夫には愛する『運命の人』がいるらしい。尚、その『運命の人』は私なのだが滅茶苦茶言い出しづらい。
「貴女を愛することはできない……私には『運命の人』がいるのです!!」
およそ数時間前、神に夫婦の誓いを立てたばかりの夫であるユリシーズ様は、寝室でふたりきりになるなりそう宣う。
ユリシーズ・マクネアー伯爵令息。
彼はどこの研究機関にも属さない個人でありながら、密かにひとり研究を重ね『魔石の魔力充填具』という大変画期的な魔導具を完成させた『知られざる天才』。
この功績によって、子爵家だったマクネアー家は伯爵家に陞爵したばかり。
シェリー子爵家が娘である私ヴァージニアは、とある理由から彼の婚約者に選ばれた。
しかし婚約期間中の一年、花嫁修業に婚家に入った私と入れ替わるように、彼は邸宅に戻って来なくなってしまったのだ。
なので、今日の結婚式が初対面のようなもの。
正直、来るとは思っていなかったくらい。
「ユリシーズ様は一体、どうなさるおつもりで?」
「それなのですが──是非、貴女には私に協力をして頂けないかと」
「それは、契約結婚ということですか?」
まるで小説みたいだな~と思っていたら、ユリシーズ様はようやく上げた頭をまた、勢い良く下げた。
先程の「貴女を愛することは(以下略)」だが。
それはもう流れるような見事なスライディング土下座で「申し訳ない!」と謝罪しつつ、寝室の私が座っていたソファの前に額を擦り付けながら入室した後のお言葉である。
夫の初夜での登場が斬新過ぎる。
ちなみにまだ彼は、依然床に座ったままだ。
「くっ……婚約のみならず結婚までしておいてこんなことを願い出るなど、図々しいのは重々承知!!」
「あ、謝罪は結構です」
「誠に申し訳ない!」
「いえ本当に謝罪は……っていうか、頭を床に叩き付けるのはやめてくださいッ!」
額が割れなくとも眼鏡が壊れそうで嫌だ。
初夜のベッドシーツに破瓜の血ではなく、土下座により破損した眼鏡片により夫の顔が傷付きその血で絨毯が血塗れとか。
そんな長く語り継がれそうな面白醜聞を嫁いで即座に作ってしまったとあっては、流石に嫁としてお世話になる義両親に顔向けできない。
「そ、それではまずこちらを……」
ユリシーズ様がおずおずと出した紙は、個人間の結婚契約同意書──少し詳しく言うと『2年間、ユリシーズ様の運命の人を探すための、結婚契約の同意書』。
ココだけ抜粋すると、彼がとんでもない脳内お花畑クソ野郎みたいだが、そんなことはない。
なにしろサラッと一読してわかるくらい、こちらへの条件がいいのだ。
なんなら異常と言っていいくらい、滅茶苦茶いい。
3年間の白い結婚……は、まあいいとして。
その間対外的に妻として大切にするが、家庭内では家族・或いは友人のような関係を望むらしい。ただしこれらはユリシーズ様の希望であるため従うか否かは私の任意。
またこちらの希望は積極的に検討するとのこと。(※この辺りからいよいよおかしくなってくる)
しかも2年で探している女性が見付からない場合、或いは振られた際には、私が婚姻継続・即離婚・3年待って婚姻無効のいずれかを選ぶことができ、離婚・婚姻無効の場合はユリシーズ様有責による慰謝料が発生。
探している女性を見付けプロポーズを受け入れて貰えた場合も、即離婚・3年待って婚姻無効(※以下同上)となるそう。
そして慰謝料の額はおいそれと口に出せない程──
「……どうでしょうか?」
「……」
いや、どうもこうも。
申し訳なさそうにすんのやめい。
こんなの、逆にこっちが居た堪れませんが?
