22 23 生誕
ふと目が覚めて、隼矢は自分が眠っていたことを知る。持っていた筆を取り落としたようだが、筆の先は十分湿っているので、まだそう刻は経っていないはずだ。卵はどれも変わりない。倫子を見ると、こちらも眠っている。少し抗ったようで可愛い顔が台無しだ。眉間に皺が寄っている。まるで眠らされたかのようだ。
(いや、確かに眠らされたかも。さっきのは夢?誰かの記憶のようだ。)
まだ眠るには早いし、可愛い顔に皺がついても困るので、少し迷ったが倫子を揺すって起こす。
「竹ちゃん。急に眠くなってふと見たら竹ちゃんがもう眠ってて。怖かった。」
倫子が震えながら隼矢にしがみつく。
「不思議な夢を見た。夢というより誰かの記憶とか、誰かを空から見下ろしてるようなものとか色々。倫は?」
「何も。ただ怖かった。すっと分からなくなった。」
「眠らされたかな。卵が下りてくるときみたいに。俺は自分のなかに始祖王の欠片が入ってて、倫には始めの竜人たちの欠片が入っているって話だった。婚姻式に降り注いだのは始祖王の欠片だ。倫はなかなか生まれなくて、親父さんたちが特別に神殿に卵を持っていったんだろう?」
「うん。そう聞いた。」
「それも見た。はっきり親父さんかは分からなかったけど、今まで生まれるまで十年も掛かって神殿が手を差し伸べたのは他に聞いたことないからな。」
「竹ちゃんは始祖王の力が使えて、わたしは他の始めの竜人たちの力が使えるってこと?」
「そうだろう。ただ、倫には始祖王の力も少し使えるはずだ。俺は始祖王の力だけだが、それでも全部ってわけじゃない。」
「ランタルニアのマギーとは全然違うもの?」
「さあ。一体、翠の竜っぽいものがいて、それはここで生まれたんだが、どこかへ行ったようだ。それがランタルニアのマギーかもしれないし、違うかもしれない。」
「お義父さまに聞いてみる?」
「そうする。伝達鳥を飛ばすよ。痣の文様のこともあるし、このことは伏せるようにしてハンス殿に聞くことになるだろう。倫、卵を頼む。筆塗りも。」
隼矢は竹ちゃん呼びに苦笑しながら、繋路石を起動して薬舗から伝達鳥を紫矢に飛ばした。
直ぐに明日行くとの返信が来た。
その後、宣言どおり、一晩起きて筆塗りをしていた隼矢であったが、まだ卵に変わりはない。思ったより筆塗りができると思う反面、倫子の例を思い出し少し不安になる。三つ、というここ数百年なかったであろう数も不安に拍車を掛ける。
朝食を食べ、繋路石を起動して薬舗に移り、そこで再び筆塗りをしていると、紫矢がやって来た。
「おはよう。やあやあ、やってるね。隼矢は世話焼きだからね。」
「おはよう、父さん。俺としては筆塗りしかできなくて物足りないよ。」
「だろうね。おまえのことだ、今日だとか思ってるんだろう?ハンス殿に聞きたいが、行くにしても来てもらうにしても卵がね。さてどうしたものか。おまえの見た夢のようなものは、本当にあったことなのだろう。そもそもおまえを眠らせる者が只人とも思えないし。一応、急いで来てはみたが、子が生まれてからでもいいかな。始祖王と始めの竜人の力、それだけ分かればもう十分だろう。」
「そうしてくれると嬉しい。十日以上かかるようなら、考える。ねぇ、卵から生まれるときってどう生まれるの?必ず親のいるところで生まれるのか、変わった音がするのか、手伝って割ってもいいのかとか。俺が生まれたときって?」
「あー、まだ先だと思って誰も言ってなかったね。私は側用人の仕事があったし、おまえは半年程して生まれたから、おまえが生まれるのを見てない。艶も見てなかったと思う。ふつう、手伝わずとも勢い良く出てくる。そうだ、隼矢、卵は大きくなるから、この籠は小さいぞ。二つだと思って大きめのこの籠にしたんだろうけど。もうひとつ籠を用意しよう。それと、卵が大きくなる速さは各々だからなんともいえない。急に大きくなったり、段々だったり。音はしないな。揺れるけどね。」
「分かった。籠をお願いします。」
「気のせいか大きくなっているような。急がせよう。それにしてもおまえはどんどん青くなるね。髪の色はもう変わらないようだが。銀の私に似た灰青の鱗が懐かしいよ。」
紫矢は急いで卵籠を用意しに去っていった。
(大きくなった、かなあ。見過ぎて分からない……。父さん、孫馬鹿?)
