25 師匠秦野
ふぁぁ~
秦野順蔵は薄暗い森の大木の枝の上に寝そべり大あくびをしていた。暇である。
秦野は剣に於いては国で一、二を誇る腕を持ち、刺客として引っ張りだこなのであるが、本人の性分はそれを好まず、余程納得した案件を引き受けるだけだ。しかしその筋の口入れ屋はいつか引き受けて貰うことを夢見て、優先して高給で平和な案件を回してくれる。
それにしても俸給の割に暇過ぎると不審に思った秦野は、発注元が「けち」で有名な奉行所ということもあって、弟子の子の生誕祝いを受け取りに来た親友の左門に問い合わせを頼んだ。
(左門、返事遅いなぁ…。それにしても惚れ惚れする竜の眼をした良く出来た弟子とはいえ、婚姻式で卵を三つも授かるなんてなぁ……。)
元来贈物を選ぶのが苦手な秦野が、可愛がっている弟子のため、やっとの思いで左門に贈物を託した翌日、子が生まれたから生誕祝いを贈るぞと再び左門はやって来た。と、言われてもここは木の上。取り敢えずと金子を差し出すと、怒鳴られた。少々待って貰って暇に飽かせて得意の木彫りを活かした箸を家族一揃え作り、左門に託してはや数日。そろそろ返事が欲しいところだ。
ピューーーーィ
来た来た、と秦野は起きて腕を差し出す。左門の赤い伝達鳥だ。こうして腕に留まらせて優しく喉元を撫でてやる。すると口から文を出してくれる。小さい鳥なので、細長い紙を巻物にしてある。
そういえば、鳥が苦手な雑貨屋の主人が伝達鳥から文を取り出せなくて呆れたとか左門が言ってたなぁと思いながら巻物を広げた秦野は目を見張る。
「なっ!」
左門の文は真面目で温厚な秦野には到底受け入れられない話だった。
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元凶がそちらへ向かう。適当に毟り取って追い返せ。
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秦野が鳥の飛んできた方向に目を凝らすと、遥か向こうに、ぽっこり、ぱっかりと馬に揺られて近づいてくる人影がある。段々近づいてくるそれは、奉行所の役人のようだ。
秦野の仕事は罪人の監視。罪人のほうも監視がついていることは承知していようが、ここにいます、と分かるのは秦野の矜持が許さない。慌てて木から下りて、薄暗くお互いの色あいがはっきりは見えない場で出会うようにこちらから迎えにいく。放っておいたら、大声で呼び出しそうな、鈍そうな役人だ。
「ああーっ、いたー。名だたる剣豪、秦野さんですかっ?」
そうだ、と答えるには控え目な秦野には恥ずかしい問いかけである。左門ならばとびっきり厳めしい顔を作って同意しそうだが。無言にする。
「ですよね、ですよね。やったー、一目会いたかった!ここに揮毫してください!家宝にします!私、旗野っていうんです。いやー、音が同じなんで並々ならぬ近しい感じがして。憧れです!こう見えて私まあまあ剣遣えますっ!」
秦野が高給取りなのは有名である。事ここに至って秦野は左門の文の意図を理解した。
(このお役人さまは法外な高給で私が出てくるよう仕向け、私事にかまけたいらしい。腐った奉行所なことだ。その割には妙に律儀そうにも見えるが。)
秦野は左門の文に従うことにした。
「仕方ない。金五両頂く。用が終わられ次第、さっさと去られよ。」
紙切れ一枚に金五両。私なら十分嫌だと思う秦野であった。
◇◇◇◇◇
側用人鶯宿柾耶は先程の平身低頭して謝罪する町奉行の姿を思い出し、嘆息していた。町奉行檜原は算術に優れ、経理を無駄なく切り詰め、浮いた分を所員の福利厚生に回す能吏である。彼は傷病者に手厚く、ふつうは高くて使わない楠瀬の薬を効くからと惜しげなく買い求めたりしている。彼が就任して以降、負傷による退所は半分以下になり、捕方の熟練ぶりも過去にないほど。しかし、彼には武術の才は無く、風体も風体なので、奉行所の一同から不当に低く見られ、どうも奉行所の綱紀が緩んでいるようだ。
「檜原のことか?」
ここは竜舞城、白晰の間。日光石がふんだんに置かれ、明るい、執務に適した部屋である。ここで王と側用人は机を並べ執務をしている。ときに参与が加わって討議できるよう、丸い大きな卓も置かれている。いま、卓には花の生けられた花瓶が飾られている。
「はい。監視人に嵩増した分は筆頭与力の私財から捻出したようで、奉行所の金子に一切手は付けられていないそうですが…。」
「綱紀粛正すべし、とな。私は檜原を奉行所においておくのが気の毒なくらいだが、いま彼を他へ回したくない。」
「ええ。彼を不当に評価する輩に屈するようで承服できません。」
「巷の銀さんのように直に助けてくれれば感謝するが、陰で支えられる分には…、とは世知辛いことだ。私に少し考えがある。上手くいけば、檜原をそのまま置いておけるだろう。過日の王妃への刑の裁定会議のように、町奉行が国政に大きく関与し得ることが明らかになった以上、篤実な彼に町奉行から去られることは私としても痛手だ。この件は、しばらく私の預かりにして欲しい。」
◇◇◇◇◇
「……!!!」
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告 瑛都、大湊の各奉行所にて定例の武術闘技会を開催する。なお、本会は王の即位を祝うものとして、特別に、奉行所所員全員参加を命じる。奉行も参加のこと。下働きについては追って指示する。
竜舞国国王 松川 柾耶 側用人 鶯宿 一慶
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(なにこれ。平身低頭謝罪したのに、側用人が冷ややかな目で見てるなぁとは思ったけど。じゃいっそ馘にしてくれればいいじゃん。こんな遠回しにしなくていいじゃん。こっちから言い出せってこと?管理不行届なのは理解してるよ。でもさぁ、どうすりゃ良かったの?そんなに私悪いことした?)