期限が2年なのは『1年早いが瑕疵のつく離縁』と『1年遅いが婚姻無効』からいい方を選べるという、細かい気遣いと思われ。
どうせもう23なので、個人的には1年なんて大して変わらない気もするけれど、金銭面だけでなく、妻となった私への配慮が凄い。
私は後悔した。
聞くんじゃなかった、と。
(これはいよいよ、言い出しづらくなってしまった……)
ユリシーズ様の『運命の人』──それは5年前、魔導具の素材を探して森に入り魔獣に襲われた彼を、颯爽と助けたという女冒険者の『ニア』。
なにを隠そう、冒険者『ニア』とはこの私である。
『愛する人ができた』と言って釣書を拒む割に、頑なに相手を教えず研究開発を理由に逃げる息子に、痺れを切らした伯爵(※当時は子爵)のお義父様が秘密裏に調べた結果、アッサリ私と判明。
両家で婚約が結ばれ、今に至る。
元々私が冒険者をしていたのは、貧乏な家の食い扶持と弟の学費を稼ぐため。
情けは人の為ならず的に巡ってきたこの良縁により、貧乏子爵家である実家はマクネアー家からかなりの融資を受けた。
だからまあ、特に愛されなくても全然いいのだけど。
彼の愛する『運命の人』が自分、というこの決定的な状況の矛盾。
しかも──
(全然気付いて貰えてないわ~)
この通り、どうにもこうにも。
この期に及んでまだ私が『ニア』と同一人物だと気付いていない様子のユリシーズ様。
流石に初夜では気付くだろ、とタカをくくっていた私にとって、これは大変な誤算であった。
今更ながら思い出してみれば、あの時の彼は眼鏡を失って裸眼だった。
朧気な全体像の『ニア』がユリシーズ様の『運命の人』なら、見た目では判別できないのかもしれない。
なにしろ当時の『ニア』と今の私は、大分違う──主に、色味が。
日に焼けて小麦色だった肌は、1年で『健康的な肌色』くらいにまで白くなった。
パサパサに傷んで毛先から黄味がかり、グラデーションオレンジみたいになっていた赤毛の筈の髪は、潤いと共に本来の赤色を取り戻している。
(果たして、素直に言っても信じてもらえるかどうか……)
どう対応すべきか、非常に悩ましい。
それに婚約に関しては誤解が生じたにせよ、私との婚約まで4年もあったのに、一体全体なにをしてたんじゃい……という疑問は拭えない。
『運命の人』というのが建前とかの場合、考えていた前提が覆るので、まずはそれを確かめることにした。
「ええと……できれば最初の、『運命の人』のことも聞きたいです」
「え……あの、私の恋の話など聞いても不愉快では」
「いえいえ、気になりますから是非」
「そ、そうですか……では──」
もしやお義父様の勘違いでは、と考えたりもしたのだが、やはり私のことらしい。
「話の腰を折って申し訳ないのですが、アプローチとかはなさらなかったんですか? せめて素性を調べるとか……」
「なにぶん生命を助けられて得た素材です。 まずは魔導具を完成させねばと思い、必死でしたので。 発表すると、思っていた以上の評価を賜りまして。 その影響からなにかとバタバタしてしまい……」
「なるほど……」
天才のお考えは私にはよくわからないが、一定の理はあるし時期的な辻褄も合っている。他者が納得いくかは別として、事実そうなのだろう。
「それでも暇を見付け、冒険者ギルドで他冒険者に話を聞いたりもしたのですが……」
「カモられて終わりだったのでは?」
「よくおわかりで……まあ酒を奢らされたくらいですけれど、結局情報は手に入りませんでした」
明らかに場違いな、いいとこ坊がギルドにいたら、そりゃ当然の帰結というか。
まずそうなるだろうな、としか。
多分、そんな酷い目に遭っていないのは名前を出された私の報復を恐れたか、影で護衛とかがついていたからだと思う。
「何故人を使って調べなかったのですか?」
「おそらく平民のお嬢さんでしょう? 父の手前、家人に頼むワケにもいかず……まだ私財も手元には入っていなかったものですから」
「ああ……」
高い貴族の矜恃に頭が下がりますわ~。(※揶揄)
そして大分すれ違いが発生していた模様。
お義父様はおそらく平民でもなんとかしようと思っていてくれてただろうに、親の心子知らずとはまさにコレ。
更に彼は、多分平民の彼女がプロポーズに応えてくれた場合のために、籍に入れてくれる貴族に渡す戸籍ロンダリング用の金と、嫁ぐ際の持参金を用意せねば、と考え新たな研究開発に身を投じ邁進──
「そこはまず探しましょうよ!」
優先順位おかしくない?!
「いえいえ、それでは娶るのに不安です。 私の我儘に家財を投じるのは勿論駄目ですし、かといってプロポーズしたにも関わらず、お待たせするようなことがあってはまずいですから」
「う、う~ん……?」
詳しく聞いてもやっぱり優先順位がおかしい、としか。
「ユリシーズ様は誠実でいらっしゃるのですね(※揶揄)」
「とんでもない……! 貴女にそんな風に言われると本当に」
そう言いながら立ち上がるユリシーズ様。
「ああっ?! やめてください!」
土下座を再開させないように素早く押さえつけ、ソファに座らせる。
どんだけ土下座したいんだ。(呆)
あまり頻繁にやると価値がなくなりますよ!
