36 兄者柳丸
瑛都の忍者社中「花鳥風月」の頭領、柳丸はまたの名を「至誠の柳」という。竜舞忍者社中の最大手たる花鳥風月は、その属する忍者の数も、彼らのための馬、伝達鳥から島を一周できる宿駅までもの多種多様な資産も群を抜いている。その全てを時に自らが駆け回って確かめることも怠らず、二十年近く過不足無く差配する男、それが柳丸である。全ては次期頭領竹丸に捧げるために。
「だげまりゅさま~、お会いじだがっだでずよぉー。ううぅ、ううぅ、やっど、やっど、だげまりゅさまに花鳥風月をおばだじでぎるどおもっだのに~。まだいじねんはざぎだなんでぇー。ううぅ、ううぅ。」
竹丸の足に取り縋って号泣する、いい年の男。これが柳丸である。若い頃から竹丸一筋、竹丸に忠誠を尽くし続ける。
本来、竹丸は柾耶の護衛を引退して婚姻式を挙げたら直ぐ花鳥風月の頭領を引き継ぐ筈だった。しかし、婚姻式で卵を授かり、次の日には三つ子が生まれたため、柳丸に頭領の座を守って貰っているのである。その日を楽しみに励んできた柳丸は、お祝いも忘れて泣き崩れた。
今日もまた、竹丸に会えて涙腺が崩壊している最中なのだ。
柳丸は当時から一廉の忍者として名を馳せていたが、前頭領が連れてきた竹丸を見て、一目惚れし、至誠を誓った。
ある日、前頭領の息子たちが、頭領になる者にのみ伝承される秘伝を特訓し始めた。実力者揃いの花鳥風月にあって、次期頭領候補が何人もいるのは常のこと。しかし、実力者であればあるほど他人の実力も分かるというもの。花鳥風月で後継が争われたことはなく、秘伝といっても候補から頭領を選ぶための一種の遊技のようなものである。花鳥風月は実力主義で血縁は重視されない。しかしながら当然のように頭領の息子たちが秘伝の特訓を始め、しかもなかなか会得できない様に眉をひそめる者は少なくなかった。
そんなとき、竹丸はわずか七歳にして一目見ただけで秘伝を会得してしまった。心中、快哉を叫ぶ者がほとんどだったが、あろうことか息子たちは激昂して、幼い竹丸に殺意を向け、滅多打ちにし始めた。竹丸は器用に避けていたが、短い手足で反撃しようとして足を骨折してしまった。柳丸は直ぐに駆け寄り彼らを捕縛して床に転がした。竹丸はその辺りに落ちていた棒に縋って立ち上がり、「ありがと、兄者。」とにっこり笑って「宵」へ遊びに行ってしまった。
益々竹丸に惚れ込んだ柳丸は、竹丸への中継ぎであることを条件に頭領の指名を了承したのである。
「ううぅ、して今日は何用にございますか?」
竹丸の足から離れて、すっくと立ち上がる。ただ咽びは急には止まらなかったらしい。
「おまえ、新田柳丸の名で奉行所で何してんの?」
「あぁ、奉行所の忍者があまりに質が悪いので鍛えております。あれで忍者とは。笛も聞けぬ者がおります。」
「ああ、それは存外酷いな。そもそもなんで潜入することにした?」
「春花秋月が仕事を求めて奉行所を取り込もうとしておりましたので、一応確かめに。奉行所はそれなりに力がございます。忍者の技を悪用されては堪りませんから。それは杞憂だったのですが、忍者頭が引退してから奉行所の教導が無くなっておりまして。春花秋月が教導するならそれも良しと思っておりましたら、それどころか春花秋月自体教導が必要な有り様で。我々の忍者としての矜持を守るべく、鍛練をつけておりました。お邪魔でしたでしょうか?」
「いや。檜原奉行が狙われているようなので聞きに来た。」
「それは勿論、春花秋月の奴らでしょう。もっと忍者方の報酬等を増やそうと。今のままでは旨味が少ないですから。『けち』な親分が邪魔になったのでしょう。何か上手くいきそうなことでもあったのですか?」
