新聖女の災難
その夜。
新聖女リリアは、私室で一人きりだった。
豪奢な寝台。
柔らかな灯り。
祈りのために整えられた、完璧な空間。
なのに。
胸の奥が、ざわついて眠れない。
「……エルサ」
小さく、名前を口にしてしまう。
忘れたはずだった。
追い越したはずだった。
もう、比べられる存在ではないはずだった。
――なのに。
「死の谷を、管理している」
報告室で聞いた言葉が、何度も蘇る。
ありえない。
ありえないはずだ。
あそこは、聖女ですら近づけなかった場所。
瘴気に侵され、浄化も追いつかず、放棄された魔境。
それを。
「……あの、追放された元聖女が?」
リリアは、唇を噛んだ。
自分は、正しく選ばれた。
民に祝福され、王都に迎えられ、聖女として祈っている。
なのに。
世界で一番厄介な場所を、彼女が安定させている?
「努力、してる……?」
ふと、そんな考えが浮かび、慌てて振り払う。
違う。
そんなはずはない。
エルサは、融通が利かない。
規則ばかり気にして、感情を置き去りにする人だった。
だから、追放された。
だから、自分が残った。
「……なのに」
リリアは、膝を抱える。
管理
改善
循環
報告に出てきた言葉は、どれも祈りとは無縁だった。
聖女の力ではない。
奇跡でもない。
ただの、地道な積み重ね。
それが、世界を守っている?
「そんなの……」
祈りの価値が、揺らぐ。
自分が信じてきた役割が、音を立てて崩れそうになる。
その時。
扉が、静かにノックされた。
「聖女様。お休みでしょうか」
侍女の声。
「……いいえ。入って」
扉が開き、囁くような報告が落とされる。
「死の谷への武装派遣、最終決定となりました」
リリアの肩が、ぴくりと跳ねた。
「……討伐、ですか?」
「制圧、という名目です」
侍女は慎重に言葉を選ぶ。
「王子殿下の判断で」
胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
「……止められませんか?」
思わず、そう口にしていた。
侍女が目を見開く。
「聖女様?」
「いえ……その……」
言い訳が、見つからない。
エルサを守りたいわけじゃない。
そう、言い聞かせる。
ただ――
「……事実を、確かめる時間が」
それすら、与えられない。
「理解できないものは排除する」
王子の言葉が、脳裏で反響する。
リリアは、ゆっくりと息を吐いた。
「……分かりました」
聖女としての、微笑みを作る。
「王都の決定に、従います」
侍女が下がり、再び一人。
灯りの下で、リリアは手を見つめた。
祈るための手。
救うための手。
――本当に?
エルサは、祈らずに世界を動かしている。
その事実が。
新聖女リリアの胸を、静かに、確実に蝕んでいった。




