内部見学
もちろん、調査団は最初の十分で混乱した。
「……本当に、見学なんですね?」
バルドが、ぎこちなく足元を見下ろす。
全員の足には、揃いの靴が履かされていた。
分厚い革と金属板で補強された、作業用の安全靴。
「ええ」
エルサは淡々と答える。
「この区画、まだ一部に段差があるから。怪我されると困るわ」
「困る……?」
女官が呆然と呟く。
死の谷だ。
人が怪我をするかどうかを、魔境の管理者が気にする?
理解が追いつかないまま、一行は遺跡の内部へ案内された。
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中は、驚くほど明るかった。
壁面に埋め込まれた魔導灯は、眩しすぎない柔らかな光を放ち、
通路の床は平滑に整えられている。
瘴気は、ほぼ感じられない。
「……臭いが、ない」
神官の一人が思わず言った。
「排気と浄化の導線を整理したから」
エルサは歩きながら説明する。
「昔は魔力が淀んでた。今は循環してる」
「循環……」
その言葉を、神官は噛みしめるように繰り返した。
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最初に案内されたのは、居住区画だった。
個室。
共用の水場。
時間帯で区切られた入浴設備。
「魔物に……個室が?」
女官の声が震える。
「必要でしょう」
エルサは首を傾げる。
「休息の質は、作業効率に直結する」
ちょうどその時、通路をゴーレムが通り過ぎた。
肩には工具、歩調は一定。
すれ違いざま、軽く頭を下げる。
「お疲れさまです」
「……あ、ああ」
バルドは、反射的に返事をしてから、固まった。
今、挨拶した。
魔物と、人間が。
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次は作業区画。
魔導回路の整備を行う魔族。
清掃を担当するハルピュアたち。
資材を運ぶ大型魔獣。
全員が、決められた動線で動いている。
「……静かだな」
バルドが呟く。
「私語は禁止してないわ」
エルサが言う。
「でも、集中してると自然に減る」
神官の一人が、帳簿を覗き込んだ。
壁に掛けられた掲示板。
作業予定、点検項目、改善提案。
「……提案?」
「昨日の会議の分よ」
エルサは平然と言った。
「今日から反映するものもある」
「魔物の、提案を?」
「ええ」
当然のように。
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最後に案内されたのは、食堂だった。
広い。
清潔。
香りが、まともだ。
鍋から立ち上る湯気。
配膳を手伝うスライム。
—————笑い声
「……死の谷、なんですよね?」
女官が、ほとんど泣きそうな声で言った。
「ええ」
エルサは頷く。
「だから、食事は大事にしてる」
「意味が……分からない」
「意味はあるわ」
エルサは立ち止まり、振り返った。
「ここが壊れたら、世界が困るから」
それの言葉を理解することが出来た瞬間、全員が言葉を失った。
守るべきものがあるから、管理する。
管理するから、平和になる。
その発想が、彼らの世界にはなかった。
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見学の終わり。
調査団は、最初よりも重たい沈黙を背負っていた。
「……報告は、どうする?」
バルドが低く聞く。
「事実を、そのまま」
エルサは答えた。
「判断するのは、王都でしょう」
「攻撃される可能性もある」
「あるわね」
それでも、エルサは動じない。
「その時は、その時」
淡々とした声。
恐れていないのではない。覚悟しているのだ。
「今日はここまで」
エルサは言った。
「出口まで案内するわ」
調査団は歩き出す。
その背中に、もう剣を抜く理由はなかった。
死の谷は、もはや恐怖の象徴ではなかった。
管理された現実として、静かに稼働していた。