竹丸はこれまでの事情を掻い摘んで話して聞かせた。
「…それはまた。上手くいったものですな。春花秋月らしからぬ見事さ。はあ、筆頭与力殿も奉行殿も御粗末過ぎます。竹丸様にはご不快やもしれませんが、奉行にはもう少し武術に明るい者を置くべきです。」
「分かった。良ければこのまま勤めてくれ。そうだ、奉行や筆頭与力に推挙したい者は居るか?」
「拙者の勝手な振る舞いを見逃して頂き有難うございます。奉行所内には居りませぬ故、分かりかねます。竹丸様、どうか一日でも早く頭領に。お待ち申し上げております。」
頭を垂れて見送る柳丸に手を振って、竹丸は父の屋敷に向かった。
久しぶりの楠瀬本邸だが、慣れたもの。竹丸は難なく、父のいる部屋の縁側に立つ。雨戸を開け、するりと入り込んだ。
「竹丸。寒いんだから、ふつうに表から入ってきて。柳丸殿は?」
「春花秋月が奉行所の仕事欲しさに入り込み、『けち』奉行を降ろして報酬とかの増額を狙ったんだって。ただ奴らにしては見事過ぎるとか。」
「見事過ぎる?奉行と筆頭与力に別の話をして分断するとか、よくある忍者の手口だったろう?」
「春花秋月はそれも出来そうにない程お粗末な者どもに成り果てたらしいよ。そんな奴らに嵌められて呆れてた。忍者頭が引退して教導もないし、見かねて柳が仕事の合間を縫って教導してるみたい。奉行を武術に明るい者に代えろってさ。」
「我々には竹丸がいたからなあ。このところ奉行所の忍者たちがあまり使えないのは知ってはいたが…。今日は一慶にも文句を言われたよ。奉行を代えろって言ったら、評価していたのではなかったのか、ってね。」
「ええ…。あいつめ。でもまあ、倫も前の王と父上が友人だと思ってたし。」
「はは、倫子さんはそうだろう。そう見せてきたし。でも一慶に言われるのはねぇ。お前も評価を誤ったんだろうって聞こえたよ。貴方が不憫だから側用人していただけです、執務もろくに渡されず、奉行を任命して放置したのも、先王ですなんて、格好悪くて言えるか。柾耶殿は知っているらしく狼狽していたな。一慶は奉行を気心の知れた手駒のひとつだと思って離したくないのだろう。」
「別にあの人でなくて良いのになあ。」
「確かに。急な即位だったとはいえ、もう少し国内の人材について考えさせておくべきだった。筆頭与力も全く当てがないらしい。鶯宿殿も中枢から離れていたし、さてどうするのやら。」
「父さんは教える気がないんだね。せめて筆頭与力一人だけでいいから教えてやってくれよ。」
「嫌だ。もう甘やかさない。薬舗で暇潰してないで、自分で探せばいい。」
「はあ…。父さん怒るの分かるけどさ。一慶に言いたくなかったのも。でも父さんが隠したんだから一慶が知らないのも仕方ないじゃないか。」
「……。そんな直ぐ教えなくていいだろう。少しは困ればいい。竹丸、柳丸殿を貸してくれないか。」
「ええーっ、仮の筆頭与力にする気なの?少しだけだよ。少し。なんで一慶に嫌がらせすんのに俺に皺寄せするかな。」
竹丸は言いながら、来たときよりも大きく雨戸を開け、外へ出る。
「帰る!」
寒い!という抗議の声を背に、来たときのように駆け去っていく。
「ちっ!」
舌打ちしながらも苦境に立つ弟分のため、秦野に文を認めて伝達鳥を飛ばす。奉行所の忍者の教導を引き受けて貰うのだ。ある程度の人数を一度に、となれば秦野くらいしか頼めない。それに、ついでに奉行所の腐った者たちも相手にしなければならない。
(後は、変形薬を用意して貰って、一慶を奉行所に暫く潜らせて探させよう。)
竹丸はなるべく不機嫌な顔が鎮まるように、回り道をして薬舗に帰っていった。




