6 マギー使いになりました
ごりごりごりごり……
白衣を着た伊織が薬研で青廉草を磨り潰す。
ことコト、こっとんコトリッ……
倫子が踊る鍋の蓋を押さえながら、火加減を調節している。
さながら、繁盛している小料理店の炊事場といったところだ。
「んー、こんなもんすか。はい、倫子さん。」
倫子は渡された薬草の粉末を鍋に入れ、真剣な顔で大きな杓子でゆっくりかき混ぜる。
「あぁ、倫子さんもう少し力弱めに注いで。もう上級は作り過ぎっす。これは中級にしたいんすから。」
「んんん……。これ、長くかき混ぜるから、中級にするの難しい……。」
「つまり、『倫子さんはまず、マギー力を強く出し過ぎる。次に、きちんと止められない』っと。」
伊織はハンスに相談するために書き記しているようだ。
「ここで止めるっていう瞬間もわからないよ。」
「あぁ、なるほど。なんかこう、ぴかっとこう、日光石が光るみたいに合図があればいいですよね。これも相談、っと。こうしてみると、薬作りって、マギーを意識して使うっていう修練にはなりますけど、すごくいい修練ってわけでもないですね。」
(クソッ。なにが悲しゅうて他の男と倫が仲良くしてる姿を眺めにゃならん。でも、伊織は俺の嫉妬のこと十分頭に入れてくれてるんだから我慢、我慢。倫子のために我慢、我慢。はぁ……でも辛い。)
目の前で繰り広げられる光景に、竹丸は心のなかで絶叫しながら、ふたりの姿がちらりと見えるところで思わずごろりと寝転んでいた。
◇◇◇◇◇◇
城での密議の翌日、竹丸は約束どおり特製林檎蜂蜜を持って行き、求婚した。「諾」の返事に倫子を抱えくるくる回って歓喜を目一杯味わったが、そこまで。
早速、伊織によるランタルニアのマギー大説明会へ向かった。
伊織はランタルニアに憧れている。幼く文字も読めない頃から図録を沢山手に入れて、毎日眺め暮らしてきた。柾耶との初顔合わせでお近づきの印に持ってきたのもランタルニアの図録だったし、生き物の図録を見て、豹という生き物を送って貰おうとしたこともある。ハンスに船員が食べられるので危なくて運べません、と断られていたが。
そんな伊織の自慢の図録たちのなかにも、マギーの図録というものはなかったらしい。その代わり、マギーが題材とされている絵本を持ってきて倫子に見せた。伊織の持っている辞書は医道のものなので、マギーに関することは載っていない。結果、挿絵からほとんど伊織が創作したものだったが、倫子には十分伝わったようだ。
「倫子さんみたいにマギーが使える人のことを、マギー使いって言うんです」
「それで、こんなふうに、手を広げて、『風よ、吹け!』です。すると、大嵐がたちまち起こって…」
「…まあ僕としては、嫁よ、出でよ!がいいと思いますけど……」
ときどき混ざる謎会話もご愛嬌だ。伊織が目を輝かせて話すのを楽しそうに聞く倫子を眺めるのに竹丸は忙しい。伊織のランタルニア愛に溢れる話に慣れている竹丸は聞き流している。
実際のところ、ランタルニアで伊織が語るようなマギーはもう使われていない。マギーの力の少ない者がほとんどだからだ。昨日地面に広がった紫の文様もランタルニアで「増幅の陣」と呼ばれるもので、マギーの力を補ってなんとかマギーを使えるようにするものだそうだ。
「『増幅の陣』と『火種を作る陣』を刻んだ石を使い、薪を燃やすなどが精々らしいです。しかしそれでも人によっては修練が要るらしいです。」
伊織は修練が要るかもしれないことを誠実に説明して締め括る。
人のいい倫子は案の定、あっさりマギー使いになることを承諾して説明会は終了だ。
倫子が楽しそうに承諾したので、それでいい、竹丸はそう思う。
その後、倫子を家に送り届けて城に戻った竹丸は、紫矢の執務する青蘭の間に直行した。
青蘭の間とは名ばかりで、薄桃色の蘭が何本もまるで滝のように描かれた襖絵と衝立があり、青蘭は一本もない。その前で執務に励む紫矢は、優しそうな紫眼に髭のないつるりとした色白の肌をして年若く見えるから、まるで花畑で花輪作りに精を出している乙女のように見えなくもない。しかし、なまじ紫矢が有能で策士なだけに、こんな似合わない部屋はないと思う竹丸である。
「来たか。早かったな。求婚したか?」
「はい。もっと甘い時間を過ごしたかったです。折角林檎の蜂蜜とか用意していましたのに。」
「別に直ぐ一緒に住んでもいいし、婚姻式をしてもいいんだぞ。おまえが拘ってるだけだろう?どちらもまだしないって言い張るから、普段どおりに仕事の時刻がやってくる、それだけじゃないか。あぁ、そうそう、おまえの用意した新居は諦めてくれ。どうせおまえのことだ、とても常人が辿り着けないような隠れ里にでも用意したのだろう?倫子さんも子どももがっちり囲いたいだろうし。だが倫子さんがこれからマギーの修練をするならそこは無理だ。伊織が行けない。城の前の楠瀬の店を薬舗に設えるからそれにしてくれ。なにかと都合良い筈だ。」