「お相手がその間にどなたかと結ばれるとかは、考えなかったのですか?」
「私は運命の人だと思っていたので……そうなったなら、違ったのだと納得いきます」
「うん……?」
最初から『運命の人』などと宣ってはいたが、散々現実的なことに拘っておいて、思い出したようにロマンチック要素をぶち込むのやめてほしい。
つーかそれで納得すんなし。
『天才とは馬鹿と紙一重』という、脳裏に過ぎる誰が言ったかよくわからん台詞が、にわかに真実味を帯びる。
実際、次々判明する頭の痛くなる配慮には、健康自慢の私が頭を抱えずにはいられなくなる程。
ようやくロンダリング用その他諸々と、心配ないくらいの資金の目処がつき、『さあ本格的に探すぞ!』となった矢先、婚約の話をされたようで。
邸宅に帰らなかった1年は、できるだけ私の瑕疵にならないよう、婚約中に『運命の人』を見付け出さねば! と、出現しそうなギルドを行ったり来たりと東奔西走していたせいらしい。
しかし、見付からず──
そりゃそう。
絶賛、花嫁修業と言う名の淑女教育中だった私が、ギルドに行けるわけないので。
この点についてはちょっと申し訳ない。
足掻くも間に合わず、いよいよ結婚となってしまい『ただでさえ迷惑をかけた婚約者である花嫁とそのご家族に、恥をかかせるわけにはいかない』と戻ってきた、とのこと。
ちなみにこちらサイドだと。
婚約当初「交流しているうちに気付くだろう」と仰っていたお義父様は、1年の婚約期間中に全く捕まらない息子に怒り心頭。
名ばかりの貴族令嬢の私に淑女教育を施してくださったお義母様は、それ以上にお怒りのご様子で「3年だけ我慢して頂戴、いいお相手を探すから! あの子は精々後悔すればいいわ……!」と扇の裏で美しくも恐ろしい笑みを湛えていた。
お陰様で、今日の結婚式では婚家の義両親は私ばかりを称賛し、ウチの両親が滅茶苦茶ユリシーズ様に気を遣うという、ややチグハグなものとなった。
なんだかんだそれなりに祝福された式になったのは、不幸中の幸いであると言える。
そんな経緯を経ての初夜。
まさに初めての交流となる夜、ユリシーズ様の処遇を任されてしまった私は『どうしたらいいもんか』と考えあぐねているところ。
婚姻継続の是非は、私の意思を尊重──
と言われても。
息子への怒りと私への優しさなのはわかるが、正直そんなの丸投げされても困るっていうか。
疑問だったユリシーズ様側の経緯のおおよそも理解したが……
(誰が悪いとも言えないしなぁ……)
色々皆悪いんだろうが、それを言っても意味がないというか。
結局のところ、今は怒っていてもユリシーズ様は大切なご嫡男……義両親への恩を返すにも、私と彼が仲良くなるのが一番だろうと思う。
大体にして、元を正せば全てユリシーズ様が私を好きになってくれたことの恩恵。
疑問も解決したし、私に怒る理由はない。
ただ、せめてもの恩返しに好きなフリくらいはするつもりでいたのだが──
気付いてないからどうにもならん、という。
『ニア』として私を認識していないユリシーズ様にしてみれば、私は『会ったこともない令嬢だった妻』だ。
当然『自分に恋心など持っているわけはない』と考えているため、爆盛の配慮の中で唯一そういう意味での配慮だけはない。
実際、恋心などないので正しいのだが、それを捏造しようとしているだけに、こいつァ痛い。
この状態からどう暴露しロマンスを作れと。
(あ~も~、こんなことならガウンなんて着とくべきじゃなかった!)