昼食後、紫矢が卵籠を持って来た。前と同じ大きなものだ。
「ありがとうございます。お義父さま。皆同じにしたいので、兄に頼んだ特製にしなくて良かったです。夫を止めてくださりありがとうございます。」
お義父さまも夫も初めて呼ばれて顔を赤らめて喜んでいる。
紫矢は息子が籠を水でべしょべしょにして壊して取り替えることを危ぶんで、売り物の高級品にしておくよう止めたのである。
卵は紫矢の孫馬鹿だけではなかったようで、朝より確かに大きくなっている。しかし、いつ生まれるかはまだ全然分からないようだ。
「流石に今日はどうでしょう。夜も生まれるのですか?」
「分からないよ。急に大きくなることもあるからね。もちろん夜も生まれる。生まれるときに立ち会いたいだろうけれど、なかなか、ね。隼矢が意地にならないように叱っておくれ。」
「あの、鱗水は減らない、ずっとあるって聞いたんですが、何に使うんですか?」
隼矢がまた白磁の壺を持って熱心に筆塗りしているのを見て、倫子が紫矢に問う。
「あぁ、白磁の壺は特別なしきたりで作られて鱗水が減らないんだけど、かつてその水は子が病になったとき飲ませたと聞くよ。治ったとは聞かないがね。倫子さんの薬やお茶のようには効かないよ。」
「白磁の壺も始めの竜人の力なのでしょうか。」
「そうだろうね。そういう古くからあるものは、力を奪われなかったのだろうね。そういう意味では「竜舞国でマギーは発動しない」は、マギーというものをどう考えるかにも依るが、誤りであったかもね。このマギーに関することはどうもこれから大きく考え直させられるような気がするよ。竜人とはどういう種なのかに関わるだろうし、あまりハンス殿ばかりに頼りたくないんだがね。」
父さん、と話しこんでいる二人に隼矢が声を掛ける。
「卵が揺れてる!」
どれどれ、と紫矢は籠を見る。
ひとつだけ揺れているようだ。
「うーん、三つ子かと思っていたが、そうではないのかな…。それとね、隼矢、おまえ酷い熱があるね。一晩起きていたぐらいでは大丈夫のはずだから、やっぱり始祖王の力のせいかな。色変わりといい、身体が作り変えられているのか…。さっき丁度、倫子さんと話していたが、鱗水とか神水があればいいのかもな。艶に持ってきてもらおう。おまえは休みなさい。生まれそうなら起こしてあげるから。」
嫌々とばかりに隼矢は首を横に振る。紫矢は、はははと笑って、赤ん坊返りじゃあるまいし、と呟いた。
「倫子さんも、念のため鱗水を持ってきてもらおう。筆も忘れずに、と。」
紫矢は伝達鳥を飛ばす。紫矢の伝達鳥は赤、隼矢のは濃紺だ。どちらも隼矢が育てている。隼矢の世話焼きが遺憾なく発揮されて、速くて賢い鳥に育つのだ。
「筆も、なんですか?」
「それはそうさ。白磁の壺は零れない。傾けても逆さにしても。飲むとしたら、浸した筆の先を絞るのさ。」
いやー、側用人じゃなくなって良かったよ、と紫矢は続ける。
「孫の生誕を見られる。嬉しいね。艶も見たいだろう。喜んで来るよ。」
「う、馬が心配です…。」
隼矢がふぅ、ふぅと熱い息を吐きながら言う。
「近いから、自分で駆け回るだろう。あれは、馬の扱いが荒いからね。さぁ、もうお休み。倫子さん、筆塗りを変わってくれるかい。」
ほとんど筆を取り上げられるようにして隼矢は休ませられる。
隼矢が寝て小半刻程した頃、艶が色の違う箱に入った白磁の壺二つと神水の入った徳利を持って薬舗に駆け込んで来た。
どうしたの、と言いかけて、隼矢の様子を見て艶は眉をしかめる。
「こちらで話そう。倫子さん、卵を頼んだよ。」
紫矢は、なおも振り返ろうとする艶を隣の部屋に連れていった。
