 それがどうして、いわれのない汚名を着せられなければならないのだ。


 事の起こりは、今日のシフトを私がたまたま変更したことにある。アルバイト先の服飾店には午前から正午までのシフトと午後以降のシフトがあり、私は大抵、授業の後午後のシフトに出ていた。それが今日はいきなり休講になったので、シフトを午前にして午後から遊びに行くことにしたのである。浩介が千奈美と仲良くなりたいと言っていたので、恭二に声をかけて四人で遠出する機会を作ったわけだ。

 それが。

 午前のシフトによく出ている篠村さん、という同年代の女の子が、あまり評判がよくないというのは聞いていた。お嬢様が片手間に「おしゃれな職場」でお小遣いを稼いでいるという事だし、趣味は合いそうにないし、普段は一緒に仕事することもないので、これまで噂でしか聞いたことがなかった。

 ところが……今日、シフトが終わる頃になって、篠村さんの財布がなくなってしまったのである。

 大抵、私物は控え室のロッカーに入れることになっていた……で、シフトを終えた篠村さんが戻ってきて、ロッカーに入れておいた自分のハンマースペースを探ったが、入っていたはずの財布が出てこないというのだ。

 朝、篠村さんがお茶を買っているのを見た人がいて、財布が店のどこかにあることは間違いないという。仕事中に財布を使う機会はないし、実際にロッカーからは出していないという。とはいえロッカーに鍵はないので、嫌な想像をしてしまっても仕方ないかもしれない。

 しかし、その日シフト中に控え室に一人で行ったのは私だけだったのだ。

 何故控え室に行ったのか、と言えば……要するに女の子の事情なのだが、私の方は切羽詰っていたので、そのとき自分の以外のロッカーがどうなっていたのかまるで覚えていない。しかも私のハンマースペースは近頃検索機の調子が悪く、必要なものを取り出すのにかなり手間がかかったのだ。それで妙に長時間がかかったわけで……私が疑われる措置は十分、というわけだ。


「というわけで、しばらくバイト先から出られないの。浩介と千奈美にも謝っておいてくれない?」

 隙を見て恭二に電話をかけると、間延びした恭二の声はしきりに「うん」を繰り返して私の言葉を覚えた。

「ええと……美咲、ロッカーの裏は見た?」

 そのお気楽な様子は、私を少しだけほっとさせた。

「あ、それチェックしておくわ。ありがと」


 しかし、だんだん現場は緊迫感を高めていった。何処を探しても、それらしい財布は出てこないのだ。篠村さんが言うには、白地にブランド名がピンク色でプリントされているらしいので、グレーっぽい用具の多い控え室の中では目立ちそうなものなのだが、ロッカーの下にも裏にも小机の周りにも見つからない。全員が自分のハンマースペースをチェックしたが、紛れ込んでいる様子もない。

 悪いことに、さっきから篠村さんが私のことをじっと見つめている。

 一応、篠村さんは被害者なので、誰も彼女を攻めるような視線は向けていないが、それによって場の雰囲気は篠村さんが中心になっている。そして、彼女は明らかに私を疑っているのだ。

「本当になかったの? 鳥居さん」

 私を名指しときた。

 店長は午後の仕事に出てしまっていて、場を統率しているのは篠村さんだけだ。帰るに帰れない午前シフトの五、六人が、私の方を迷惑そうに見ている。

「なかったわ」

 断固としてそう返答する。焦って控え室に行ったことが悪事なら、私は今頃終身刑に処されている。

 そうあっさり理解してくれる人物が相手なら、私は待ち合わせに間に合っただろう。

「本当にそう言うなら、ハンマースペースの中身全部出してみせなさいよ」

 中学生かお前は。

 それによってあけすけになってしまう私のプライバシーは中学生の学生カバンの比ではないだろうし、一つ一つ出していくにしてもどれだけの量になるか分からない。一番大きいのは……広辞苑か。普通に考えて通るはずのない要求だが、長時間狭い控え室に留め置かれたメンバーの焦燥感は判断力を狂わせているらしく、なんとなく全員が私のほうを疑わしい目で見ている。それも仕方ないだろう……私だって、この暑い中で記憶を辿るのが難しいのだ。

 私はしぶしぶウェストバッグ型をした私のハンマースペースを机に置いた。酷いプライバシーの侵害で、後で訴えることも出来るかもしれないが、今は皆が早く帰れるように計らうのが仕事だろう。

 しかし、暴かれるプライバシーの差は中学生の学生カバンの比ではない。手帳の一つからノートパソコンのケースまで、私の好みが行き届いているわけだし、癒されるための絵本とか友達にもらったカードとか、人に見せるために入れているわけではないものも大量にある。

 私はなるべく素早く、一つ一つの品物を取り出していった。小さな机の上に、積み重ねながら置いていく。私の財布にポーチ、パスケース、書籍類。ルーズリーフが分厚く重なったファイルに、スナック菓子まで。篠村さんはそういったものを冷たい目で見つめながら、私の手をじっと観察している。私がお気に入りの絵本を取り出したときには、その淡い色合いを見て鼻で笑った。

