33 陰謀の芽
来るときは降っていなかった牡丹雪が激しく舞うなか、傘も差さずに大也は奉行所に戻る。途中、城の門番が濡れる大也を見て慌てて傘を貸してくれようとするが丁重に断る。重過ぎる。大也のぷにぷにの腕は見た目に反して乙女のそれなのだ。ふるふる震えて、ここから近いが奉行所まで持ちそうにない。木剣然り。
少し歩いて奉行所が目に入ったところで、はたと大也は気づく。身体強化薬を使えば良かった…と。大也は伊織からたっぷり渡されたのだ。
因みにそのとき伊織に渡された薬と同じくらいたっぷり絞られた。闘技会の夕方、二回戦と三回戦は無事に代わりの人が進めてくれたことを伝えられ、じゃあ初めから…と思ったのが顔に出てしまったのだ。
曰く、「不正の指摘をしてくれた秦野殿が成り代わってくれたんだよ。初戦まで頼むのは気が引けたんだ。こっちの旗野さんは棒立ちだし。秦野殿だって父様の鍛練を見なきゃ真似られないでしょ。特忍の技で魅せて勝ったから会場が静まったんだよ。僕ら皆苦心したんだから、そういうとこ、もう少し考えて。僕はもう恥ずかしくて泣きそうだよ!」と。
そして帰り際、赤と青の金平糖をひと袋ずつ渡された。赤が変形薬、青が身体強化薬で、いずれも効きを短くしたので、飲み易く小さくなったそうだ。例えば、家路の途中で切れる。
雪を払って奉行所に入る。こちらは手拭いを貸してくれる者があったので礼を言って受け取る。
確かに闘技会以降、奉行所全体の雰囲気が良くなったようだ。元々、先程の手拭いを貸してくれた者のように、奉行を軽んじる言動を良しとしない者も少なくはなかった。そういった者が大手を振れるようになったのだろう。
借りた手拭いで顔、身体をさっと拭いて畳敷きの自室に入る。
旗野がその様子を見て、さっさと私物を片づけ始める。いつもより帰りが遅いし、にこりとも大也がしないので察したのであろう。
大也が奉行になったのは八年前だ。旗野はその間ずっと筆頭与力だった。少し長過ぎたかもしれない。真面目だが融通が利くし、武術に明るいが、大也を蔑ろにするわけでもない。今回の闘技会への参加も原因をよく察していて、部屋の隅で小さくなるばかりだった。秦野の件は魔が差したのだろうが、丁度奉行所の綱紀を憂慮していた若い国王と側用人の目に余るものだったようだ。
「過日は謹慎していたようだが、それは何故だ?」
「…何故とは?」
「二度の処分になるからと取り成したが、登城は禁止したが、ここへの出仕は禁じてない、処分は保留だったと仰る。確かに、告示など何もない。」
「…取り次ぎが、隠蔽改竄が判明した、謹慎を命ずる、と。」
「どの者だ。登城禁止で処分は保留だと言わなかったのか?この件についてお前に何の聞き取りもなく?」
「そこまでは、その…。確かに聞き取りはなかったですが、事実でしたので、不審にも思わず…。」
「敢えて訊く。お前は何故、隠蔽改竄しようと思いついたのだ?」
「……、け、剣豪の列伝を買い求めましたら、店主とここにある人は幾らくらいで雇えるかという話になりまして。秦野殿が格段に安く不思議で。それは刺客じゃないときの報酬だ、と。それで…。」
「それはいつのことだ?」
「わ、私がやらかしました数日前のことでございます。」
「いつも行く店なのか?」
「え、いえ…。品切れと聞き…。」
はぁ…と嘆息して、大也は言う。
「このことはお二人にお知らせする。だが今のところ、お前が筆頭与力を降りることは変えられそうにない。大層、御冠だ。奉行所の綱紀粛正を行われるそうだ。こんな時に右腕をもがれるなんて残念だよ。」
青菜に塩どころか漬け物石まで乗せられペラペラになっていた旗野だったが、なんとか絞り出す。
「申し訳ありません…。」
やはり不憫に思えてならない大也であった。