『どうせまず話し合いだろうな』と予めガウンを着ていた己の失態である。
ご配慮の凄まじい紳士なユリシーズ様なので、色仕掛けどうのなどという話ではない。
結局ガウンは着るにせよ、この下に着用している初夜用のスケスケ下着のみで待っておけば、印象として『初夜なのに放置されている哀れな新妻感』が演出され、もう少しやりやすかったに違いないのだ。
或いは脱いでいたなら見えていた筈の、依然変わらぬ自慢の腹筋ならば、ワンチャン「私がその『運命の人』です」と言っても信じて貰えたかもしれない。
介抱と手当てをした際に膝枕のような体勢になったため、多分裸眼でも腹のあたりはそれなりに見えていた筈。
(ぐぬぬ……これは今からでも恥を忍んでガウンを脱ぎ、「私が『運命の人』です」と宣言するしかないか……!)
物凄く嫌だが、今を逃したらどんどん言いづらさが増すことは目に見えている。
しかし決意をしてみたものの、変態じみている上に台詞の痛々しさが酷く、どうしても躊躇してしまう。
大体なんで『運命の人』とか言い出したんだ。
そこは『命の恩人』でいいだろ。
「ヴァージニア嬢……いや、ヴァージニアさん。 この契約書は安全なところで厳重に保管し、誓って漏らすような不始末は致しません……!」
決意を阻む羞恥心との戦いでモダモダもじもじしている私の様子を、ユリシーズ様は『好感触』──有り体に言えば『金と柵との狭間で揺れている』と受け取ったらしく、キリリとなんか宣い出した。
勿論、契約を結ぶつもりはない。
結果として恩義ある彼のためにロマンスくらいは作ろうと思ったが、これに同意したら私はロマンス詐欺犯である。
別れて慰謝料をせしめるつもりはないにせよ、2年を更に無駄にし見付からない『運命の人』に金と時間を割かせ、しかも貸しを作るという意味で。
それよりなにより問題は、やはり欠片も醸されない、恋愛みとムード。
この空気でイキナリ脱ぐなど、そんな痴女みたいな真似は流石に無理だ。
冒険者『ニア』の時ですら、体型や筋肉がわかるくらいピッタピタの服は着ていても、肌を晒していたわけではないのだから。
(一旦契約を受け入れたフリをして、義両親に相談……ってダメか)
ただでさえ怒っている義両親と誤解しっぱなしのユリシーズ様の仲が、更に拗れてしまう。
かといって契約を受け入れれば、お家的にはロマンス詐欺犯。義両親に申し訳ない。
契約を拒んだら拒んだで、更なる凄まじさのご配慮攻撃が待っていそうな上、また研究開発のために時間を費やされそうな予感がひしひし……
「……配慮が足りず申し訳ない」
「え」
「式典はなにかと気疲れするものですし、貴女もお疲れでしょう? そんなところにこんな提案をされても、すぐに決められませんよね」
「いえ……」
もう何度目かの『申し訳ない』だが、謝るところが著しく間違っている。
むしろ配慮されすぎて困ってるんですけどね?
ユリシーズ様は、「ひとまず温かいお茶でも淹れて参りましょう」と部屋を出た。
多分、私がひとりになって考える時間も作ってくれたのだろう。
流石は配慮の塊……
『ご配慮王子』(※今命名した)である。
(いや、『王子』とか言っちゃうとモノホンへの不敬になるだろうか……『配慮の貴公子』とかどうだろう──って、)
私 は 何 を 考 え て る ん だ 。
そんな場合でないことはわかっているにも関わらず、ひとりになるや否や『ご配慮眼鏡』(※更なる改名)などという、誰も呼びそうもないユリシーズ様のふたつ名なんて至極どうでもいいことを考えてしまっている。
(いや『どうだろう』じゃないよね!)
我に返った私はなんとか円満解決のために知恵を絞ろうとしたものの、天才のお考えが斜め上なだけに、果たして凡人である私の想定が通用するのかが謎。
『円満解決とは一体なんぞ』という……
脱いだらわかってくれる、というのも冷静になれば都合のいい想定だし。ただただ恥をかいた上、ドン引かれる可能性も充分にある。
私は本当に疲れてきていた。
勿論、式典による心や肉体の疲労にではなく、どうするかを考えることに。
脳が疲れている。
(しかし、折角の良縁と既に受けている多大なる恩恵を考えたら、なんとしてもどうにかせねば)
慣れないこととはいえ、この程度の疲れなど大したことはない──目を瞑ればまざまざと蘇る、苦難ばかりの日々。
腹を空かせながらの厳しい鍛錬……
自力で覚えた数々の魔法……
新しい武器が買えなくて、短剣1本で魔獣に立ち向かった思い出……
冒険者として培ってきたサバイバルの心得、そして勇気……
努力根性義理人情……(※疲れてる)
(……はっ! そうだ!!)
