35 二つにできました
倫子が城からやって来た紫矢と歓談していると、洞窟に秦野の伝達鳥の鳥小屋を作り終えた隼矢が薬舗に戻ってきた。紫矢が隼矢に耳許で何か囁くと、隼矢はまるでこの冬で一番渋い柿を食べたかのような口許をして了承した。
因みに倫子は紫矢から、使えないものが苦手な訳を聞いていたのだが、子どもの頃の落胆が原因らしい。それはそれはまるで本物のように良くできたランタルニアの車輪が幾つかついた玩具を買って貰ったのだが、見た目にそぐわず動く作りではなかったそうだ。かれこれ半年待って手に入れた期待のそれに裏切られた落胆は大きく、紫矢は使えないものがどうしても苦手なのだそうだ。
繋路石で大湊に繋いで紫矢を見送る。紫矢は側用人を辞めてからはほぼ毎日大湊に顔を出しているという。建屋の市場をもう一軒作る差配をしているそうだ。驚いたことに、倫子が気に入ったあの大湊の棚の市場にはまだ名が無く、建屋市場だとか昼棚市場だとか呼ばれているそうだ。伊織は命名が上手いと聞いた紫矢は、今度伊織に暇ができたら是非お願いしようと言って去っていった。
「お義父さま、繋路石凄くお気に入りね。本邸の石、魔力入れてるの?」
「面倒だから二個作って交替して使ってる。何日かに一回お使い来るだろう?もうお気に入りっていうか無いなんて考えられないだろ。」
「こんにちは!ハンス殿の出発の日、三月四日になったんです。『複成』挑戦してください、今から!」
「落ち着け。出発が決まって焦っているのは分かるが。急になんでそうなる?」
珍しく伊織が薬舗に駆け込んで来た。ふうふう息を切らせつつ一気に伝える伊織。倫子が水を渡す。伊織は今、帰国の迫ったハンスに教えを乞い、必死になって「失われしマジック帝国」を訳している。もう終盤も終盤、大詰めのようだ。
「僕ら訳にかかりきりでしたけど、『複成』のこと思い出して。ハンス殿が、竹兄様なら出来るんじゃないかって。ランタルニアのマギーの絵本とかも見てるし、魔力の細かい扱いも上手いからって。写絵一枚なら直ぐだろうと。」
「よし、やろう。俺もあの卵籠の写絵二つにしたいんだ。さっき秦野さんに額も二つ頼んだしな。」
「ああっ!額、忘れてました…。ごめんなさい。」
「いや、忙しそうだと思ってたら、父さんが秦野さんの木彫りが欲しいって言ったからだ。訳が終わったらまたくれたら嬉しい。」
「ありがとうございます。」
洞窟の部屋から子どもたちの写絵を持ってくる。かなりの量だ。卓を囲んで座る倫子と隼矢の前に、伊織が当たり障りのない小さな写絵を選んで置く。
「増えましたね。これなら…、この小さいのなら素敵な額を思いついたっす。訳が終わったら作ってみますから、ちょっと待っててくださいね。じゃあ、取り敢えずこれでお願いします。」
「……?」
「ん、倫。店に行ったら同じものが並んでるところを見るじゃないか。あんな風に同じものをもう一個並べるように考えて。こうだ。」
卓の上にパッと同じ写絵が現れた。流石隼矢だ。直ぐできた。
「どうですか、竹兄様。書物も行けそうですかっ!」
「紙一枚だったから魔力は減ってないな。それだけ分厚いとどうだろうな。もう少し薄いのは?」
「僕の訳文のほうです。よろしくお願いします。」
伊織が慌てて薬草図録の訳文を風呂敷から取り出す間に、隼矢の手本のお陰で倫子も無事できた。隼矢は倫子の頭を撫でる。伊織が訳文をきっちり揃え、卓に置く。
よし、と隼矢が手をかざす。
「ふー。お、できた。後ろの頁もできてるか見てくれ。目に入る表紙だけを作りそうで苦労した。」
「ありますね。全部。嬉しい!魔力はどうですか?」
「う~ん。結構使ったな。枚数が多いっていうのもあるけど、ちょっとそれだけじゃないような…。倫、ハンス殿の書物、やってみて。一度開いて、ぱらぱら捲って…はい、裏表紙。持ってみて。」
隼矢は倫子の目の前に書物を持ってきて表紙を見せてから捲る。そして倫子の両手に載せた。かなり重い。
「重いよ~」
ごめんな、と呟いて頭をぽんぽんする。受け取って、書物を机の端に置き直す。
「じゃ、やってみて。ここに正確にあの書物がもう一冊『在る』。」
隼矢が、書物から少し離れた、卓のある一点をとん、とん、と指差す。
倫子が隼矢が指差すところだけを見て、手をかざす。
「ん…。ふう。できた!」
伊織がさっと取って確かめる。できたほうを持って小躍りしている。
「俺は読んでないだろ。見た目だけでなかが真っ白のができそうに思えて。その考えを振り払うのが大変で、その間に魔力も余分に使ったんだ。でもここと大湊が繋がったり、そもそも魔道は不可思議なものだろう?書物が二つになるとか『在る』と思えればできる筈なんだ。それ以上考えちゃ駄目だ。」
「隼の言ったとおりにやると、在るって思うところに魔力を使うだけだったよ。ありがとね、隼。」
伊織はできた!できた!と言って、荷物を纏め、ハンスのところへ報告に行った。
「ハンスさん思ったより出発早いね。」
「そうだぞ。片道十日は掛かる。高価なものも多いから慎重でそれ以上掛かることもある。海が穏やかなのはふた月程だから、向こうの港で引き継ぎもしてくるし、遅くてもここを三月の半ばには出なきゃな。港、もう少し大きけりゃ、あそこで船団の交替できるんだけど。こっちを先に空けなきゃ次が入れねえからな。」
竜舞島の周りは大層な荒海なのだが、春と秋のふた月ずつの間だけは波が穏やかになるのだ。この期間のうちに、ランタルニアの交易船が大湊を出入りするのである。と言っても大湊も船を三隻停泊させるのが限界で、もっと港を大きくしたいというのが両国の切なる思いである。
「伊織さん、訳文間に合えばいいね。あ、この写絵…これもやっちゃう?」
「いや、止めておこう。さっきの書物のように魔力を込めてしまったら、多過ぎる。一旦その感じを忘れるほうがいいだろう。まだ額は頼んだばかりだ。」
ふたりは畳の上にあったあの大きな写絵を大事そうに洞窟の部屋に持って帰る。
夜、夕食の後、父さんに頼まれたんだ、ちょっと出掛ける、とまた渋柿を食べたような口許をして隼矢は出掛けていった。