数日後、町奉行檜原大也は給金改竄隠蔽事件以来の混乱に陥っていた。
お奉行の武術楽しみですな、と下卑た声が所内で囁かれる。謹慎処分の解けた筆頭与力、旗野が小さくなって大也を見る。
(遅いの!お前が悪いんじゃん。金子が無事だったからって謹慎だけとか温い!クソ!はぁ~、奉行にそんな凄い技とか優勝とか求められてない筈だし、ちょっとだけ鍛練してみようか。大体大湊の奉行だって御年だし、事務方出身だったじゃん。出ればいいだけかな~。)
少しだけ元気になった大也は常の仕事をさくさくっと片付けて、所内の声には耳を傾けず、家路に就く。
物陰でいつもの奴を一本、というところでふと薬舗「楠瀬」にいる、特忍美青年を思い出す。
(そーいや、あの人いま何してるんだっけ。武術教えてくれないかな。伊織が凄く出来るようになったとか昔自慢してたな。教え上手なんでしょ、いけるかもっ!)
いつもの奴をささっと懐に仕舞い、ちょっと駆けてみる。直ぐそこだし、早速鍛練始めるぞーと薬舗に向かった。
◇◇◇◇◇
伊織と倫子が薬舗の薬作りの部屋で、大也のための魔道水を作っている。水とそれに味と色を付ける草を細かくしたものを鍋に入れて火に掛け、杓子でかき混ぜる。
「ここ、静かですよね~。三つ子ちゃん、本当に居るのかって思うんですけど、時々赤子の笑い声聞こえるから居るわ~って。泣き声聞いたことないですね。」
「うん。隼がね、『身体強化』してお世話してくれるから、泣く隙もないみたい。ささっ、ささっ、ささっだよ。」
「竹兄様なら泣く前に絶対察知しそうですもんね。僕、気配とかそういうの分からないけど。」
「おら、店の前に落ちてたぞ。倫はご苦労さん。ここからは俺がするから、もう戻れ。」
「うん。鍋はまだ混ぜただけだよ。」
「分かった。やっとく。」
噂をすれば影。隼矢が大也の襟元を掴んで軽々と持ち上げてやって来る。う、ぐ、ひゅー、う、と大也は呻き声をあげている。
「そろそろかなーって思ってたんすけど、いつ来たんでしょう?静か過ぎて分かりませんでしたよ。」
「ちょっと前だな。小半刻は経ってないかな。それこそ気配がしたぞ。俺は青矢たちを優先したからな。」
隼矢は大也を畳の上にぽそっと「置く」。「ぼっとん」とか「びったん」でないところが隼矢の心配りである。
「わぁ、名、決まったんですね。」
「いや。まだだ。まだ迷ってる。もちろん倫とも相談する。うーん、青矢とか凱矢とか。」
「青矢、いいんじゃないですか。『じょう』ってランタルニアとかにある名なんで、大湊の領主の子って感じしますよ。」
「そうかー。ますます父さんが喜びそうだ。父さんもそれにして欲しいみたいなんだ。「紫」と「青」、ひと文字色の名で嬉しいらしい。けどなー、他の名は色じゃないし、髪は紺桔梗だけど、鱗は水色だろう?青って感じしないし……。」
言いながら、大也に見えないように鍋に手をかざし、水に「身体強化」の魔道を纏わせる。隼矢は「身体強化」が得意だから、これは倫子よりも格段に上手い。極々薄く纏わせるようにする。
「凱矢っていうのもあの色に合わないような。皆淡く光る虹色の綿飴みたいだし。」
「淡く光る虹色の綿飴かぁ、流石伊織は言い回しが上手い。他のも聞いてくれよ。奏矢と摩矢とかぁ…」
大也が人の形の何かからもう少し人間に戻るまで、二人の名づけ談義は続く。