一応、というか濃厚に、旗野が嵌められた様子であるので、一慶と柾耶に急いで伝えることにする。筆頭与力のやらかしはひと月も経ってから風雲急を告げるのであった。
◇◇◇◇◇
「やあ、倫子殿。兄様は?」
「伊絃さんが、剣を指南して欲しいってやって来られて、それでその応対に…。」
抜け道から一慶が現れる。一慶も柾耶も申し分なく優秀なので、半分ずつにした執務は二人とも午前中には終えてしまう。暇を持て余した一慶は、国王になったばかりでお忍びするのはやはり気が引けるので、こうしてほぼ毎日抜け道を通ってやってくるようになった。
「ん、伊絃は剣が好きなのか?闘技会も事務方の初心者としては十分な成績で、特に侮られるとかはないだろうし…。」
「お奉行さまが楽しそうだったのが羨ましいそうですよ。お祖母さまの鍛練は苦痛だったそうで、良い指南というものを一度受けたいとか。」
「ふーん。兄様は何て?」
「受けたぞ。試しの一回だけだ。やる気のある者を断るのは嫌だからな。」
隼矢がすっと倫子の横に立つ。戻ってきたのだ。
「それは良かったです、兄様。実は伊絃には転属の話が出てまして。伊絃が本当に剣が好きならまた話し合えるのでなによりです。」
「どこだ?」
「出納方ですよ。」
「良い話だが、父さんに当たってみてくれ。あそこは確か、檜原殿を大昔、門前払いしたって聞いたぞ。父さんもどうして檜原殿が奉行所に入ったのか気になったらしい。」
「分かりました。ありがとうございます。」
「父さんに伝達鳥を飛ばしておく。明日城でいいか?」
「お願いします。…気まずいなぁ。『遠望窓』のことを柾耶に言ったとき、奉行も居合わせて。奉行が壺を気にするから、紫矢殿が『古い壺好き』って言ってしまいまして。」
「えー、なんでそんなこと言ったんだよ。骨董壺とか贈られたら父さん固まるぞ。父さんそういうの、苦手だろ?ランタルニアのとか新しいもの好きだもんな。」
「新しいものって言えばまた作って欲しいものがあるんですけど。ん、どうしたんですか倫子殿?」
「お義父さまってそういう飾りもの嫌いなの?この前も秦野さんの褒めてなかった?」
「あぁ、使えるかどうかが別れ目かな。飾り刀でも使おうと思って使えれば大丈夫だ。壺だったら、花が生けられるならそうだ。飾って使うものだって分かってても、ひび割れてるとか、なかが空いてなくて花が入らないとかは駄目だ。凄い顔するぞ。礼を言うときの愛想笑いも面白いぞ。骨董壺は大体駄目だけど、一見で分からないだろ?あの即断即決の人が固まるんだよ。珍しいぞ。」
「そうなんだ。そんなところ確かに見たことないね。どうして?」
「さあ?確か尋ねたことないな。今度聞いてみたら? で、一慶は何が欲しいんだ?」
「今日雪が降って寒かったでしょう?お茶がすぐ冷えて。柾耶が冷たいまま飲んだら震えたんで、淹れ直そうとしてくれたんですけど、それも冷えてて。なんかないかなーって。」
「淹れたお茶を冷めなくしたいの?温かいお湯が出るようにしたいの?」
「折角人が居るんだ、侍従呼べよ。でも倫の言うのは二つとも欲しいな。子どもたちとか店に使えそうだ。」
「店?あぁ、お茶のお試しとか?」
「そうだな。うちの店ならそうだ。大湊の屋台とかなら温かいものが売れるぞ。」
「兄様、是非お願いします。なんか紫矢殿に怒られそうな気がしてきたので、それで助けてください。」
「いいぞ。それも伝えといてやろう。」
◇◇◇◇◇
一慶が薬舗に出掛け、柾耶が白晰の間で父の記録を趣味として読んでいると、奉行所から知らせが届いた。
(まぁ、処分は変わらないし、奉行が残ったので敵が本当にいるとして大分敵の計略は狂ったろうな。ただ、後任の人選をより慎重にしないと…。)
知らせを読んだ柾耶は急がなくていいか、と思ったのだった。




