調査団
王都を発った調査団は、五名で構成されていた。
先頭を行くのは、王国騎士団第三隊隊長、バルド。
実戦経験豊富で、魔物討伐においては名の知れた男だ。
その後ろに、神殿から派遣された神官二名。
そして補佐役として、新聖女リリアの側近である女官が一人。
乾いた風が、外套の裾を鳴らす。
舗装された街道はいつの間にか途切れ、足元は赤黒い砂礫に変わっていた。踏み込むたび、靴底にざり、と嫌な感触が伝わる。
先頭を行くのは、王国騎士団第三隊隊長、バルド。
幾度も魔境を踏破してきた男だが、その歩みは自然と慎重になっていた。
背後には、神殿から派遣された神官二名。
白衣はすでに砂埃を吸い、光沢を失っている。
最後尾には、新聖女リリアの側近である女官が、露骨に不機嫌そうな顔で続いていた。
「……死の谷、か」
バルドは足を止め、遠くの地平線を見据えた。
紫がかった空気が揺らぎ、かつては常に黒い瘴気が立ち上っていたはずの場所だ。
「正直、気分のいい任務じゃないな」
「仕方ありません」
神官の一人が、神具を握りしめながら答える。
「神殿の観測では、あの地の魔力が安定しすぎている。
異常です。明らかに」
風が吹き抜ける。
だが、鼻を刺すはずの腐臭はない。
「異常?」
女官が小さく笑った。
「どうせ、魔王軍の残党が何か企んでいるだけでしょう。
殲滅すれば終わりの話です」
その軽さに、バルドは眉をひそめる。
死の谷は、そんな言葉で片づけられる場所ではない。
剣を振るう前に、心が折れる者の方が多い土地だ。
「……結界は、ないな」
谷の境界線に差し掛かり、バルドは膝を折って地面に触れた。
魔力の乱れは感じない。
空気は澄み、呼吸をしても肺が痛まない。
「おかしい」
「浄化が進んだのでは?」
「いや」
バルドは立ち上がり、剣の柄に手を置いた。
「静かすぎる」
本来なら、遠吠えや羽音、地鳴りの一つは聞こえるはずだ。
一行は、音を殺して進む。
やがて、前方に光が見えた。
自然光ではない、規則的で、揺らぎのない光。
「……灯り?」
神官が目を見開く。
「この距離で? 昼間なのに?」
近づくにつれ、それが遺跡だと分かる。
巨大な古代遺跡。
だが、崩壊と混沌の象徴だったそれは、今や異様なほど整っていた。
壁面を走る魔導回路は安定した青色を放ち、脈打つように淡く明滅している。
補修された外壁には新旧の石材が噛み合い、
地面には、明らかに人為的に均された通路が伸びていた。
「砦……いや、拠点?」
女官の声が、乾いた谷に響く。
その瞬間。
「止まれ」
低く、しかしはっきりとした声。
次の刹那、影が動いた。
左右の岩陰から、重い足音。
上空から、風を切る音。
ゴーレムが道を塞ぎ、
ハルピュアが旋回し、
そして、正面に現れる三つの頭を持つ巨大な銀狼。
地面が、わずかに沈む。
「……グロウル」
バルドの喉が鳴った。
伝説級の魔獣。
魔王軍最強と謳われ、討伐記録が存在しない存在。
「侵入者だな」
中央の頭が、感情を排した声で告げる。
「ここは管理区域だ。目的を述べろ」
「管理……区域?」
神官が、信じられないというように呟く。
「魔物が、人間に指示を出すだと?」
「逆だ」
グロウルは視線を逸らさない。
「人間が、管理者に許可を求める」
空気が張り詰める。
剣を抜けば死ぬ。誰もが理解した。
そこへ。
「グロウル、大丈夫よ」
遺跡の奥から、靴音が響く。
銀髪の少女が、整備された通路を歩いてきた。
作業服には薄く油染みがあり、戦装束ではない。
だが、その歩みには一切の迷いがなかった。
「ようこそ。調査団の皆さん」
エルサは軽く頭を下げる。
その所作が、あまりにも自然で、
この異常な光景に、さらに違和感を与えた。
「ご用件は?」
神官の一人が、喉を震わせながら名を呼ぶ。
「……エルサ・ラングレン?」
「ええ」
彼女は頷く。
「現在、この遺跡の管理責任者です」
女官が一歩前に出る。
「あなたは、追放された聖女でしょう!」
「そうね」
否定しない。
「だから今は、無職を経て、CEOよ」
意味が分からない。
だが、声に嘘は感じられなかった。
バルドは、ゆっくりと剣から手を離した。
敵意が、ない。
それよりも、この場を支配しているのは秩序だった。
「……ここで、何をしている」
エルサは周囲を一瞥する。
整備された通路。
待機する魔物たち。
稼働し続ける遺跡。
「運用と改善です」
「この、世界最悪の土地を?」
「ええ」
彼女は静かに微笑んだ。
「放置されていた不具合を、直しているだけ」
調査団の誰もが、言葉を失った。
恐怖の象徴だった死の谷は、
今や、管理される空間になっていた。
「調査目的は分かるわ。でも、無断立ち入りは困る」
「……追い返すのか?」
「いいえ」
エルサは首を振る。
「正式な手続きを踏んでくれるなら、見学は許可する」
「見学……」
「ええ」
彼女は当然のように言った。
「安全靴、支給するから」
その一言が、
この場所が本当に変わってしまったのだと、誰よりも雄弁に語っていた。
死の谷に、
見学と、
安全靴。
調査団は、その場で、しばらく動けなかった。




