19 波乱の婚姻式
銀髪紫眼、首が白い鱗に覆われた女が空を見上げる。昨日までの荒れ模様の空はどこへやら、一転してこの季節には珍しいくらいの青空が広がっている。風もなく陽射しも暖かな上天気だ。
「あら、竹丸。倫ちゃんを迎えに行くの?いってらっしゃい。母さんも昼にはそっちに行くわ。先に着付けの者を寄越すわね。」
「ありがと、母さん。よろしく。」
跳ぶように駆けて息子竹丸は去ってゆく。
(長かったわ~。やっとあの子が私の娘になるのね。)
今日は竹丸の婚姻式。艶の心も見上げた空と変わらない。
いつもは夫、紫矢に甘えることの多い息子が涙で顔をぐしゃぐしゃにして艶に縋りついてきた。忍者雑貨屋の息子が妹に会わせてくれなくなった、と。
聞けば、子を忍者にしたくない親が囲うようになり、兄としての嫉妬も手伝って、おまえも忍者だから、と妹に会わせてくれなくなったらしい。
伯父に襲われても返り討ちにし、滅多に泣かない息子の珍しい姿に並々ならぬ恋情を感じ取った艶は、相手が三歳、息子も八歳でまだ早過ぎることを十分承知しながら取り成しに出掛けた。艶自身、娘を忍者にしたくないという親の思いが解らないではなかったし、将来有望な忍者の争奪は激しく、このままでは親の望みは叶わない、と憂慮したためでもある。
そう思っていた艶であったが、ひと目倫子を見て気に入ってしまった。可愛らしい顔でほけほけご機嫌に歌っているその姿は抱き締めて今直ぐ連れて帰りたくなったし、なにより、髪も眼も鱗も自分と同じ色で、息子が自分の色を持っていないことを寂しく思っていた艶には堪らなく欲しく思えた。
そうして大公家と花鳥風月の力で忍者から守ることを前面に押し出して、義娘の確保に走ったのである。
このひと月少し、すわ落着かというところで待たされ、自棄になって婚姻式の支度をしてきた艶にとっても、念願成就の日、なのである。
「おめでとうございます、竹兄様、倫子さん」
「目出度いのう、坊。ちゃっかりしとるのう。」
「おめでとうございます、兄様」
今日は一月一日。前日の夜半に暦を新しくする祝いをするほかは、これといった祭事のない竜舞国であるが、ここ瑛都の薬舗「楠瀬」の前だけは主人の結婚の言祝ぎに訪れる者でごった返している。両隣の店の者や通りを行くものが微笑ましそうにちらちら見遣っている。
艶と紫矢が大公家の威信と溢れんばかりの愛情を込めて用意した、豪華な銀糸の刺繍がふんだんに施された御空色の着物と羽織を纏って、皆にひととおり言祝がれたふたりは神殿に向かう。
神殿は竜舞城の裏手の、翠竜山を少し登ったところにある。
神殿で婚姻式ができるのは王族と大公家のみということで珍しく、言祝ぎに訪れた者は皆なんだかんだとついてきてくれた。図らずも薬舗から神殿までお披露目の練り歩きをした格好だ。
皆を残し、いまは一慶と名乗る柾耶を先頭にして、ふたりは神殿に入る。付き添いはひとりとされているので、王になった一慶が問答無用でもぎ取った。
竜人は子が欲しいならば、婚姻式を挙げて夫婦になる。婚姻式で必要な鱗は生涯で一枚しか生えないので、婚姻式も子を授かるのも一度きりだ。
婚姻式の後、早くて半年ほどすれば天より子が卵のかたちで下される。このときその夫婦に下されるすべての卵が一度に下される。その後いつ卵から子が生まれるかは各々で、玲と倫子のように五年十年と掛かることもあれば、伊織と伊絃のように一年と経たずそれも同時に生まれることもある。
一行は神殿の奥へ進む。神殿の奥に、儀式で使う神水の源泉があり、今日はそこから直に汲んで、その場で儀式を行うのだ。