「倫は可愛い嫁になるつもりだったので驚くと思いますが、薬舗に憧れていましたので喜ぶでしょう。私も薬作り部屋を用意していましたが、本格さでは薬舗には敵いません。マギーの修練にも使えそうですね。丁度良さそうです。ありがとうございます。」
「人手も勿論、楠瀬から出そう。花鳥風月からも入れるか?倫子さんが働き詰めないよう心配れよ。倫子さんの薬は本人が思っている以上に人気だ。彼女は他人を喜ばせるのが好きだ。もっと、もっとと思わせないようにしないと。来過ぎる客をどう捌くか。」
微妙な惚気を当然のように聞かなかったことにして、紫矢は続ける。
作れば作るほど莫大な利益を産む倫子の薬を簡単に止めさせようとする紫矢に竹丸は父の愛を感じる。多大な労力を費やして用意した新居をふいにされたが、これだから憎めない。この人であれば、世のため国のためだと言って倫子に無理にマギーを使わせるようなことはない、と信じられる。
「おまえが七つの時、骨折を『倫が直してくれた~、身体が蛍みたいに光った~』のは勘違いじゃなかったな。」
「信じてくれなくて『変に思われるから秘密にしておくように』って言ったでしょう?」
「別にそれ自体は正しかったじゃないか。今も他言無用にしたし。疑ったわけじゃないさ。大事な息子が襤褸布にされてそれどころじゃなかったんでね。」
竹丸は紫矢と忍者社中「花鳥風月」の前頭領の娘、艶の唯一の子である。
楠瀬の嫡男たる彼を祖父である頭領がその図抜けた身体の動きに惚れ込んで五歳にして忍者にしてしまった。そして七歳の時、伯父たちの修練を見ただけで、頭領になる者にのみ伝承される秘伝を伯父たちを差し置いて会得してしまった。頭領の座を奪われた伯父たちは激昂して、幼い竹丸に殺意を向け、滅多打ちにしたのであった。事態を知った祖父は、息子たちを破門し、優秀な後継を指名して頭領の座を降り、混乱の収拾を図った。誰かの差し金で、破門された伯父たちが消息を絶ったことは言うまでもない…。
「それはそうと、柾耶がますます危うい。ここ最近の襲撃はおまえのお陰で鳴りを潜めたが、『嫡男の印』があるから王の子だ、柾耶は偽物だと言い出した。済まないね、竹丸。愛しい倫子さんと柾耶を会わせることになる。伊織は倫子さんの修練を考えれば無論そうなる。耐えてくれ。」
「『嫡男の印』とは?」
「伝承だ。誰も見たことのない、記録にもない、王家所縁の者に表れることのある痣のことだよ。」
「……。ということは黒幕はほぼ決まったようなものではないですか。自分で名乗り出たに等しい。」
「確かに。左門殿にも、痣のことは他言していないことは確かめた。浅慮なことだ。弾みで知った伝承を持ち出して。鶯宿殿を憎むこともそうだが、子を慈しまないどころか害そうとするなど、鬼畜の所業よ。」
(そうだ、あの時打ち身だと思ったが、あそこだけ二歳だった倫子さんが治癒し残したのだろうか?)
紫矢は当時くすぐったくて暴れる竹丸を諫めながら、鱗の一枚一枚からすみずみまで、大事な息子が傷ついていないか確かめたとき、左脇の下にとぐろを巻いた靄のようなものがあったことを思い出した。事情が事情なので打ち身と信じて疑わなかったが、痣かもしれない、と閃いた。
そうして新婚生活はお預けどころか虫まで寄ってくる、竹丸悲痛の我慢大会が始まったのであった。
◇◇◇◇◇◇
「竹兄様~、そんな顔して僕を見ないでくださいよ。それだけで済ますの竜人の男として尊敬しますけど。僕は今日から倫子さんの頼れる弟です。つけ狙う男じゃありません!」
謎の言い分に竹丸は溜息を吐く。それにしても伊織はモノクル男のときの怜利な雰囲気はもう欠片もない。モノクルひとつであれだけ化けられるなんて役者の才能があるんじゃないかと思う竹丸であった。
「竹ちゃん、ごめんー。上級塗薬ばかりできちゃった。しばらくこうなりそうだから、置いておいても貯まる一方だし、大湊で売ってもらえる?」
「分かった。知らせを出す。」
伊織は、倫子の竹ちゃん呼びに反応し、ぎぎぎ…と絡繰人形のように竹丸を振り返って言った。
(結婚したら本名で呼んでもらうんだって都合百回は聞いた気がするのに……)
「……竹兄様、もしかして、まだ結婚してないんですか?婚約だけ?」
「おうよ。親父さんと玲との約束の日が来ただけで、別に倫との結婚の約束の日ってわけじゃなかったし。求婚するだけのつもりだったぞ?ってか、マギーのせいでその求婚自体思ってたより一日も遅れたんだけど!……そういや、お前の変な趣味の栞のせいでもある気がするんだが?」
いきなり風向きが怪しくなったので、足首捻挫事件から竹丸に迷惑を掛けっぱなしの自覚がある伊織は日を改めることにした。
「じゃあ、倫子さん、帰りますね、僕。ハンス殿にもう少し修練方法の相談してみますね。また明日~」
あまり身のこなしがいいとはいえない伊織にしては素早く、ランタルニア商館へ向けて去っていった。