「隼矢は神殿で始祖王の力を授かった。色変わりが起きて、身体が作り変えられているようだ。酷い熱だ。だから鱗水を持って来てもらった。念のため神水も。」
「………。」
「倫子さんもそうだ。熱はないが、眼がわずかに色変わりしたようだ。ここからはおまえに初めて話すがね、倫子さんは生まれるときに始めの竜人たちの力を授かった。彼女は十年生まれなくて、神殿が手を差し伸べたろう?そのとき授かって、それで生まれたようだ。その力を使ってここの薬は作られている。彼女は他にもいろいろなことができる。ここと大湊を繋いだり、とか。強大な力で、竜人の種としての話に関わるから、他言無用だ。ふたりと伊織、王、ランタルニア船団長だけが知っている。」
「隼矢だけ熱が?」
「今のところはそうだ。授かった量が違うんだ。髪と鱗は青みを増した。伝承を思い出し鱗水を飲ませようと思ったんだが、誰かの力の影響の少なそうな神水もお願いした。少し骨折りだったろう?ありがとう。」
「卵は?」
「少し大きくなった。ひとつだけ揺れてる。今日生まれることもあり得るから、それもあっておまえを呼んだ。」
「分かった。孫が楽しみね。隼矢のことだから、生まれるまでずっと筆塗りしそう。ふたりっきりの甘い日が少ないのは可哀想だけど、早く生まれて欲しいわね。」
「済まなかったね、驚かせて。三人全員かどうかは分からないが、孫の生誕を見られるかもなんて嬉しいね。」
「三つ子じゃないの?」
「まだ分からないね。そんな気がしていたが。一日違いとかかな。とにかく珍しい生まれかただろうね。」
「話は戻るけど、船団長はどうして?」
「倫子さんの力が初めランタルニアのマギーだと思われたからさ。隼矢がね、そうじゃないって夢みたいなお告げを見たんだよ、昨晩。卵が下りてくるときみたいに眠らされてね。あぁ、一瞬だったから隼矢は夜通し起きてたよ。それもあって休ませた。さぁ、卵のところへ行こう?」
紫矢と艶が戻ってくると、二つの卵が揺れていた。残りひとつ、紫矢が持ってきた籠に入った卵も大きくなっている。
「さっき話していただけでこんなに大きくなったの?凄いわね。隼矢を起こしたほうがいいかしら?」
「そうだね。もう少し休ませたいが見せてあげたいからね。まずはそのために熱を下げるようにしないと。」
紫矢は隼矢を起こし、まずは神水を飲ませた。
「どうだい?何か変わりはあるかい?」
「……。とても潤うけど…。」
「少しは熱が下がったようなんだけどね。もう少し待って、鱗水にしないかい?私たちの力が混じってたりしないか、それが吉とでるか凶とでるか心配でね。」
「倫ちゃんも神水飲みましょう?たくさんもらってきたのよ。」
倫子も神水を飲む。知らず、火照っていたようで、清涼で心地よい。もう少しもらえますか、と呟く。
「倫ちゃんは神水がいいのかしら?」
「父さん、やはり鱗水を。夢のことは?」
「全部話した。マギーも。他言無用も。安心しなさい。」
「じゃあ、倫。倫はやめておいたほうがいい。色がおかしかった。卵か、鱗水かが。ぼんやりしていたので定かじゃないけど。」
紫矢が筆を壺に浸して先を絞り、隼矢の口のなかに一滴垂らす。二滴、三滴。
きらり、と隼矢の鱗が灰青に輝く。隼矢の鱗は紺青にまで青みがかっていたが、鱗の縁がうっすら灰青に輝くようになった。
綺麗、と倫子が呟く。
「よし。熱も下がった。吉だったらしい。嬉しいね、私たちの力でおまえを包み込んで守っているようだ。髪は紺桔梗といったところかな。ますます男前になったね。」
「そうね。眼は少し赤みが減ったかしら。でもまだ十分蜂蜜色ね!」