神殿の奥に辿り着くと、五つの墳墓の前に、二本の大木が枝を絡めて泉を守るように生えていた。泉の側には、白磁の壺と大振りの筆、まっさらの柄杓が二本置かれている。
「大きな木。珍しい姿ですね。」
「桃の木ですよ。破邪の願いを込めて桃の木を選び、夫婦の和合を象徴する連理の姿にして植えてあります。この木の枝で筆と柄杓も作るのですよ。これは私が兄様と倫子さんのために十日かけて作りました。私からの結婚のお祝いです。」
「ありがとう。これは嬉しい。今度おまえが式をするときは俺に作らせてくれ。」
「是非お願いします。私も嫁が欲しいですが、つい慎重になってしまいますね。」
「…?素敵な鶯宿夫妻のご子息なんですから、なんの心配もいらないのではないですか?」
「ふふ、確かに。」
「倫。」
少し緊張した声音に、またやきもちかしら、と倫子は竹丸を見る。
「倫、婚姻式では本名を名乗る。俺の名は隼矢、楠瀬隼矢だ。竹丸は花鳥風月の名跡だから、これからは隼矢と呼んで欲しい。」
まだ言ってなかったのか、と一慶は思ったが、そういう一慶も先日知ったばかりなので、ふわりと微笑しておく。
「隼?」
「そうだな。儀式が終わったらそう呼んでくれ。」
竹丸、改め隼矢はやっと念願のひとつが叶って倫子の好きな、蕾がほころぶような笑顔を見せる。
「では、式を進めましょう。」
一慶はくるりと振り返ると、泉と墳墓に向かってふたりの婚姻式の開始を朗々と告げる。二本の柄杓に各々泉から神水を汲んで、一本ずつ隼矢と倫子に渡す。
ふたりが口をつけて飲み干すと、ふたりの額が輝き出し、金色の角が生えた。竜の角だ。
「!」
三人が驚くと同時に、右端の墳墓から無数の光の珠が溢れだし、倫子と隼矢に降り注ぐ。主に隼矢に降り注いだそれは、ふたりのなかに溶けるように消えていった。
気がつけばふたりとも竜の角は消えて、喉元に七色に輝く大きな鱗が一枚生えていた。
苦もなく隼矢が取ったのを見て、倫子も慌ててそれに倣う。
一慶が白磁の壺に神水を汲んで、ふたりに差し出す。隼矢がそれに鱗を入れる。倫子も入れると、一慶は筆でかき混ぜる。二、三度ゆるりと円を描くように混ぜると、鱗は神水に溶けていった。鱗水の完成だ。
「では、こちらを。」
そう言って、一慶が壺を隼矢に手渡そうとした時、白い卵が三つ、三人の目の前に現れ、ゆるゆると足元へ下りていった……。
倫子の晴れ姿がどうしても見たかった母、小春が、年甲斐もなく駄々をこねる玲とそれを宥める振りをして便乗し梃子でも動かない様相の父暁を、店の品で縛り、花鳥風月に手伝ってもらってようやく皆を連れ神殿に着いた頃、一慶が血相を変えて神殿から走り出てきた。
「誰か!急いで薬舗に行って卵籠を取ってきてくれ!入り口直ぐのところだ!た、卵を三つ授かった!」
素早く左門が駆け出す。倫子の塗薬で万全の左門に敵う者はない。
どういうことだ!?三つ!?
あれは半年は先だろう!?
こんな昼間に授かるなんて聞いたことがない!
神殿前の一同は驚きに包まれる。
なにしろ、この数百年もの間、卵を三つも授かった例はないのだ。しかも、婚姻式の最中に授かるなど、もっと聞いたことがない。史実にもない。そして、天から卵が下される瞬間を見ようと試みる者は少なくなかったが、いつ下されるか全く分からないうえ、時刻も決まって寝静まった頃であり、無理に起きていようとしても周囲の者も含め漏れなく眠らされてしまい、誰も見たことはないのである。
誰も彼もが式の様子を知りたがったが、マギーや嫡男の痣の件が脳裏を掠めた紫矢が皆を宥め、矢の速さで戻ってきた左門から卵籠を受け取ると、大慌てて一慶とともにふたりの元へ向かった。