そんなに難しく考えなくともユリシーズ様に『ニア』である私の力を見せれば一発逆転、アッサリ解決なのでは──
培ってきた日々は無駄ではなかった。
百聞は一見にしかず、云わば『力とは物理、物理 is パワー!』という、散々冒険者時代に皆が謳っていたフレーズこそ答え……これに優る説得力など皆無。
そうと決まればあとは簡単。
「お待たせ致しました──ふぐっ!?」
私は気配を消して扉の横で待機し、戻ってきたユリシーズ様をシーツとガウンのベルトを使い捕縛。
変に拒まれたり警戒されたら面倒なので、『速やかに連れ出しゃいっか』という結論に達したためである。
勿論、捕縛の段階で騒がれたり私だと知られるのは悪手だが、一応これでも高い貞操観念を保持し続けた貴族子女……身分が上の方への、それとわからないようなスマートな捕縛は修得すべき教養の範中。(※個人の見解です)
ましてや私は荒くれ者達の中にいる女冒険者だった者。
これしきのことはお茶の子さいさいよ!
(さあ、初デートと洒落こみますか!
……って、あら?)
確かにちょっとばかり口は塞いだし多少乱暴な真似もしたけれど、意識を刈り取ったりはしていない。
なのにやけに抵抗が少ないな~と思い、抱えていたユリシーズ様をソファに下ろし顔の部分のみシーツを剥くと、穏やかな寝息……
なんとユリシーズ様は、寝てしまっていたのだ。
よく寝れるな、この状況で。(※おまいう)
眼鏡を外すと、よくよく見るまでもなくクッキリと浮かんでいる、酷い目の下の隈。
「あ」
察し。
多分、昨日はギリギリまで『ニア』を探してから、結婚式のために急いでマクネアーに戻ったのだろう。その道中とかでは、契約書の条文を考え作成しながら──
(……もしかしたらここ数日とかは、寝る暇もなかったのでは)
式が一応祝福された感じになったのは、彼がきちんと用意ができる時間までに戻り、散々義両親になじられ責められても謝罪するのみで耐え、私を新婦として丁重に扱ってくれたからだ。
そこから今に至るまでも、ちょっと斜め上ではあるが散々配慮してくれている。
おそらく、相当気を張っていたに違いない。
シーツで目の前が暗転したことか、ちょっと抵抗したことで体力が尽きたか……理由はわからないが、先程のことがきっかけで限界が来たのだろう。
「よいしょ」
これはもう、寝かせてあげよう──
そう思った私は彼を横抱きにしてベッドまで運び、捕縛に使ったベルトとシーツを解きつつ慎重に寝かすと、布団をかける。
漠然と、やり終えたような謎の満足感。
(まあなんとかなるよね)
明日は明日の風が吹く──悩んでいたのが嘘のように、なんだかどうでもよくなってきた私も、思考を放棄してそのまま寝た。
翌日。
ベルトなしの私のガウンは寝ている間に脱げてしまい、初夜用スケスケ下着の私と同衾していたユリシーズ様は『純潔を奪ってしまった』と勘違いしたようで。
アクティブにもベッドからのジャンピング土下座で謝罪した後『愛することはできない』という前言を撤回し『妻とし愛し慈しむので、夫婦として関係を醸成したい』という旨のお申し出をされた。
(なら……ま、いっか。 言わなくても)
私は『もう今更ロマンス偽造もないな』と自分が『ニア』だと告げるのをやめた。
考えてみれば、折角1年間厳しい淑女教育も受けており、私は既に『ヴァージニア・マクネアー』なのだ。
貴族夫人たるもの、婚家への恩を返すのならばマクネアー夫人として夫に尽くすのが正しい。
私は淑女らしく夫に微笑みを向け、決意を新たに謝罪と申し出を受けたのだった。
──この時の私はまだ知らない。
結婚式で顔と居場所の周知された『知られざる天才』ユリシーズ様は、この後の新婚旅行で命や頭脳や貞操を狙われてしまい、必然的に彼を守ったり助けたりするのが自分になることを。
そして結局『ニア』とバレ、妻であることも含め『やはり運命の人』と感動したご配慮眼鏡による凄まじい溺愛(※ただし斜め上の)が始まることを。
挙句『ヴァージニア・マクネアー』が『強過ぎる貴族夫人』として有名になるだなんて──
この時の私はまだ、なにひとつ知らないのである。