「ありがとう。倫、そう寂しそうな顔するな。倫の卵は硬い殻がついてるみたいな色だった。親父さんたちの愛が十年かかって深くなり過ぎたんだろう。なかから割れそうになくて、始めの竜人たちが力を貸したに違いない。」
「……。」
「それなら、倫ちゃんも使えば硬い殻で守ってもらえるんじゃないの?」
「倫もそうだが、魔力は毎日回復する。もし力を使えない日があったりしたら?溢れて身体が割れてしまうかもしれない。なにより、折角修練したのに、力を出しにくくなって困るかもしれない。」
「ふむ。隼矢の言うのも一理ある。きっとお父上たちは白磁の壺はずっと大事にされるはずだから、要るときはまた貸してくださるだろう。いまは神水だけにしておきなさい。」
「はい。お義父さま。」
「まあ、お義父さまですって、羨ましいわ。」
ともあれ、本調子になった隼矢と倫子、紫矢、艶は卵籠の前に座して待った。
どんどん卵は大きくなる。もうすぐ宵の口だ。三つとも揺れだした。
「これは、やっぱり三つ子ね。同じ時刻ではないかもしれないけれど。」
「そうだなあ。そうかもなぁ。少し気が早いかもしれないが、倫子さんのご家族も呼ぼう。他に、呼びたい人があれば来てもらってもいいんだよ、居るかい?」
紫矢は籠に入るような小さなふかふかの布団を取り出す。布団はふたりが婚姻式で着た羽織や着物と同じように、御空色に銀糸の豪華な刺繍のものだ。
「あら、そういえば、倫ちゃんが映えるように灰青じゃなくて御空色にしたのに、隼矢はもっと青くなってしまったわねぇ。昨日のことなのに懐かしいわ。」
夫婦揃って似たようなことを言う。灰青色は余程お気に入りだったらしい。
「隼矢、そろそろ筆塗りはお仕舞いにしなさい。もう十分だろう。これから籠に布団を敷くからね。濡れてしまう。」
伝達鳥を飛ばし終わった紫矢と隼矢が揺れる卵をそっと丁寧に持ち上げて、籠に布団を敷く。
ひとつだけで卵籠に入っている卵が急に大きくなりだした。
「あら、この子が先かしら。間に合うかしらね、皆。」
固唾をのんで見守る四人。夜は更けてゆく。
「おぎゃ!」
一際揺れたかと思うと、ぱっと殻が消え、赤子が籠の布団の上にふぅわり下りる。
「殻が!」
「ははは、隼矢。だからあんなことを聞いたのか。殻があれば全部集めて今頃、床の間にでも飾ってあるさ。綺麗な子だねぇ。うっとり、惚れ惚れするよ。男の子だね。」
ほのかに水色に光る乳白の鱗。少し薄桃色の光も混じっているようだ。髪は隼矢と同じ紺桔梗だ。眼は…ほとんど閉じているのでまだ判らない。
「ほぎゃ!」
「ほぎゃ!」
次々生まれる。殻が消え、布団の上にふぅわり下りる。
初めに生まれた子に皆よく似て、鱗は各々、仄かに青紫色に光る乳白、仄かに翠色に光る乳白だ。髪はどちらも銀、青紫色の鱗が女の子。翠色の鱗が男の子だ。眼はまだ閉じている。
「やっぱり三つ子ね!おめでとう貴方たち。」
「目出度いのう。いや~綺麗な子じゃ。ははは、幸せな色合いじゃのう。」
「おめでとうございます、兄様!」
「おめでとうございます。竹兄様、倫子さん。」
生誕の瞬間を見守りに来てくれた面々が口々に祝ってくれる。呼んだ人は皆来てくれた。倫子の家族も間に合った。兄は吹っ切れたようだ。雑貨屋に居合わせた左門も伝達鳥に手間取る倫子の父暁に代わって手紙を受け取り、そのまま来てくれた。
時刻は申の刻、午後八時。紫矢によって用意された祝いの夕食が皆に振る舞われる。
「いや~実に目出度い、目出度い。わしの目に狂いがなければ、あの子たちの眼は全員金色でしょうなぁ。」
「確かに。少し薄目の開いてるあの子は間違いないでしょうし。」
「皆、美男美女間違いなしだねぇ。」
こうして、一夜にして五人家族となった倫子と隼矢であった。




