41 異郷大湊
「~wer…。」 「魚、今日は少ない日だからね。」 「~ eins じゃないか ~ kern!ははは」
「… wieder ~ HAHAHA oh」 「今日は建屋に置いたんだ」
「twei … sehn ~ HAHAHA 」 「またね。」
「…ここ、どこですか?分からない言葉で溢れてますけど。」
三月十日。今日はいよいよハンスたちが帰国する日である。出港は正午だが、三隻目に乗り込むため、伊織と隼矢は早めに繋路石で大湊の桟橋にやって来た。
「もう直ぐランタルニアに帰れるってなってこうなる。大湊の商船出港の日あるあるだ。それまで竜舞語を話していたのに、二日ほど前からランタルニア語が増えてくる。もう今日は大湊の者には何を言ってるか全く分からねえ。当てずっぽうに返事してる。で、伊織、もうここの船員の人はランタルニア語を話してるんだが、何言ってるか分かるか?」
「…。いいえ。本当にこれランタルニア語なんですか?」
「そうですよ。いやぁ、半年は長いですからなぁ。皆嬉しくて。昨日から宿もランタルニア語で溢れて女将が困っていて申し訳なかったです。」
「ハンス殿!」
聞き取れる竜舞語を話すランタルニア人がいたと思ったらハンスだった。今日のハンスは白の船長服で他の船員たちとよく似ていて、話し掛けてくれるまでどこにいるか分からなかった。
「ハンス殿、こちらは私と倫子からの航海の守りです。船ごと無事であるようにと魔力を入れましたが、試す方法が思いつかなかったので、気持ち程度のものですが。」
隼矢がハンスに竜舞の赤い織物で作られた小刀の袋を三つ渡す。なかには小刀ではなくその大きさに丸められた小机くらいの大きさの紙が入っている。
倫子も渡しに来る筈だったが、三つ子の世話のため来られなかった。領邸にいる。
「これは有難い。貴殿方であれば、無事の航海は保証されたようなものでしょう。半年後、こちらへ来るときも十分使えそうなマギー力ですな。流石にお疲れになったでしょう?」
「いえ、特には。ふたりでゆっくりやりましたので。」
「やはり凄いですな。また会えることを楽しみにしております。では、檜原殿、こちらへ。石はお持ちですな。」
船へ乗り込む人の流れがきたので二人は紛れ込むようにして目当ての船に近づいていく。
「はい。あの、改めて、色々教えて頂きありがとうございました。石も揺れないよう、書物を参考に作ったんです。」
「あの訳文はいい出来でしたが、最後の題名も良いですなあ。ワタクシの友が知ったら唖然とするでしょう。その題名のほうが中身に合っておりますからな。ワタクシは友のあの題は歴史書にしか思えませんでしてな。さて、こちらですぞ。」
船から掛けられた梯子を上って甲板に辿り着く。伊織は初めての乗船である。
「ここに石を置いて貰えますか。おおぅ、これは面白い。これはぴたりと貼付いたようですな。ランタルニアに着いたらワタクシが剥がしておきましょう。繋ぎ先は大湊の楠瀬邸ですかな?」
「はい。」
「では、この立ててある木箱の上から布を被せます。このなかで座って、見送りの声が聞こえなくなったら、外に出てください。島が見えているうちにお戻りくださいね。それで十分な筈ですから。この木箱は船に打ち付けているものなので、転がりませんが、揺れにはお気をつけて。今日はまたとない上天気ですから大丈夫でしょうが。では行きますね。」
船員に呼ばれてハンスは行ってしまった。
因みに布は畳んで箱のなかに入れておけば良い、と予め聞いている。ここは船員が軽食を取る場なのだそうだ。元は机に掛ける布だそうである。
伊織がハンスと別れるとき、いつもあっさり別れるのだが、流石に今日は心細い。石も手を伸ばせば届くところにあるが、伊織は動作が鈍いので揺れる船上では心許ないのである。
