1 倫子のお出掛け
「行ってきます。いつもの薬草届けに来てくれるはずだからよろしくね!」
「はいよ。…気をつけてな。」
薄茶色の紙に炭のように黒い丸い玉を数粒のせて手早く包みながら、銀髪の生真面目そうな青年がこちらを見ることなく返事する。
急な注文に追われているようだ。
(?…本当に急な大量注文が入ったの?…なんか萎れてる?拗ねてる?)
昨日は倫子の生誕日。ここ竜舞国での成人年齢である二十歳になり、家族皆で一日中、朗らかに祝ってくれた。
(飲み過ぎた、ってわけでもなさそうだけど…)
兄の様子に、ちょっと首を傾げながら、「宵」の字と半月が描かれた引戸をカラカラと閉めて、竜舞城へ向けて歩き出す。
引戸の向こうでは、青年が突っ伏していた。
(達者でな、倫……可愛い妹がもうお嫁に行ってしまった…。)
この竜舞国は、太古の竜が人に溶け込んで生まれた「竜人」の国である。
倫子はぱっちりした紫眼、色白おちょぼ口の、十人いれば十人が可愛らしいと認める顔立ちの竜人だ。恋人竹丸のための花嫁修行は先日免許皆伝になった。
兄と同じ銀髪はさらさらしていて結い上げにくいのだが、これから人と会う約束があり、あまり手先が器用ではない倫子なりに精一杯華やかに結い上げ、お気に入りの簪を挿して仕上げた。都合半刻がかりの力作だ。
結い上げた結果、露になった彼女の首は全体が白い鱗に覆われている。年齢を重ねることに鱗は一枚一枚が大きくなり、硬質な輝きを放ってゆく。しかしまだ成人して間もない彼女のそれは小さく薄く、雪のようにきらきらとやわらかく輝いている。その輝きを引立てるべく、兄が吟味に吟味を重ね選んだ薄紫色の着物に赤い草履というのが今日の倫子のいでたちである。
倫子の家、「宵」は忍者御用達の小物や薬の店だ。さっき兄が作っていたのも火をつければ白い煙がもうもうと出る小道具だ。
店の品の大半は、兄と倫子が開発、改良したものだ。小道具類を兄が、薬類を倫子が作っている。
どれも皆、評判が良く、特に倫子の薬は、忍者でない客も遠方から買い求めに来る人気ぶりだ。
そういうわけで、なかなか繁盛している店なのだが、一応、忍者相手の商売ということで、竜舞城の城門から海辺までまっすぐ伸びる大中通りからひとつそれた通りにある。
大中通りに出ると、そこは紙屋、金物屋等々道具類の店が、もう少し城に近づくと呉服屋、履物屋、簪屋とお洒落の店が立ち並んでいる。人も荷車もひっきりなしに行き交う。
一つ角を折れて、しばらく進むと飯屋の類いが立ち並ぶ。そば屋、小料理屋、だんご屋等々。
そこそこのにぎわいはあるが、すでに昼時を過ぎ、一角全体に気怠い食休みの雰囲気が満ちている。
だんご屋も、昼の分をひととおり売り切ったらしく、みたらしのたれの焼けた香ばしい匂いがかすかに漂うだけ。紺地に白の染め抜きの店の旗が、十一月の薄曇り空を背景に、ゆらゆらしている。わずかに風が出ているらしい。
また一つ角を折れて、今度は城を背にして進むと、人通りが疎らになる。
この辺りは武家の屋敷の立ち並ぶ一角のちょうど端にあたる。武家屋敷特有の、くすんだ白の土壁の向こうに、立派な枝振りの松が見える。何本か通り過ぎると土壁が終わり、腰までの高さの椿の生垣になった。倫子は目当ての屋敷に着いた。
門を抜けると、話し声がする。
ここは前は武家の別邸であったが、主人の不祥事でお家取り潰しとなり、国に召し上げられ、諸々の改築の後、施療院となった。海の向こうの国ランタルニアの施療が売りである。建った当初は、患者も少なく閑古鳥が鳴いていたが、かれこれ三十年以上かかって、確かな技術と手厚い看護が名声を呼び、竜舞城のお膝元、ここ瑛都で一番人気の施療院となった。
倫子がちらと見遣ると、青年が二人、立っていた。
(あら、先客かしら。)
つやつやときらめき緩やかに波打つたっぷりの赤髪を後ろでひとつに結わえ、白衣を着ている怜利な雰囲気を纏った青年。細い目にモノクルをかけ、首全体を覆ったほんのり紅の鱗が左右に一筋ずつ頬の半ばまで伸びている。
彼の名は伊織というはずだ。倫子が面談の約束をした青年の名である。
伊織は困惑しつつ申し訳なさそうな、でもどこかうれしそうな声音で、もうひとりの青年に言う。
「でもそういう約束でしたでしょう?連れ戻しに来てくださったのは光栄ですが、承れません。今日は初めてお客様と対面する仕事も任せてもらったんです。」
「確かにそういう約束だったらしいな。私は知らなかったが。今まで仲良くやってて、急に、約束でしたのでって一言で出ていかれて納得できるか。何があったんだよ?」
相対する青年は、凛々しい金の眼に案ずる気配を溢れさせ、倫子の数倍は凝った結い上げの黒髪に、黒の簪を挿している。結わえた先を巻いて上げ、毛先が花のように広がるかなり華やかな結い上げなのだが、ほとんど光らない黒の簪と、身に纏った地味な紺の羽織のおかげで、瑛都の町なかに溶け込めている。
彼も伊織同様、薄灰色の鱗に首を覆われ、それが両頬の半ばまで一筋ずつ伸びている。
押し問答が続くかと思われたが、伊織が倫子に気づき、手招きした。
「倫子さんですね。頼まれていた図録はこちらです。まだ図録全体の三分の一しか訳せていませんが、霊山茸の関連の頁は訳し終えました。そちらの東屋で先に目を通して待っていていただけませんか。」
予想以上に分厚い図録を受け取り、倫子は東屋に向かう。背後ではまた問答が始まったようだ。




