7 洞窟の新居と薬舗開店
「うわぁ…綺麗……」
窓の外に広がる青々とした水面。時折、魚たちが描く水紋同士が重なって、キラリと揺れる。ぐるりと取り巻くように深緑が生い茂り、水面に影を落とす。
今は十一月だというのに、春のように草花や木々が生い茂るここは、青岳と呼ばれる竜舞国有数の薬草の産地で、翠竜山をはじめとした高峻な山々に隠されるように囲まれた温潤な地である。一見、湖のように見える青々とした水面は、黒輝山に端を発する藍糸川が数度の氾濫を経て作り出したものであり、緩やかに下流の翠竜山に向かって流れている。
結局残念ながら早々に我慢大会の敗者となった竹丸は、気晴らしに倫子を連れて、彼が用意した新居を訪れていた。
洞窟をそのまま使ったそれは、他人から気取られることはまずない。間取りは細々したものを除けば倫子の薬作りの部屋を入れて三つと手狭だが、新婚の蜜月を過ごすには丁度よい大きさである。
川面の美しく見える、洞窟を削り作った窓のすぐ近くには、豊かに流れ落ちる小滝がある。そこには居室に水を引き込む仕掛けが施されている。主に倫子の薬作りのために作られた画期的なそれは、竹丸の発案である。竹丸はその並外れた所作がとかく語り草になりがちだが、知恵者楠瀬紫矢の息子だけあって、その知略もなかなかのものなのである。
「気に入ってくれた?倫が喜ぶ顔が見たくてちょっと洞窟を広げたり頑張った。青廉草を探しに来たとき見つけてさ。伊織を呼ぶとか嫌だし、ここは別荘にしよっかな。」
洞窟を広げるってどういうこと…と倫子はその先を聞くのは止めた。天井、壁、床の総檜造りをはじめ、そもそもここが洞窟と忘れるほど美しく設えてあるのだ。竹丸の愛情に素直に溺れておくことにした。
「別荘も素敵ね。でも竹ちゃん、ハンスさんにもらった石にね、繋路石っていうのがあって、それ好きな所を繋げられるらしいの。ここと薬舗を繋いだらどう?」
薬作りによる、マギー力を御する術の修練が難渋を極めたため、ハンスに相談した伊織は、短く小さくマギー力を込めなければ割れてしまう小石を幾つも渡された。
その小石には文様が刻まれ、マギー力を込めると文様が表すマギーが発動するようになっている。ひとつの石に二、三種類の文様が刻まれているものもある。
文様は実に様々である。治癒だけではなくもっと色々なマギーの在り様を知って欲しいからだそうだ。大風を吹かせて嵐を起こすだとか華やかで大きなマギーではなく、暮らしに役立つ小さなマギーこそがマギーの真髄だ、ともハンスは言うそうだ。伊織が紹介してくれた物語のようなマギーは戦を呼ぶなど人間に必ずしも善いものではなかったから、と。
伊織はハンスに教えを受けて、様々な文様の訳文つき一覧を作り、「こういうの、作ってみたかったんです」と、ご機嫌である。うっかり触っただけで発動させるといけないので、その一覧はマギーが使えない紙で作ったそうだ。
繋路石、というのは伊織の命名である。的を射た名に、伊織を見直した倫子である。
「それは嬉しい。が、ここが見つかりやすくなるな。俺は倫も子もできるだけ隠しておきたい。頻繁に繋げたり外したりしたいが、どうだ?」
「大丈夫。できそうよ。『石は置いた所から動かして繋がりを入切する』だって。」
倫子が伊織のくれた一覧を見ながら答える。
「繋ごうとする度に倫子がマギー力を込めるのか?石は何回使えるんだ?」
「えぇと…込めなくていいみたい。『予め込めておくこともできる』だって。そうすると竹ちゃんも入切できそうね。それと……何回でも使える。『壊れなくするマギーを施すと良い』だって。」
伊織特製一覧に大いに助けられ、とりあえず試してみることにしたふたりである。
他の小石よりひとまわり大きく、文様が三個刻まれている石を袋から取り出し、置く。
「まずこれを壊れなくする……ああっ!」