(そのまま留学なんてしなくて良かった。竹兄様があのとき聞こえないふりをして冷たい目で見たから、やらなかったけど正解だ。さっきのランタルニア語は全く分からなかった。流石大湊の領主の子、会話が聞き取れないって知ってたからだな。ずっとハンス殿とは竜舞語だったもんなぁ。)
伊織は空模様は心配していない。おそらくハンスがわざわざ文にしてくるのだから大丈夫なのだと思っている。
(ハンス殿は既に結果を知っているところがあるからな。マギーではなく竜の力なのも多分知ってる。不可思議なところのある人だ。僕は気配が分からないけど、竹兄様はいつもハンス殿は気配が二つあるって不審がってるし…)
船がぐらり、と揺れた。出港だ。見送りの歓声が聞こえる。
伊織は手を振る人を見たいが堪える。
暫くして声が聞こえなくなった。揺れもほとんどない。外に出る。布を外す。畳んで箱のなかに置く。
外は快晴だ。海風が心地よい。雲なんて欠片もない。
島が小指の先ほどになったとき、伊織はふわりと微笑して石に手を当てた。
縦にも横にもちょうど襖一枚分そこだけ景色が変わる。倫子が手を振っている。
伊織はそこを抜けていった。
「お帰りなさい。伊織さん。あら、あら?」
「ただい、ま?」
伊織がふらふらして座りこんでしまった。倫子が立って、石を動かして、繋がりを切る。壁に戻って、甲板も海もなくなって、静かになった。
「どうしたんでしょう?少しふらふらします。船に乗ってるみたい。降りたのに。」
「ははは、お帰り。長く乗ってるとそうなるけどな。う~ん、小半刻もあったか?今日は珍しいくらいの波の穏やかな日で、いつもより速くて直ぐ船が見えなくなったぞ。初めて乗ったからかな。」
「ただいま竹兄様。そんな短かった?」
うわっ がしゃん どん
「おいおい、壊すなよ?」
「おっふ。おー良かった。無事です。玩具ですか?わぉ、これだけ随分使い込んでますね。」
ふらついた伊織が、玩具が山盛りの木箱にぶつかりながら尻餅をついた。一番上にあった機関車の玩具を手に取って、裏返したり、煙突を覗き込んだり、車輪が動くか触ったりしている。
「この機関車凄く良くできてますね。なんで動かないんだろう。まぁ、車輪は回りませんけど、ん…」
(あら、車輪が沢山あるわね。お義父さまの苦い思い出の品?)
「へぇ、機関車っていうのか。何するもんなんだ?それは俺のお気に入りで、よくこうして走らせるふりをして遊んだもんだ。廊下じゃなくて、畳でやったときは、畳に筋がついてな、じいやに嘆かれた。」
隼矢が持つふりをして軽く丸めた手を斜めに前、後ろと動かす。
「ランタルニアの隣の綿毛鳥のいる国にあるものです。物を沢山運ぶとき使うとか。んんー。ここ見てください。消えかけてるけど、繋路石とかの文様と同じような気がします。竹兄様、魔力、そっと入れてみてください。」
伊織が煙突を指差しながら、隼矢に渡す。
隼矢は煙突や車輪の裏を見ようと目を凝らしている。
「ここも細かく何か描いてあるなぁ…。」
言いながら手をかざすと、煙突から煙が薄く上がり、車輪が動き出した。機関車は進まずただ車輪が足踏みするように動く。よく見れば、車輪ではなく四つの車輪を渡し通すような棒が斜めに行ったり来たり動いているのだ。
ぽぅ~
音も鳴り出した。三人ともぽかんと見ている。暫くして隼矢が手に持って右から左に動かすと、三つ子もいつの間にか起きて、お揃いの金色の眼で追っている。
「なんだい、まだ早いとか笑ったくせに、おまえたちが代わりに遊んでるのかい?」
音を聞きつけて、玩具の木箱を出してきた当人である紫矢が、口を尖らせてやって来た。
隼矢の手元の機関車を見て呆れる。
「それ動くんだね。煙が出て、音が出て、車輪が動いてるように見えるのか。高かった筈だよ。でも魔力が要るんだね。へぇぇ…。」
沈黙する大人四人と子どもたちが見守るなか、機関車だけが、ぽぅ~、ぽぅ~と動いているのであった。