「これで、全部……です」

 私が顔を上げた。机の上に並ぶものは、私が外に向けて必要なものの全てだ。

「本当? 隠してないでしょうね」

「じゃ、見て御覧なさいよ」

 私はさすがにむっとして、ハンマースペースのタグを示す。機能面ではかなり優れている私のハンマースペースは、入っているものの総重量がタグ型の小型画面に表示されるようになっているのだ。

 はっきりとした「0kg」の表示に、しかし篠村さんは業を煮やしたらしい。

「何よ、そんなのいじれるんじゃないの!?」

「い……いじれるって、無理でしょ……?」

「あんた理学部なんでしょ!?」

「そうだけど!!」

 篠村さんが理学部を工学部と同列にしているのはまぁいいとして、私はいわれのない抗議に思わず声を荒げた。見ていた他の人もさすがに見かねたのか、場を沈めようとするが、今更篠村さんを止められない。

「ちょっと貸しなさいよ、あたしが試すんだから!」

 あろう事か彼女は、私のハンマースペースを取り上げようとした。

「ちょっと、やめてよ!」

 私は慌ててハンマースペースをひったくって、手元に戻す。

 別に空っぽだからいいじゃないか、と言われるかもしれない。しかし……ハンマースペースというのは、私の日用品だけを入れておける、私だけの空間なのだ。そういう意味では私の部屋とそう変わらない……いくら綺麗でも、疑いの目を持った相手に立ち入られたくなんかないのである。

「もういいでしょ、なかったんだから」

「ないなら確認させなさい!」

 再び押し問答になり、とうとう収束がつきそうになくなった、

 そのとき。


「美咲?」


「恭二!?」


「店長さんに聞いたら、こっちだって言ってたから……」

 控え室の扉を半分ほど開けて中の様子を見た恭二は、騒然となった現場に少々たじろいだようで、そのままこちらに近付いてこようとしない。

「恭二、どうして来てくれたの?」

「いや……あんまり遅いから。もう昼食って時間でもないよ」

 新しい登場人物の出現は、現場の混乱を多少鎮めたらしい。恭二は見た目はまずまずだし……私は手を軽く動かして状況を示した。

 恭二はにこっと笑う。

「もう一度……落とした人のハンマースペースを確認してみなよ」

「あたしの!?」

 篠村さんが頓狂な声で聞き返す。私も唖然となったが、恭二はぼんやりした笑顔を崩さない。

「ええと、財布だったよね? 何色?」

「白よ! ディオールのなんだから!」

「それを、人と買い物に行こうと思って出そうとしたけど、出てこなかったんだ」

 その辺のことは、電話で私が説明していた……単なる愚痴だったのだけれど。

「それが一体、どうしたっていうの!?」

「もう一度試してみなよ。見た目のイメージのことをよく考えながら、いつも通りに」

「でもっ……」

「そうね、試してみなよ」

 先輩格の人も助太刀したので、篠村さんは仕方なさそうに自分のハンマースペースを取り出した。目を閉じて、よくイメージして……


 引っ張り出された手の中に、白い財布がしっかりと納まっていた。


*  *  *


「どういう事か説明してよ、恭二」

 今日は私も恭二も自転車だった。タイル張りの広い歩道を並走しながら、私は恭二に問いかける。

「簡単さ。……あの子の白い財布は、ずっとハンマースペースの中に入ってた。でも、あの子がその時取り出したかったのは、その財布じゃなかったんだよ」

「え? ええと……」

 恭二はにやにやして、私の方を見ている。私は息をついて考えをまとめながら、こう聞いてみた。


「その事って……関係あるの?

  あの財布がフェイクだって事と」


「あ、あれ偽者なんだ?」

「そうよ。よく出来てたけどブランドじゃないわ。大方リサイクルショップか何かで手に入れたんじゃない?」

「そうか……うん、そういう事だよ」

 私はまた、息をつく。

「つまり、その場に人がいたせいで、篠村さんは『自分の財布』よりも『ブランド物の財布』を取り出そうとした。それで、本当はブランドじゃない財布は反応しなかったのね」

「うん、多分」

 横断歩道に、並んで止まる。

「ハンマースペースの事は、だいぶ調べたから……」

「ふーん」

 そして、また走り出す。


「そういえば、浩介と千奈美は?」

「それが……控え室に入る前に電話して、だいぶ揉めてるみたいだって言ったら、それじゃあ千奈美ちゃんと喫茶店に入って待ってる……って」

「あれれっ」

 私はおどけた口調で言って、しばらく考える。

「それじゃ……二人はそのままにしてあげたほうがいいかもね」

「じゃ、そういう風にメールしておこうか」

 ちょうど路肩に駐車場があったので、一度自転車を停める。恭二がショルダーバッグ型のハンマースペースから携帯を取り出して操作するのを見ながら、私はこんな風に言ってみた。

「恭二は、この後どうする?」

「えっ……? ……さあ」

「じゃあ、映画館行こうよ。今日はちょっと安かった気がするし」

 間違っても浩介が私たちと鉢合わせないための配慮だ。言ってみれば、浩介のため。もちろん、恭二のためなんかではない。

 ましてや、決して、私のためでは……決して、ない。

ずいぶん遅くなりましたが次話です。

もう少しきゃぴきゃぴした話が書きたいなあ(苦笑

よかったら感想批判などお寄せください。

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