壊れなくしたら修練にならないのでは、と竹丸は思ったが、壊れなくするまでに十分修練できそうである。その心配はなさそうだ。
無事、洞窟と薬舗が支障なく繋がったとき、瑛都の町は宵闇に包まれていた。
薬舗に食材をまだ置いていないので、辛うじて作った倫子お手製のお握りに舌鼓をうった竹丸は、送るよ、と倫子を促し立ち上がった。
竹丸は「婚姻式をして正式な夫婦になるまで一緒に住まない」と頑として譲らない。
倫子は竹丸と実家の店先で別れる時が寂しくて嫌なのだが、帰ったら帰ったで、玲が狂喜乱舞して迎えてくれるので素直に従うことにした。
竹丸は倫子が不満そうにするのを見て、可愛いな、とほんのり笑む。
竹丸とて結婚して一緒に住みたい。だがどうにも、とある予感がして、今抱えている仕事が落着するまでは一生に一度の婚姻式をしたくないのだ。父紫矢は「おまえの言うようなことは起きない。杞憂だ。」と鼻であしらうのだが。
婚姻式のできない不満を竹丸は今、ちょっとばかり親友をなぶって憂さ晴らししている。倫子には絶対知られてはならない。
玲は倫子をことのほか大事にしている。両親が婚姻式から十年経ってようやく生まれた女の子ということでことのほか可愛がっているし、倫子もお兄ちゃん、お兄ちゃんと懐いて可愛いからだ。
施療院に出掛けたあの日も、倫子が支度に手間取っている間に「約束の刻は過ぎた。倫は嫁にもらっていくぞ」と囁いて、玲を絶望の淵に叩き落としてやった。
だから倫子が竹丸に送られて帰ってくると、玲はその度、驚喜する。玲の感情はこのところ上下し過ぎて、木の葉のように翻弄され疲れていることだろう。
これは『指一本触れるな』という理不尽な約束と、『きょう、りんをかんちょう(間諜)にしないかっていわれた。にんじゃなんかだめだ。おまえもにんじゃだからもうりんにあわせてやらない』といって竹丸を甚振ってくれたことへの仕返しなのだ。
「玲に石が動かないようにする道具を作ってもらおうな!」
竹丸が珍しくにかっと黒い笑みを浮かべるのを訝しく思いながら、今日も実家まで送り届けてもらう倫子であった。
◇◇◇◇◇
ともあれ、三日後、無事に瑛都の薬舗「楠瀬」は開店した。
倫子は、薬舗と実家を往復する日々を過ごしている。
店は城の前の大通り角にある。大通りに面さず、それでいて遠くはなく、喧しくない程よい人通りである。両隣は紙や筆の大店で、店の主人も好好爺で倫子を気に掛けてくれる。なにより城の至近で、竹丸がすぐ駆けつけて来てくれる。瑛都に数軒ある楠瀬家の持つ店舗のなかから紫矢が厳選してくれたらしい。
以前は楠瀬家がランタルニアから買い付けた品々を商う店であった。什器等もそのままに、薬作りの部屋だけが急拵えされたので、十日もしないで開店できた。
思っていた以上に売場が広かったので、薬の種類を増やし、ランタルニアの薬草を使った匂いの良いものや薬草茶も並べることにした。
開店の前日には、紫矢が監修にやって来て、「薬舗 楠瀬」「大公家御用達」の掛札を揮毫し、繁盛間違いなしと太鼓判を押して帰っていったが、薬舗は紫矢の見立て通り盛況を極め、倫子はいま、薬作りに余念がない。
時折やって来る伊織が薬作りを手伝ってくれることもあって、マギー力の制御も随分上達した。
店の切り盛りを任せている楠瀬家の使用人は申し分ない働きで、倫子の体調も気遣ってくれる。
竹丸は暫く休みにしていた柾耶の護衛任務に戻ったが、毎日朝晩欠かさず、倫子の送り迎えをしてくれる。
倫子にとって意外であったのは、薬舗に柾耶が時折やって来るようになったことである。
竹丸が倫子を恋しがるから、と爽やかな笑顔で言いながらやって来るのである。当初は恐縮していた倫子も、柾耶が一つしか歳が変わらず、薬作りの雑用を快く引き受けてくれることもあって、次第に馴染んでいった。




