31 黒輝山の牧場
三つ子の世話の合間を縫って、隼矢は「竹丸」としての仕事をしに、ほぼ毎日黒輝山に来ている。黒輝山は洞窟の新居のある青岳を囲む山々のひとつである。
黒輝山ではかつて黒き竜の鱗であったと言われる黒輝石が極僅かに採れる。この石はつるつるしていてその名のとおり黒く輝くのであるが、彫ると彫り跡が七色に輝く。とても硬く彫り難いが、複雑な文様を施したそれはランタルニア王家が、目を見張るような高値で買ってくれるので、偶にハンスが直々に警護して運んだりする。
また黒輝石からは小さな笛も作られる。かつて施療院でマギーが発動したとき、火を消そうと竹丸が花鳥風月を呼ぶために吹いたあの笛である。黒輝石の笛はふつうの人には聞こえない。訓練を積んだ忍者だけが聞くことができる。この笛の音が聞こえるようになれば忍者として雇って貰える。
そのようなわけで、黒輝石は忍者に馴染みの石であり、ひとつでも多く集めたい忍者たちは黒輝山に鍛練を兼ねて通っている。
当然、花鳥風月の忍者も例外ではなく、彼らに警護を任せれば良いと竹丸はここで馬や伝達鳥を飼っている。竹丸が馬のため、そこそこ土地を整え、草を生やし、小屋を建て、ついでにと伝達鳥を飼い始めたとき、竹丸のあまりの器用さと世話好きぶりに花鳥風月の面々は無言になった。しかし小屋が至便で、さらに馬が選り取り見取りになったうえ、高値で売れるようにすらなり、花鳥風月が潤うと、誰もが竹丸の次期頭領を疑わなくなった。次第に小屋のある一帯を牧場と呼ぶようになり、花鳥風月の財として熱心に警護するようになった。
さて、いま竹丸は十余頭の馬と三十近い伝達鳥を一心に世話している。馬は放しているが、近づいてくるものには櫛を入れ、撫でてやる。鳥は、流石に飛び回っているが、止まり木代わりにしてくる奴は大歓迎だ。小屋を見回り壊れているところはないか、失くなっているものはないか確かめる。便利だから、と貰った繋路石が箱にあるか特に確かめる。石は万が一のため青岳の洞窟と繋ぐものだ。竹丸も鍛練したいので、かつてより短くはなったが洞窟から駆けているので使っていない。
一羽先程から竹丸の肩に頻りに止まる濃紺の伝達鳥がいる。竹丸の伝達鳥だ。
(おまえも親になるのか。巣を離してやらないと。)
小屋のなかの伝達鳥の巣が並んだ一角に向かう。高いところに開いた小窓があり、人が三人入ればやっとの小部屋に棚を三段、壁にぐるりと取り付けた。巣が何個も置かれている。肩に止まっていた一羽が飛び込んだ巣を一際大きい棚に移す。その棚だけは縁が付いていて、卵がもし巣から出ても転がり落ちない仕組みだ。因みに小屋に倫子の侵害防止紙を貼ってからは、小窓から鳥の敵も来なくなり、窓を開け放しにできるようになったので、竹丸は餌、水をやらずともよくなった。
竹丸の思う繋路石を使わねばならない万が一とは、ここの馬や伝達鳥たちの万が一ではない。ここで彼らの世話をしている間に、倫子や三つ子たちに万が一のことがあればの意味である。かれこれ二十年近く世話を続けている大事な彼らではあるが、やはり倫子や三つ子たちに敵うものではない。
竹丸が倫子と出会ったのは、倫子が生まれた次の日である。親友玲が、「きのう、とおさんとかあさんが、しんでんにいったら、うまれたんだ。みせてやる。」と言うのでついていって見てみた。ふぅん、可愛いね、と思っただけだ。
当時竹丸は毎日玲の家に遊びに行っていた。祖父も孫に忍者の着物を着せてみたいという程度で、大した鍛練もなかったからだ。倫子が少し大きくなって座るようになった頃から、玲は妹の食べさせに夢中になった。竹丸はすることがないので、倫子が小さな口で食べるのを仕方なく見ていた。そのうち隙をみてやってみると面白い。段々可愛く思えてどんどん工夫を重ね、玲より竹丸から食べてくれるようになった。
そうすると、益々可愛い。「兄ちゃはどうして夜いなくなるの?」と言われる頃には、倫子の笑顔は竹丸のものだと思うようになっていた。
だから、いつ倫子が好きになったのかと言われると竹丸は分からない。初めて嫁にしたいと思ったのは骨折を直して貰った時だけれど。
ひと度好きになってからは、どんどん愛しくなっていく。声を聞く度、笑うのを見る度、愛しさが益々募る。終いには、何をしても愛しくて、怒る顔すら可愛いと思う。
柾耶に嫉妬して怒られた時も、久しぶりの怒り顔に可愛いと頬が緩みそうになった。隠そうと慌てて畳に額をつけた。
どうしてこんなにも愛しいのか、隼矢には分からない。ただ、左門の言っていた「惚れ惚れの上」ならぬ「愛し過ぎるの上」なんだろうな、と思う。
子の生誕の瞬間を見に左門が訪れたとき、紫矢はすたすたと左門に近寄り、竹丸の色変わりをどう思うか問うた。竹丸が忍者であることは有名なので、隠形を解いたか、しているかだと大抵の者は色変わりを気にしない。だが左門は幼い頃から竹丸を見ているので、そういうわけではない筈なのに一言も触れなかったからだ。
左門は珍しくおどおどしながら、「わしら竜好きは坊の眼に惚れ惚れして『青き竜の眼』と呼んで、か、隠れて絵にしている者もいる程じゃ。綺麗な青になって益々『青き竜の眼』が冴え冴えして、もはや惚れ惚れの上、惚れ惚れ惚れしただけで見惚れることに変わらんというか。沸騰した薬罐をまだ火に掛けておるところに薪をくべたとて、余計沸騰はせんというか。色変わりも薪みたいなもので、まぁ…。」と答えたのである。
隼矢もまた沸騰した薬罐なのであろう。
隼矢は倫子がマギー使いになったときも何とも思わなかった。それもいいね、益々いいね、ぐらいである。皆が倫子の戸惑いを気にせず、竜舞国で憧れのマギーを見られると浮かれたのに憤慨しただけである。施療院に隼矢、伊織が居たことを、ハンスが「天の配剤」と言ったのは二人の近しい者が国の中枢に居るからだと思ったが、そうではなく、竜舞国有数のマギーへの理解者が揃っているという意味だったのを思い知った。あの密議に居た者は伊織と交易港のお陰でランタルニアとその周辺の国々に竜舞国で最も詳しく、マギーへの抵抗がない者たちだったのだ。隼矢も使えるようになって、倫子も含め、益々魔道への皆の関心が高まっている今日この頃である。
さて、洞窟の我が家に戻ろう。もうすぐ三つ子の飯だ。いま隼矢は磨り潰した神殿の桃を秦野から貰った匙で与えている。桃を貰わなくてよくなった頃、礼も兼ねて一歳の神殿参りにゆく。三つ子たちは皆、唯一無二の色なので、絶対取り替えられることはない。それに気づいて苦笑して駆けてゆく竹丸であった。




