叔父について
叔父が亡くなった。
という連絡が入ったのは今日の昼間の出来事だった。
そのとき私は、授業が終わって友達とランチに向かうところだった。
何気なく開いた携帯には、
新着メール1件。
と表示されていて、私はその文字に特になんの感情も持たなかった。
例えば、片想いの彼にメールを送ったとき。
例えば、救急車で運ばれた身内の容態が送られてきたとき。
そういう場合にこの文字は計り知れない恐怖を感じさせる。
知らない。ということはときにして幸せであり、不幸である。
メールの文章を見て、一瞬時が止まった。
なにしろ、父は退院して元気になった叔父のお見舞いに行くという話だったのだ。
朝、「叔父さんによろしくね。」といって見送った父は、私のその よろしく すら伝えられなかった。
そのときもし、叔父の容態があまりよくない。という話だったら、私は呑気に「よろしくね。」なんて言わず、学校を放り出して父と共に向かっていただろう。
だからといって、
叔父が亡くならなかった
というわけではないが。
それでも私は、悲しいとか寂しいとか。
そういう感情の前に 悔しい があった。
どうして父と共に行かなかったのだろう。
衝撃とやり切れなさで涙もでなかった。
叔父は、すてきな男性だった。
70代後半か80代。
正確にはお父さんの叔父さんなので、それくらいの年なのだ。
それなのに、いつもとてもいい匂いがした。
落ち着いた、上品な匂い。
それは男の人の匂いではなくて、どちらかといえば大人の匂いだった。
そばにいるととても落ち着いた。
英語の教師だった叔父さんは、よく私に英語で話しかけた。
当時まだ中学生だった私は何を言っているのかちんぷんかんぷんで。
でもわからないなりに一生懸命英語を話す私を、叔父さんはいつも褒めてくれた。
クラッシックが好きだった叔父さんと、一緒にCDを聞いたりもした。
茶色のふかふかのソファに座って、お茶を飲みながら一緒に曲について話した。
その当時わたしはまだ高校1年生だった。今思えば、なんてませガキだったのだろう。
15の子供に曲についてとやかく言われては、ショパンやベートベンもたまったもんではない。
でも、その空間はとても素敵だった。
素敵な午後だな、と私は子供ながらに確かに感じていた。
今同じことをしたら、きっと私はもっと素敵に感じられるはずなのに。
叔父さんの妻である叔母さんもまた、素敵な人だ。
一言で例えるならマダム。
花がよく似合う上品な女性で、いつも優しく微笑んでいる。
そんな叔母さんと叔父さんはとてもお似合いな夫婦だと思う。
私は二人が一緒にいるところを見ているのが好きだった。
二人の間には、穏やかな時間が流れていて、
午後のティータイムのようなやわらかな空気がいつも漂っていた。
自分も将来、結婚相手といつまでもこんな風でいたいなと。
そう思わせるような素敵な二人だった。
どうか叔父さんの最期が、叔母さんと共にありましたように。
これを書いている私は、帰ったら夜ご飯にロールキャベツを作らなければならない。
洗濯物を取り込んで、お風呂の掃除をして、ダイエットのため半身浴。
結局、日常はなんら変わりない。
というより、変えられない。
それでも心には深い傷をおった。
叔父さんの存在は大きい。当たり前にそばにいてくれた人がいなくなるというのは、何度経験しても慣れない。
きっと、涙がでたりもするだろう。悲しいと寂しいがあとからどっと溢れ出すだろう。
後悔も襲ってくるかもしれない。
それでも、日常は止まってくれない。
動いているのだ。
だから、立ち止まれない。
叔父さんは今頃天国で元気にやっていて、もしかしたらショパンやベートベンと英語でお話しているかもしれない。
いや、叔父さんのことだ。きっとしているだろう。
そんな叔父さんの姿を考えて、明日からも私は自分の日常を精一杯、後悔のないように生きようと思う。